「わたしまだ死にたく無いのにっ、酷い、みんな酷いっ、」

止め処無く流れてくる涙を拭う事すら許されない。わたしはずっと真横に流れる大きな滝の音を耳に後ろで縛られている手首を捻った。びくともしない、それも当然だ。数人掛かりで村の大人達がわたしをこの場所に貼り付けて行ったんだから。

もう直ぐ暑い季節になる。この時期になるとわたし達の住む田舎の小さな村ではある話題で持ちきりになる。それは、昔から伝えられる神話の一つであり、恐ろしい言い伝え…一種の民間信仰だ。祖母ちゃん、曾祖母ちゃん、曾々祖母ちゃんからずっとわたしの母親の代に至るまで、それはこの村には付いて回る物らしい。

八岐大蛇伝説。
稲や田畑が実る時期。それはやってくるのだと言う。
水を司る大きな蛇の神様だと、祖母ちゃんは神妙な面持ちでわたしを含む村の子供達に毎日の様に言っては聞かせていた。
そんなモノ迷信だという人も居た。けれど、あくまで少数。村の大半はそれを信じていて、年に一度こうして村からひとつ山を越えたこの場所に、村の女が連れて行かれる。馬鹿げてる。子供ながらにそう思っていたわたしは、今まさにその生贄に選ばれた女になる。

勿論、今まで生きて帰ってきた者は、一人として居ない。

「酷いわ、こんなの嘘なのにっ、皆ここで餓死したり、野犬に喰われたりして死んだのよっ!八岐大蛇なんてそんなの居る筈無いのにっ!」
「へえ、君はそう思うの」
「ええ、そうよっ!まず聞いた所によると、頭が八つもあるらしいじゃないっ!それに人より大きな蛇なんて、まず普段から何処に隠れているって言うのっ!?」
「あっははは、そんなの簡単だよ。人間に化けちゃえばいいじゃない。君頭悪いの?」
「人間に化ける!?そんな、在り得……ない、わ、よ…」
「ふぅん、」

「……………あなた、誰?」


いつの間にか自分が誰かと言葉を交わしている事に気付き、首だけを声のする方に擡げる。すると、滝壺へと続く崖の上に、座り込むように一人の青年が広がる景色を見ながら笑っていた。
余り見た事の無い衣服に、茶色く綺麗な髪の毛。緑色の瞳は、これだけ距離があるのに、鮮明にわたしの視界に映りこんだ。

「危ないじゃない、そんな所で何をしているの?」
「危ない?君の方がよっぽど危ないじゃない。そんな縛られた状態で、今から食べられちゃうんだよ?自分の心配しないの?」
「食べられる?ああ、野犬の話?」
「ううん蛇に。…って言うか、犬なんかと一緒にしないでよ。失礼だなあ、」
「は?ごめんなさい、あなたが何を言っているかわたしには、」

本当に気軽に話しかけてくるその青年は、わたしのその言葉を聞いてやっと此方を向いた。ゆらりと揺れた髪に、這う様な三日月目。そのまま「よいしょ」なんて年に見合わない掛け声と共に腰を上げたその青年は、笑みを張り付けたままこちらに歩いてくる。背後に流れる滝から、風に舞い上げられた水滴が、彼の今まで座っていた場所を濡らした。

「僕ね、沖田総司って言うの。君の名前は?」
「えっと、みょうじ、なまえ…」
「じゃあなまえちゃん。いつ食べられるのが希望?君結構僕の好みだから、聞いてあげてもいいけど、」
「はぁ!?ねえ、あなた頭おかしいの?何を…」

何だか怖くなってきて、その突然現れた青年…沖田さんに噛み付く様に顔を上げた時だった。わたしが睨んだのは、真っ青な空で。いつの間にか沖田さんの姿は無い。きょろきょろと辺りを見回すも、やっぱりその姿は何処にも無くて…もしかしたら、頭がおかしくなっていたのは自分の方だったのかもしれない。と、情けなく肩を落とした。

しかし…。

「僕ほどの気配も読めない。口は達者、挙句に頭が悪いなんて。今年はどうなってるの?」
「え?ど、どこに、沖田さん?」
「まあでも、君のその強い瞳は好きだよ。美味しそう」
「え…?何処に…………ぎゃああああっっっ!!!!!」

何だか失礼な声をした方を見下ろし、わたしは次の瞬間叫んだ。村でもこんな大きな声なんて出した事ないと思いつつも、その喉は震える事を止めなかった。
見下ろすと、何だかよく子供達が持っている様な人形の様に、小さくなった沖田さんがわたしの膝に、先程と同じ様に座っていたんだ。
そこで、あの日の記憶は途絶えている。後々に聞いた所によると、泡を吹いて気絶したらしい。

