目を覚ますと、まだ薄暗い時間だった。
布団の中がすっごく温かくって再度降りてしまいそうになる目蓋を押し上げると、目の前にある無防備な寝顔。
もう何度も何度も見ているはずなのに、いまだに慣れないのは、わたしが起きる度に幸せの再確認をしているからだろう。

ふにゃ、と静かに顔を緩ませたけれど、きっと自分の頭の中で想像しているよりずっとだらしない顔になっていると思う。
目覚まし時計を見てもいいんだけど、それをすると二度寝が出来ると自分を甘やかしてしまうから、ここはぐっと我慢だ。
まず身体を起こそう。そこから色々考えるのが一番いい。

今日は、一日忙しくなりそうだ。






「なまえっ、すまないが俺の荷物を再度確認してはくれぬだろうか!」

「は、はい!」

「これを食べたら直ぐ出るぞ。飛ばせば間に合う!」

「そんな慌てなくても、多分大丈夫ですよ?今日は良いもの食べられるんだから残せばいいのに…、」


ぐい、と味噌汁の入ったお椀を傾けたはじめ君が、未だ直らない寝癖をびょんびょんさせながら「出された物を残す事はしたくない」と、まるでこちらが間違っているとでも言いたげに目を細めてそう言うもんだから、わたしは肩を落としつつも「ありがとうございます」とキッチンを後にした。

毎朝、わたしが簡素につくる朝食を、米のひと粒さえ残さないはじめ君。お味噌汁にしたって「いや、毎朝出汁とるの面倒なんで粉で」とゴリ推した結果、お椀の底に残る溶けきらなかった粉末出汁さえ飲み干してくれるのだ。ちなみに我が家は合わせ味噌。
わたしの方は、今まで朝ごはんをきちんと摂る習慣は無かったんだけど、はじめ君のおうちに転がりこんでからは、朝昼晩と欠かさず食べていたりする。
そのお陰で少しお腹の辺りが逞しくなってきた感はあるが、そこは持ち前の明るさでカバーする。いや、していきたい…。

未だ、二人用のダイニングテーブルで忙しなく米粒を駆逐している彼のいい付け通り、寝室で纏めてあった大荷物のチェックに取り掛かる。


「んーと、大丈夫だよね、あれもこれもそれも入れてあるし…、後は向こうが用意してくれるって言ったし、」


旅行にでも行くのかってくらい大きなバッグを漁り、独り言を言っているとキッチンの方で「ごちそうさまでしした」と聞えたから「はーい!」と返事を返す。
続いてバタバタと珍しく足音を立てて洗面所の方へ消えていったはじめ君がおかしくて、閉まったままの扉に向って笑いを零した。

昨日はあまり眠れなかったんだろうなぁ。
わたしは酒も入っていたし、速攻だったんだけど、はじめ君は緊張してか、あまり酒が進んではなかった。動きも若干ぎこちなかったし。こういう時は、女の方が肝が据わっているとは言うけど本当にその通りだと思いながら、確認し終わったバッグを閉じ荷物を持って部屋を出た。


「はじめくーん、行きますよー?」

「ああ、すまない。まさか寝坊するとは思わなかった…」

「寝坊のうちに入りませんって、たった5分じゃないですか」

「その五分が命取りになる…」

「相変わらず、何と戦ってるんですか?」


身支度が整ったらしいはじめ君にそう言うと「己とだ」なんて、真面目に真面目を上乗せしたかの様な返事と、その強張った表情を見てついに噴出してしまった。いやー、なかなか見れないよ、こんな顔。今手元にデジカメあったら20枚くらい撮ってるわ。連射モード起動させてるわ。
そんなわたしを見て「あんたはいつも通りだな」と柔らかく笑うもんだから、噴出してしまった口元を両手で塞いで笑顔で誤魔化しておいた。寝癖、びょんびょんしてます、はじめ君。


「では、行くか。忘れ物は無いか?」

「はい、大丈夫です」

「……大丈夫、か」

「…え?はい、だから大丈……。あの、はじめ君?」


玄関に並んで立ち、さあいざ扉を開ようと言う場面で、はじめ君の声が静かに鼓膜を揺らす。
何事かと彼を見上げると、なんだか真剣な面持ちでカーテンを閉め切った室内をぐるりと見渡している。
何をしているんだろう、そうは思えどその横顔から、何かを噛み締めているような、後ろ髪を引かれている様な、そんな感慨深さが窺えてわたしも同じ様に部屋の中に視線を移した。



