毎朝、身体いっぱい朝日を浴びて洗濯物を干す時にする皺伸ばしの為に「パンッ」ってした時に揺れる背中が好き。

「作るのは好きだけど後片付けが嫌い」と唇を尖らせながら、ふたり分の食器をじゃぶじゃぶと洗うその白い手が好き。

いつもお弁当箱を開いて、彼女らしい色合いのおかずを見てキッチンに立って料理に奮闘する横顔を想像するのが好き。

仕事から帰って来て、スリッパを鳴らして駆け寄ってくる時の笑顔が好き。

「ねえねえ、なまえちゃん、」
「総司っ!今はダメだって言ってるでしょっ!下がって!」
「そうは言っても、こんな所までは跳ねないと思うんだけど」
「跳ねるのっ!跳ねるのよっ!こいつらを甘く見ちゃダメ!ポーンッて凄い勢いで跳んでくるんだからっ!離してっ!」
「ふうん、いいけど。でも、たまにひっくり返さないと焦げちゃうよ?」

目の前で肩を竦めて菜ばしを持ったなまえちゃんの腰に腕をまわすと、そんな感じで振りほどかれた。

別にこんな事は日常茶飯事だから今更堪えたりなんかしないんだけど、一度も僕の顔を見なかったのは頂けない。その大きく真剣な横顔を見てから、ゆっくりと目の前のIHクッキングヒーターを見ると、そこには中華鍋?ってくらいに大きな鉄鍋が香ばしい音を立てて唸っていた。

今僕の最愛のお嫁さん…、なまえちゃんは、戦っている。


イカの天麩羅と。


夕飯の支度をしているのをリビングからじっと見てたんだけど、ずっと「イカは跳ねる!イカは跳ねる!」と連呼して、じりじりとヒーターから後退していく背中を見て、自分で「イカの天麩羅食べたい」といった事を少しだけ、ほんの少しだけ後悔していた僕。
いや、まあ確かに跳ねるけど、そんなに怯えなくてもいいんじゃないかな。と思いつつ彼女に視線を戻すと、鍋の蓋を盾代わりにして、ぶるぶると肩を震わせているから見ていて面白い。

「ふう、水切りが甘かったのかな…やっと大人しくなった、」
「…命がけだね」
「家事はいつも命がけですけど…、」
「あっははは、そうだったね。いつもありがとう」

やっと爆発が沈静化してきたのを見て、鍋の蓋を何故か僕に押し付けていくなまえちゃんは、やりきったとばかりに額の汗を拭っている。

ああ、また抱きつき損ねちゃった。
家を購入する時に、僕が「狭いキッチンは嫌だ」と、料理をするわけでもないのにそう言ったから、こんなに広いキッチンにしたのに、これはある意味失敗だった。
何が失敗かって、広いから僕となまえちゃんとの距離が自ずと離れちゃうって事。
結婚する前は狭いアパートに住んでいたから、思い切って買ったはいいけど広いマンションだと狭い事を理由にべたべた出来なくなった。
彼女は僕より年上だから、過剰なスキンシップに凄く敏感で。最初の頃も歳の差を気にして余りいい顔はしてくれなかった。それでも付きあってるんだからいいじゃない。と面白可笑しく言う僕に鉄拳を食らわせたのは、未だに僕のトラウマだったりする。

「総司、リビングでテレビ見てていいよ、」
「ええー、テレビつまんないんだもん」
「今の若者はテレビ離れが激しいって言ってたけど、総司もそのくち?」
「それは知らないけど、世界の車窓からは毎晩見てるよ」
「ああ、見てるね…あの繋ぎ番組、」

仕方ないから邪魔にならない様にダイニングテーブルの椅子に腰掛けてなまえちゃんの背中を見つめる。穴が空いちゃうんじゃないかって位見てるけど、その気配に気付ける様な繊細な神経を持っていないのか、鍋からイカを掬いながらクスクスと笑っている。

ああ、もう。
僕がどれだけ熱視線を投げても、どれだけ態度や言葉で示しても、その持ち前の鈍さであっさりとスルーしてくれるんだから。
きっと今はイカの事しか考えてない。あとその笑いを聞く限り、イカとは別に「世界の車窓から」の事も少し考えているかもしれない。

「あーあ、」
「どうしたの、総司。溜め息なんてついちゃって、幸せが逃げるぞ」
「もう逃げてるよ…」
「え、じゃあ吸い込みなよ、溜め息」
「遠慮しとく」

今まで付き合ってきた子の人数は覚えてないけど、そんな顔もうろ覚えの女の子達の中になまえちゃんと同じタイプの子なんて一人も見当たらないんだけど。そもそも、誰と付き合っていても、頭のどこかで「僕はきっと結婚なんて一生しないんだろうな」なんて思ってた。だって誰も彼も皆が皆、僕がこうして、って言ったら従うし、ああして、って言っても従うし、それが嬉しかった反面、つまらないとも思っていた。
でも、彼女だけは違った。
僕が間違った事をすると真っ先に土方さんばりの説教が飛んできたし、喧嘩した時だって、僕が悪かったら謝るまで許してくれないし…。はじめ君に言ったら「それは至極当然の事なのだが、あんたは今までどんな女性と付き合っていたんだ…」と呆れられる始末。最初は年上だからかな。とか余裕で構えてて、「まあ、その内…君も僕に骨抜きになるんでしょ」なんて、今考えたら僕何様?って位になまえちゃんとの恋愛を舐めていた。

