「斎藤先輩、お願いしますっっ!!!!この通りっ!!!」
「ならぬ、せめて放課後まで待て」
「放課後じゃダメなんですって!!さっきからそう言ってるじゃないですかっ!」
「…あんたは…。少しは反省と言う言葉を知ったらどうだ。もう二限が始まる故、失礼する。さっさと己の教室に戻れ」
「ぐうぅ、」

ガラガラピシャリ。
と、軽快な音を立てて閉まった扉を睨んで、わたしは唇を噛んだ。
さして身長差なんて無い筈なのに、あの無表情で見られると自然と身体が縮こまってしまう。完敗だ。
はあああ、と大きな溜め息を付いて肩を落すと二限の始業を告げるチャイムが校内に響き渡る。ばたばたと自分のクラスへと駆け込んでいく人達を見ながらわたしはもう一度だけ閉まったままの扉を睨み、踵を返した。
階段一つ上がるだけで自分の教室に辿り着くんだけれど、どうしてか足は二つ目の階段の踊り場を通過していた。
向かう先は、禁断の花園…と生徒達から言われている屋上。漫画やアニメなんかでよく屋上の描写が出てくるけど、実際に自由に屋上を出入り出来る所は少ないと思う。うちの薄桜学園もそれは例外ではなく、屋上へと出られる扉の前には「関係者以外立ち入り禁止」の立て札。
さっきまで廊下には生徒が溢れていたから、背後に聞こえていた雑踏はもう止んでいて。ただ扉を前にしたわたしを静寂が包んでいる。

「あーもう!斎藤先輩の鬼畜!ド真面目!分からず屋っ!馬に蹴られて脳震盪起こしちゃえ!」

立ち入り禁止の立て札を、思い切り退かしてその扉のちょうどドアノブの下辺りを蹴り飛ばす。わたしに蹴られたその場所は少し凹んでいて、何重にも足跡がついているのが見て取れる。え、わたしじゃないわよ。…いや、わたしの足跡もあるかもしれないけど、数える程だし。
「ドアノブの下を蹴ると鍵が開くんだ。締めれば鍵はまたかかるよ。覚えておいて」そう教えてくれたのは、悪友…と言うか、わたしに色々と新しい事を教えてくれる優しい沖田先輩だ。斎藤先輩は「あまり総司に関わるな。碌な事にならん」とかなんとか言ってたけど、わたしからしたら斎藤先輩に捕まった方が碌な事にならないとすら思う。

迷わず扉を開けると、一気に開けた視界に青空がパノラマで映る。高い場所は風が強いからスカートを押さえる所だけれど、授業中の今ここにはわたししか居ないからいいか。と一歩冷たいコンクリートを踏みしめる。
今日は比較的温かいから、思い切り肺に空気を吸い込んで全身に太陽を浴びると凄く気持ちがいい。心にはまだ焦りが残っているけれど、どうしようも出来なかったものは仕方ない。「次の休み時間にでも再チャレンジしてみるか…」と小さく呟いた言葉は、風に乗って雲ひとつ無い空へと上っていった。

事の起こりは、今日の朝。
いつもは堂々と正門を潜るんだけど、今日は違った。こそこそと塀に隠れながらも、逃げるように裏門へと足を運んだわたしは、風紀委員の存在がそこに無い事に安堵しほっと胸を撫で下ろした。正門ではいつも早くから風紀委員がこぞって生徒達の違反チェックを行っている。これは毎日の事なんだけれど、今日はどうしてもそれを回避する必要があった。
ぎゅう、とブレザーの上に置いて胸元を掴むと、鞄を顔の横に宛てて誰も見て居ないのに抜き足差し足で裏門を潜ったわたし。

なんだあ。簡単じゃん。さすが沖田先輩情報。風紀委員を撒くなら、裏門。とはナイス情報です。感謝しますっ!!!
思い浮かんだ彼と同じ様にニヤリと笑ったわたしが、鞄を下ろして鼻歌を歌った時だった。

「そこの女子生徒。待て、」
「っひ、」
「…また、あんたか…みょうじ」
「サ、サイトウセン、パイ…オハヨウゴザイマス…」
「ああ、おはよう。裏門から人目を忍んで登校とは、随分と今日は控え目ではないか…、」

