いつもと同じ時間。ピンポーンと鳴ったのは、我が家のインターフォン。
同時に点いた白黒のモニタには、背筋を伸ばした彼の姿。その手にはいつもと同じく大きな袋が一つ。
わたしは小さく溜め息を吐くと「よっこらしょ」と、あまりにも情けない声を出して立ち上がった。

「…はい、」
「変わりないか」
「昨日の今日で、ありませんよ」
「今日も買ってきた」
「…お疲れ様です、」

扉を開けると、モニタに映されたのと同じまま佇んでいる彼、お隣に住んでいる斎藤さんが無表情でそう言った。ガサリと持ち上げられたのは、彼らしいシンプルなエコバッグで。それには所狭しと食材が詰め込まれているのが見える。
肩を落としたわたしの代わりに扉を支え、いつも通り玄関に足を踏み入れた斎藤さんと一緒に、外の冷気が一気に玄関を冷やした。スリッパラックでは無く、玄関マットの上に揃えられているのは、…いつからか斎藤さん専用みたいになってしまった黒のスリッパだ。それに足を通しながら、彼は袋を持っていない右手で、わたしの頭を一度撫でた。

「今日は何ですかー?」
「本日は、和風おろしハンバーグにしようと思うのだが、」
「え!?肉!?牛ですかっ!?やったぁ!」
「…鳥肉と豆腐で作る」
「…あ、ですよね…。ちょっとでも期待したわたしが馬鹿でした」

そう。この会話だけを聞けば、誰でも同じ事を思うと思う。何故隣の斎藤さんとやらが、お前の飯を作る為に来ているのか…と。それはね…。

わたしにも解りませんっっ!!!!!


「そうあからさまに落ち込むな。これもアンタの為だろう。牛肉ではなくとも鶏肉も立派な肉だ。名前にもある様にな」
「へりくつ…」
「毎度毎度文句を言うんだな。まあ、それも食べ始めるまでの話だが…」
「ぐ、」

してやったり顔をして、まるで自分の家かの様にすたすた上がりこんだ斎藤さんは、真っ直ぐキッチンへ向かい、二人用のダイニングテーブルにバッグを置いた。未だ玄関で不貞腐れているわたしなんてお構いなしで、自分はてきぱきと食材を取り出しては「付け合せは、」なんてブツブツ言っている。ここから見ると、右側が長い髪で隠れてしまっているが、彼は、なんて言うか…。あれなのだ。
世に言う、イケメン。
そもそもこうして話す前は、供用廊下で会って挨拶をするだけの関係だった。そしてその度に「かっこいい、今日も会えた!ラッキー」なんて静かにガッツポーズを取ってたりもしてた。
でも、丁度二ヶ月前にある事件が起こる。それは日曜日の夕方だった。
わたしが夕ご飯を食べていた時、インターフォンが鳴り「宅急便かな?」と食事も中断してモニタを見上げてお茶を噴いた。
お隣のイケメンが玄関に立っているのだ。それはそれは驚いた。慌てて髪を直して出迎えると「夜分にすまない。そちらのベランダにシャツが一枚飛んでいってしまった…」と申し訳なさそうに頭を下げられた。いつもビシっとスーツを着込んだ姿しか見ていなかったわたしは、そのラフな私服姿に心臓を掴まれ、このまま眩暈で倒れるんじゃないかとすら思ってしまった。
そして混乱していたのか、わたしは「よかったらどうぞ、ベランダ見て頂いて構いませんよ」と言っていた…。別に自分がベランダに行って飛んで来たシャツを取って渡せばいいじゃないか!と気付いたのは、それからずっと後の事だった。

「毎度言っているだろう、なまえ。…あんたは放って置くといつか栄養失調で倒れると」
「だから、最近は気をつけてますって!大学でもちゃんと食べてるし…」
「ほお。だったら今日は何を食べた」
「………ポ、ポテトチップス…和風しょうゆ味…」
「………明日から弁当も作ってこよう」
「いい!いいですっ!!!」