「総司、何ぶつぶつ言ってるの?出来たよ、イカ天」
「わあ、見事にイカの天麩羅一色だね」
「ふふ、総司のリクエストはなるべく聞いてあげたいからねっ!頑張った!」
「他のおかずは無いんだね、まあ君らしいと言えば君らしいか」
「え、じゃあ前に食材が足りなくて断念した、ビーフシチューも作ろうか?」
「イカの天麩羅にビーフシチューか、斬新過ぎて胃凭れがしてきた、」
「まったまた〜」
「あっはははは」

まあ、いつもこんな感じでゆるーい夫婦やってるんだけど、きっとこの光景を昔から知ってる知り合いが見たら腰を抜かすと思うんだ。それこそ物心ついた頃から我儘放題だった僕。土方さんやはじめ君が見たら「総司が化けの皮を剥ぐどころか、二重にして被った」なんて、そんな感じで言われちゃうと思う。

食卓に並んだ…いや、並んでないけど。一枚の大皿にドサドサと天麩羅にしては重い音を立てながら乗せているなまえちゃんを横目で見ながら、僕はしみじみと思う。

僕の方が、骨抜きにされちゃったなあ。と。

「ねえ、なまえちゃん」
「何?ちょっと待って、もうお茶碗並べたら終わりだから……あっ」
「あれ、なあに?エプロンの紐解いたくらいでそんな悩ましい声出しちゃって」
「悪戯しないのっ!ご飯付けないよっ!」
「いいよ、イカの天麩羅はおつまみにもなるからね、僕はこれとビールだけでも」
「ダメっ!ちゃんと食べて!」
「だったらいいでしょ?」

シュルっと音を立てて、腰の後ろにあったリボンを解くと顔を真っ赤にして怒り出すなまえちゃん。
昔からこうなんだ。僕がする些細な悪戯にも過剰に反応して顔を赤くする。別にエッチな事しようって言ってるわけじゃないのに、それでも触れる度にこんな反応するんだから新鮮で面白い。こうしてると年上だって事を忘れそうになる。
そう言ってる間にも、若干混乱し始めたなまえちゃんを僕の膝の上にお招きする。

「総司、イカがしょんぼりしちゃうから、っ」
「しょんぼりって何?冷めて萎んじゃうって事?」
「あ、」

じたばたと暴れるなまえちゃんの腰をしっかり抱き留めて、くんくんと首筋の匂いを嗅ぐ。ここで今までだったら甘ったるい香水の匂いとかしてきたんだけど、この子は違う。生活感丸出して、イカの天麩羅の匂いがしてくるんだもん。あと、微かに僕と同じ石鹸の匂い。こういうのが幸せだって気付いたのは、いつ頃だったかな。
ぎゅうと強く抱き締めて、持たれかかる様に前倒しにすると「ぐえ」なんてイイ雰囲気なんてぶち壊すみたいな声も、

「大好き」
「え、」
「ねえ、なまえちゃん、大好き」
「…っ、」

僕はね、いつからか君に掴まれた。それは心臓?神経?もっと深くにある心かな?胃袋……は、うんいいや。

「ねえ、キスしたい」
「い、今っ!?ご飯食べてからにしてよっ」
「ヤダよ、イカくさいちゅうなんて、そのままいい雰囲気になったらどうするの?それこそ萎んじゃうよ」
「な、何をっ!!!!」
「…ね、」

ぷるぷるとチワワみたいに震えながら僕を見上げるなまえちゃんのお腹を撫でて、目を細めると、涙目になりながら真っ赤を通り超してのぼせそうな位熱いほっぺが目に入り、そこから食べようと背を曲げる。
ちゅ、と小さく音を立てて唇を落すと、身体中に力が篭められるのが分かる。伝わる。くっ付いているから、僕には分かる。それが、凄く嬉しいし愛しい。

「はい、頂きますのちゅう」
「んっ、」

ほっぺの次に瞼、そして鼻先に唇を落としたところで、はい。頂きます。
ぱくりと食べるみたいになまえちゃんの柔らかい唇に僕の唇をくっ付けると、とろんと瞼を落としてそれに応えるみたいに首を伸ばす。

「わたしも、総司が…好き、」
「知ってるよ」

ああ、忘れてた。
いつも僕の甘えから逃げられてばかりだけど、こうして運良く捕まえた時に、どんなお菓子より甘くなる声が、


大好き。






好きがいっぱい


(ね、このまま寝室に連れてって全部食べ尽くしちゃっても、いい…?)
(だ、だめ!先にイカ!)
(…はあーい)


あとがき→


prev next

bkm

戻る

戻る