そして間も無く、彼の正体を知る事になる。


「ちょっと、沖田さんっ!ご飯それだけじゃダメですっ!もっとちゃんと食べてくださいっ!」
「えー、やだー。僕人間の食べ物って好きじゃないんだ」
「じゃあ何が好きなんですか?」
「君みたいな女の子」
「お酒とってきますねー」

「あっはははは!」と笑い転げる沖田さんの正体は、あの村に伝わる八岐大蛇伝説そのもの…とまではいかないけれど、どうやら紛う事無き「蛇の容をした水神様」らしい。
何で蛇の姿じゃなくて、あの小さな人形になったのかと聞いたら「結構力使うからあまり本当の姿にはならないんだ、ご飯も年に一度だけだから今は無理」と、まるで理解の出来ない会話になった。それでも、こうして攫われて(?)沖田さんが身を置いているという長屋で生活を始めたわたし。まず家を持っている事に驚いた。村から結構離れているらしいけど、こんな辺鄙な所にある事を除いて、意外にもまともな暮らしぶりだった。

「沖田さん、わたしいつまで居ればいいんですか…?」
「なに?なまえちゃん、帰りたいの?」
「…違い、ます、そうじゃなくて…」

そこで言葉に詰まる。そんな寝そべりながらにやりと口の端を上げた沖田さんを見てわたしの頬は赤く染まる。ここに来てから幾つかの日付を越えた。その間、彼がわたしをどう扱っていたかなんて、思い出すだけで切なくなる。
喩えると、村で一番仲のいい夫婦がいつも寄り添ってお互いに微笑みあっている図が思い浮かんだ。その妻の方を少し不貞腐れた顔にすればわたし達の関係が出来上がる。

彼は生贄のわたしに凄く良くしてくれたのだ。
たまに冗談で「あーあ。可愛くて食べ損ねてる、この僕が」とか言ってるのを聞いて、そこで彼が人間じゃないと気付く位に、わたし達は普通の暮らしをしていた。

「ずっと居ればいいじゃない。何も不便はさせないよ」
「で、でも…それだとわたし思ったんです。わたしは、良くても…沖田さんが、」
「僕が…?」


そこで床の間から持ってきたお酒を、沖田さんが寝転んでいる側に下ろすと、わたしは俯いて着物を握り締めた。
わたしだって祖母ちゃん達に聞かされていたから知ってる。彼が水神様だからって、ずっと生きていられる訳じゃない事を。わたし達人間と同じ様に、自分に見合った食事を取らなければ、同じ様に衰えやがて死んでしまうんだ。一年に一度、生贄の女を食べればまた来年まで生きられるらしい。

それなのに、彼はわたしを食べようとする気配も無い。
口では言っているけれど、まるで冗談にしか聞こえない。
このままじゃ、彼は、来年の暑い季節までに…。


「なまえちゃん、」
「う、うん…、」

わたしの瞳から涙が零れて、床にいくつも丸い染みを作る。それを見た沖田さんは小さく溜め息を付くと、少し動き難そうに身体を起こしてわたしを包み込む。肩から抱かれてすっぽりと彼の胸に収まったわたしは、はらはらと泣いた。

わたしが、あの神話の素戔嗚尊(すさのお)になって彼を退治してしまうんじゃないかと、日々不安に駆られていた。もう沖田さんが「あれ、小さくもなれなくなっちゃった…」と一人呟いたのを聞いた時から、ずっと。


「勘違いしないでよね。僕を誰だと思ってるの?」
「え…?」
「君なんていつでも食べちゃえるんだからね、」
「だったら!早く食べ、」
「うん。じゃあ頂きます」
「え?」


そういつも通りの笑顔で言い放った沖田さんは、そのままわたしを床に貼り付けながら首元に顔を埋めた。


「ねえ知ってる?別に食べるのは人間そのもの"じゃなくてもいいんだ」
「はっ!!??」


「この意味、いくら頭の悪い君でも、わかるよね?」


そう笑った沖田さんにその後、ぺろりと食べられてしまったわたしは、これから長くも穏やかな人生を歩むことになる。神様と二人で。







神話の裏舞台

(なまえちゃんっ!今日も食事の時間だよ、)
(嫌ですっ!総司さんっ、子供が見てますっ!!!後で!)
(えー、早くしないと僕飢えて死んじゃうよ?適当に村から女攫って来て食べちゃうよ?いいの?)
(うっ!!!)


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