あの日斎藤さんは言われるがまま、少し躊躇いがちにわたしの部屋に上がり、ベランダへ向かう途中。あるモノを見てこう言った。

「あんた…それはなんだ、」と。

それって何だろう…と首を傾げつつ振り返ると、わたしが今し方食べていた夕飯をマジマジと見て苦い顔をしている斎藤さんが居て。やっぱりその表情の意味も理解できなかったわたしは素で「え、わたしの晩御飯が何か?」と答えた。机の上には、コンビニの惣菜に、お菓子が広がっている。それはいつもの事だと告げると、真っ青な顔をしたお隣さんが居てますます首を傾げる事となる。

そして、その日から週に大体五回…、お仕事が忙しくない時は毎日の様に、わたしにご飯を作ってくれる様になった斎藤さん。そんな彼のありがたーいお言葉は、こうだ。
「まずは食生活の改善からだ。まともな飯を俺が作ってやる。それを食って食に関して少しは興味を持て、話はそれからだ」と。
………わたしが斎藤さんに対して「かっこいい!素敵!」と言う事は無くなった。
何でこうなったのか未だに解らないままだが、ただ隣りに住んでいると言うだけの女に此処までしなくても…と言う事も、もういつからかしなくなった。

「なんでお肉は週に一回だけなんですか?あんなに美味しい料理作れるんですし、斎藤さんもお肉食べたくないですか?」
「肉は週に一度だと言っただろう。それを変更するつもりは無い。何事もバランスが大切だ。肉ばかり中心の食事も身体に悪い。主に魚、野菜を中心に摂って…」
「待って!解りました!それも耳たこ!…って言うか、斎藤さんお肉嫌い?」
「俺に好き嫌いがあるとでも?」
「ないですよねー…」

うちにエプロンなんて無いです。と言ったら、翌日から持参してきた黒いそれを付け、キッチンに立つ背中をじっと見ているわたし。とんとんと軽快な音で包丁を使う様は、本当にプロの様だ。女として少しだけそれが悔しい。…でももっと悔しいのは、作る料理もプロ級だと言う事。だから文句を言うのも最初だけで、いつも並べられた料理を目の前にすると、何も言えなくなってしまうのだ。

「なまえ、学校はどうだ?もう暫くすると春休みではないのか」
「あ、そうそう!もう明後日から休みに入ります!」
「試験はどうだった」
「何とかできましたよ」
「そうか、よく頑張ったな」
「えへへー」

プロ並みの腕を持っているのにいつも魚、野菜中心の料理しか作ってくれない斎藤さんはあまり好きじゃないけど、料理を作る斎藤さんと話しているのは好きだ。なんだかお母さんみたいで、独り暮らしのわたしにとっては実は救いになっている。前にそれを伝えたら、心底嫌な顔をされたけど。
え、手伝わないのかって?うん。それも前に言ったんだけど、並んでキッチンに立ってものの数分後には「あんたは座っていろ」と包丁を取り上げられた。くそう。

そうは言いつつも、いつの間にか斎藤さんとこうして過ごす時間は、わたしに取って当たり前の事になってきていた。加えて、居心地がいいとまで思ってしまっている。

「長期の休みに入ると、これこそ規則正しい生活が出来なくなる。そろそろ料理の仕方を教えるべきか…」
「ねえ、斎藤さん。久し振りに聞くけどさ…。何でここまでしてくれるの?」
「…それも何度も言っている筈だが、」
「食生活の改善でしょ?…でもさ、確かにわたしは規則正しい生活してないし、食事も適当だけどさ…。斎藤さんただでさえお仕事で疲れてるのに、こうしてご飯作ってくれてさ。ただのお隣さんにここまでしないよ?普通」

「………、普通ならばな」
「え?」

ガシャンと、彼には珍しく音を立てて鍋を取り出した所為で、何を言っているのか聞こえなかった。でも何事も無かったかの様に料理を再開してしまったから、聞くに聞けなくて肩を竦める。取り合えず食器でも並べておくかと、椅子から腰を浮かせた時。