背後から声を掛けられて、思わず心臓が口から出るかと思った。ぽんぽんと口元を確かめるが、そこに心臓はない。よかった。
いや、よくない。全然よくないのだ。今日だけはどうしても彼から逃げなくてはいけない理由があったのに。まさか、裏の裏を掻かれたの!?それとも彼のあのひょんと立った一本のアホ毛は、悪い子センサーか何かなの!?
ぐるぐると回りそうな目を剥いて、押し黙ったわたしにじりじりと近付いてくる斎藤先輩。その綺麗な顔を顰めて「何故逃げようとするのだ、」と引く声で呻いた。
ここで平静を装えばもしかしたら逃げられたかもしれなかったんだけど、わたしの足は自然と後ろへと進んでいた。
一か八かで斎藤先輩に背を向け、駆け出そうとした所で、

「首元にチェーンが見える。出せ」
「こ、これはダメっ!」
「アクセサリー類を身に付ける事が校則違反だと知っていて言っているのなら、没収に加え反省文だが、」
「そ、それは…っ」
「三秒待とう。三、二、い…」
「っ!」

わたしは、斎藤先輩のこれに弱い。
カウントをされると、反射的に要求に従ってしまうのだ。それは何度も沖田先輩と悪戯をした時に、わたしが捕まってたっぷり怒られてきた経験がそうしているらしい。
無念とばかりに、ワイシャツの一段目のボタンを開けると、斎藤先輩は少しだけ視線を逸らして「それはなんだ」と聞いた。
取られてなるものか、と首元からは外さずに見せたのは、チェーンに繋がれた一個の指輪。シンプルなデザインだけれど、これはとても大切な物。
なのに、

「没収だな、」
「だ、だめえ!」
「放課後になったら返してやる。土方先生の説教付きでな」

と。見事に裏門登校作戦は失敗した挙句、大切な物まで一時的にとは言え手離してしまっている。本当になんて事だ。厄日もいい所。
ごろんと横になったコンクリートが冷たくて、授業中に焦っていた心は少しばかり落ち着いてきていた。と同時に、ずっと張っていた緊張が熔けていく。
二限は確かぱっつぁん先生の授業だったなあ、とぼんやり考えながら、わたしはそっと目を閉じる。ぽかぽかと温かい日差しが、わたしの意識を攫っていった。


「みょうじ、起きろ」
「ん、…、」

大好きなおばあちゃんと並んで笑っている夢を見た。
そのしわくちゃな手には、ひとつの指輪が光っている。それを嬉しそうに指でなぞったおばあちゃんの笑顔がわたしは大好きだったんだ。『なまえ、これはね、大好きな人と私を繋げてくれた大切な物なんだよ』と、もう今は聞けない優しい声が聞こえた気がした。

「あれ…?斎藤、先輩…?」
「あんたは何度言ったらわかるのだ。ここは生徒の立ち入りは禁じられている筈だが、」
「…、ああ、すみませんでしたー」
「…この事は、」
「はいはい、お好きにチクっちゃってくださーい」
「…みょうじ、」

斎藤先輩は座ることもせず、立ったまま寝転がっているわたしを見下ろしていた。
寝ぼけ眼で、視界に入れた先輩は自慢のアホ毛(勝手に言ってるだけ)を風に遊ばれながら、背負った晴天とは間逆で曇った表情をしていた。
なんだか気分が悪くて悪態をつきながら身体を起こすと、どうやら一限分まるまる寝ていたのだと気付いて、さらに気分が悪くなった。
わたしの名前を呼んで、そのまま動かなくなった斎藤先輩を他所に、わたしは乱れていたスカートを直す。このスカートだって、斎藤先輩が五月蝿く言うから規定の長さを保っている。他にも隠れて違反している子は沢山居るのに…。
自分がこんな嫌な事を考えているのにもそろそろ疲れてきたから、適当に言い訳して教室に戻ろうと、再び立ったままの斎藤先輩を見上げると、目の前で、太陽にキラリと反射する物がひとつ。

「誰にも言うな。特に、総司には…」
「え、」
「返すと言っている、二度は言わん。受け取らぬならやはり放課後に改めて、」
「あ!いえ!ありがとうございますっ!!!」

斎藤先輩の手に乗っていたのは、わたしが今朝没収されたチェーンに通した指輪だった。
それを受け取って茫然と眺めていると、隣りに少し距離を空け腰掛ける斎藤先輩。生徒が立ち入り禁止のこの屋上の風景と、優良生徒の鏡である斎藤先輩の姿が何ともミスマッチ過ぎて、わたしは思わず首を傾げてしまった。

「あんたの様子がいつもと違った故、気になって…」
「気に、なった、とは」
「ち、違う!別にあんたの事をずっと考えていたと言う訳では決してっ」
「な、何言ってるんですかっ、」
「っ、……………、」
「………………、」