わたしがはじめ君と付き合いだし、あれよあれよと言う間にこの部屋へ転がり込んでから、早一年と半分。その日のことは、ついこの間の出来事かの様に思い出す。

付き合う前にも二人で見たクリスマスのイルミネーション点灯式。仕事上がりに「今年も、見るか」と言ってくれたはじめ君と並んでそれを見に行った日だった。
その年も、夕方のニュース番組で取り上げられ、声の高いアナウンサーさんのカウントダウンを聞きながら、わたしは「ああ、また今年も斎藤さんと見れた」と悦に入っていた。何気に涎も垂らしていたと思う。

そして、3、2、1でツリーが点灯する瞬間。
突然抱き寄せられ、わたしの頬に唇を当てた(正確にはぶつけてた)はじめ君が、わたしにだけ聞こえる声で「俺と結婚してくれ」と言った。

ぐるぐると竜が昇るみたいに、ツリーの天辺に鎮座した人工星に伸びていく電飾を見ながらも、わたしの意識は全部彼の体温に持っていかれてしまった。
はじめ君に関しては、ずっとその体勢でわたしの返事を待っているから、それすら見ていなかった。抱き締めると言うか、すがり付いてるみたいな距離に、驚いたのは言うまでもない。寒かったから着込みに着込んで着脹れ気味のわたしでも、彼の腕の震えがわかってしまったのだから。

隣りのカップルの男の方が、わたし達に気付いて「ヒュ〜」なんて口笛を吹いたけど、アイムジャパニーズ、黙ってろボケ。なんて視界から消し去ると、わたしは真っ赤になって顔も上げられないらしいはじめ君に「喜んで!」と飛びついたのだった。何気に口笛吹いた男の人とその隣りにいた女の子が小さく拍手してくれていたのはいい思い出だ。アナナタチ イイヒトタチ。


そこからは、まぁ、早かった。
お互いの両親に挨拶を済ませ(この日初めて緊張の所為で酒の味を忘れた)、色々と悩んだ末、長年勤めた会社を寿退社し、式の日取りを決めたのだ。

大学を出て、まさか採用されるとは思わなかった大企業に入社してから数年。その日までずっとこの会社でやってきたからか、退社する時本当はやめたくないと思った。「この会社がわたしと斎藤さんを出逢わせてくれたんでずよぉぁ!?」とそう送別会で号泣すれば、その年から移動になった井吹君がどん引きしていたっけ。余談だけど「二度とあんたと酒を飲むのは嫌だ」とまで言われた。…そ、そんなに?
でもまぁ、日が過ぎるとなんとやら、適当に新しい働き先を見つけて心機一転するのもいいな。なんて思っている自分が居る。とりあえず結婚式が先だと、今日まで歩いて来た。

…そして本日が、その結婚式当日になる。


「色々あったな…、と思い出していた。何故今なのかはわからぬが、こういう緊張もたまにはいいものだな」

「そうですね…。あ、見てくださいはじめ君。あの柱の所、わたしが酔っ払ってつけた傷ですよ」

「それは、今は思い出さずともいい」

「はい、ですよね。ごめんなさい」


時間が押していると言うのに、相変わらずなわたし達は、きっとこれからも相変わらずで生きていくんだろう。


「いかんっ、なまえ!流石にもう出なくては間に合わんっ!」

「うわっと!はい!!」

「急ぐぞ」

「了解です!」


籍を入れるのは、お互いの意見もあって式の後にした。
今日はまだ旧姓だけど、結婚式を挙げたらもうわたしは斎藤さんになるのだ。ああ、わくわくして心臓が潰れそう!!!
「斎藤さん」呼びが嫌だと言うから「はじめさん」って呼んでいたのに、それでもちょっと他人行儀だなんだと拗ね気味だったから「はじめ君」と思い切って呼んでみたあの時よりずっと、潰れそう。ちなみに、はじめちゃん呼びはやっぱり却下された。

ヒールを履いて、玄関の扉を支えてくれていたはじめ君に向って、わたしは一歩踏み出した。


「よっしゃ!待ってろ、美味い酒!」




相変わらず


(言っておくが、俺達は二次会まで食事は殆ど出来ぬぞ…)

(………………えっ?)




2014.12.13

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