突然目の前に、包丁とジャガイモが飛び込んできた。


「…これを、」
「いいんですか?一緒にキッチン立っても…」
「俺とて、あまり時間を掛けたくはないからな…」
「はい?お仕事でも残ってるんですか?」
「そうではない。あんたはもう少し…鋭敏かと思ったが、そうではないらしい」
「ん?何?何ですか?え、ちょっとジャガイモ押し付けないでくださいよっ」
「いいから黙って皮を剥け」

渋々受け取った包丁とジャガイモを交互に見下ろしながら、ゆっくりと斎藤さんの隣りに立つ。コトコトと火に掛けられた鍋から、いい出汁の匂いが鼻を刺激した。
よく考えたら、最近身体の調子がいいのは…彼の作る料理のお陰なんだろうか。鋭敏がどうとかはよく分からないけど、やっぱり感謝するべきなんだろうな。

まあ、深く考えず。ただこうして同じ時間を供用できれば、それで…いいか。

そう結論付けた時だった、静かだった室内に斎藤さんの小さな声がぽつりと響いた。


「……俺の目標は、」
「へ?」
「…あんたが聞いたのだろう。何故この様な事をしてるのかと」
「ああ、はいはい。突然ですね。教えてくれるんですか?まさか本当に、わたしの食生活を哀れんでなんて……、」


そう言って隣りの彼を見上げる。

でも次の瞬間、
わたしの手からジャガイモがすべり落ちて、がこんと流しに落ちた。



「俺の目標は、いつかアンタの…なまえの作ったまともな料理を食べる事だ、」


見えた左頬は、夕日がさしているのかと思いたくなる程に真っ赤になっていて。包丁を持った右腕でそれを隠す様に俯いた斎藤さんの姿だった。
まとも、は余計だけど、それって…。つまり、

「あまり見るな。刺すぞ」
「…やだ、見る。もっと見る」
「やめろっ!危ない!それに、何をニヤ付いているのだ!俺とて何の気も無く他人に手料理など揮わぬっ!」
「あ、何の気無しって言っちゃってる!ねえ、それってどういう意味ですかぁ!やだ、嘘っ!斎藤さんって、わたしの事!?え?どうしよう!どうしよう!」

「…ならば訂正だ。あんたを肥やして食う為に料理を作ってやっている」

「ぎゃあ!」

「調子に乗るな」と、まだ少し赤い頬で微笑んだ斎藤さんに、胃袋も心も全部持っていかれた。どうやら、そう言う事らしい。
続けて「いつかの食卓で、スナック菓子をだされるのは遠慮したい」と、恥ずかしそうに言った彼は、どうやら下心が満載だったらしい。

「わたし!料理頑張りますっ!教えてくださいっ斎藤さんっ!」
「…途端にヤル気だな、」
「はいっ!わたしにも目標が出来ましたっ!」
「それは?」

「いつか斎藤さんに手料理作って、美味しいって言って貰えたら、伝えたい事がありますっ!」
「…………っ、」
「その時は、聞いてください」

わたしの言葉に息を詰まらせ、今度は耳まで真っ赤にした斎藤さんが頷いた。
明日、学校の帰りに本屋に寄って料理の基礎を学べる本でも買って行こうか。そして、またいつも通りのインターフォンに出て、こうして二人で並んで料理を作ろう。

そうすれば、わたしの食生活も改善されて、今度は斎藤さんと料理以外の話を沢山しよう。

「楽しみにしている…、」
「はいっ!」




専属下心料理人

(何故、じゃがいもの皮剥きも出来ぬのだ…身が半分も無くなっているではないか…)
(うう、わたしにもなにゆえこうなったのか…)
(これは途方も無いな…一体いつにあんたの返事とやらが聞けるのか…)
(え!?)
(口が滑った。忘れろ)
(嫌ですっ!)


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