いつも騒がしい校内とは違って、風の音と遠くから車の走る音や電車の音しか聞こえないこの空間。そこでふたりして黙れば、何とも気まずい。何故か頬が熱くなって斎藤先輩の顔が見れないわたし。隣りに伸びている長い脚が嫌でも視界に入るから、意識してしまうのはもうしょうがない。取り合えず空気を戻そうと、わたしは手元に無事戻ってきた指輪の話しを、するつもりなんて無かった癖に喋りだした。

「これ、おばあちゃんの形見なんです、とても大事な物で…。生前、価値もわかっていないわたしが強請って、貰った物なんですよ」
「…、そうだったのか、しかし。そんな大切な物を見に付けて登校してくるなど、」
「はい、わたしだって普段は大切に保管していますけど、今日は特別なんです」
「はぁ、」
「おばあちゃんの命日ですよ、」

そっとチェーンを掴んで空に掲げると、目の前でくるくると回って見せる指輪。同時に光を浴びてわたし達の前できらきらと光っていた。今日は、今日だけは、大好きなおばあちゃんと一緒に居たかったんです。と柄にも無く笑っていると、隣りで斎藤先輩が勢い良く立ち上がった。
なんだなんだと、わたしも驚いて彼を見上げると、逆光になってその表情はよくわからなかったけれど、どうやら斎藤先輩は左手で口元を多い、地面を睨んでいる様だった。
そして、そのまま何も言わずに屋上を出て行こうとする背中を追いかける。うわ、スカートに変な皺が出来ているけれど、直るかなあ。ぱたぱたと斎藤先輩の背中を追うと、扉の少し前で佇んでいる背中。

「先輩?…どうし、」
「みょうじ、すまない」
「え?へ!?」

ぐいっと突然腕を引かれ、そのまま。
と、同時にガンッと扉を蹴る大きな音。

でも、わたしの耳にその音なんて、入ってこなかった。
わたしの視界に入ったのは青い青い空とそれに浮かぶ太陽、そして斎藤先輩の透き通った白い頬と、近くで見ると意外にふわふわと繊細な髪、あと石鹸とお日様のいい匂い。
更にわたしの腰に周った腕は、何気に逞しく、わたしのお腹に当たっている腰はきゅ、と引き締まっていた。「あ、斎藤先輩に抱き締められている」と思った時には、もう心臓は経験した事の無いくらいの速さで脈打っていた。

そして、動揺して何も言えないで居るわたしの耳に、知らない声。
「なんだ、先着ありかよ」と、不機嫌そうにそういい捨てた男子生徒の声。察するに彼も屋上に来たらしいけれど、わたし達の存在を見て再び扉を閉めた。
バタン、と気持ち乱暴に閉められた扉の音を最期に、再び静かな時間が流れ出す。それでもわたしの腰に周った腕は解かれる事は無かった。

「さ、斎藤…先輩、?」
「…………、すまない、今は駄目だ」
「え?」
「今、あんたに…俺の顔を見られる訳にはいかん。もう少し辛抱をしてくれ、」
「何言って、」

指輪を握ったままの手で、彼の胸を押すと自然と斎藤先輩の横顔が視界に入る。

「え、せ…っ、先輩っ」
「見るなっ、」
「真っ赤じゃないですかーーーっ!」
「黙れ、五月蝿い、声が大きい、あとあんたは正直にモノを言い過ぎだっ、」

捲くし立てる様にそう言った斎藤先輩の方が声が大きかった。頬だけじゃ飽き足らず耳と首筋まで染めている先輩は、どうやらさっきの生徒に風紀委員の自分が立ち入り禁止区域に居た事を知られない為に、ああいった行動に出たんだろうけど、まさかあの斎藤先輩があんな大胆な隠れ方をするなんて。とわたしは、思わず噴出してしまった。
けらけらと笑うわたしを睨んで「笑うな、仕方がないだろう」と続けた先輩は、わたしに回していた腕を解く。そして、未だ真っ赤な顔でわたしの手を取り、そこから指輪のチェーンを掬った。

「ちょ、怒ったんですか!?すみません、没収はっ!」
「違う、」

今度は、ふわりと首元に回った斎藤先輩の腕。そして首の後ろでカチリと留められたチェーンがヒヤリと冷たかったのに対して、彼の腕は少し震えている上に熱くて。

「みょうじ、いいか。俺は今から、人生で初めて勢いだけで物を言う」
「へ?」

「…………俺はずっと…あんたを、」




太陽の輪


(更に顔を真っ赤にして俯いてしまった斎藤先輩を見て、おばあちゃんの言っていた事は本当だったんだと、わたしはその静かに指輪を握り締めた)

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