わたしの家には気難しい同居人がいます。

なんて言うか、本当に気紛れで、たまに爪は立てるわ、噛み付くわ、機嫌が悪いとそっぽ向くわでもう大変。猫?ああ、そうかもね。猫っぽいって言われれば猫に見えてきた…。でも猫ってほら、そこがいい所じゃない。それに意外に懐いてくれれば、たまーにデレてくれるし、あはぁあん、猫耳…ね、猫耳!?誰だ言ったヤツ表へ出ろ!そして熱い抱擁を交わそうじゃないっ!!!


「…気持ちわる、」
「そうだねー気持ち悪いねー、いいよいいよ、もっと気持ち悪がっても」
「俺の半径一メートル以内に入ってこないでよ」
「それだとわたし玄関で暮らさなきゃ…」
「ああ、そうだね。そうしなよ」
「わたしの家だよっ!?」

手に持っていたクッションをぎゅうと握り潰して、その猫…もとい同居人を見るとリビングに置いてある二人用の小さなテーブルの椅子に腰掛けて、何だか難しそうな本を読んでいる。同居人…もとい薫は、こっちも見ずにぺらりと頁を捲ってみせた。

と言うか薫は、どうしてわたしの考えてる事がわかったのかしら。流石に猫耳なんて言ったら本人に殴られるか蹴られるかするから、いつもこういうけしからん妄想は脳内だけに留めていたのに。

「お前、いつも声に出てるからね」
「えっ!?嘘だっっ!」
「五月蝿い、」

はあ、と盛大な溜め息を吐いて本を静かに畳んだ薫は、キッとわたしを睨みつけてからゆっくりと椅子から立ち上がる。殴りに来るのかと思ったけど、そのままわたしに背を向けて自室へと消えていった。

本当に気紛れと言うか、何だか今日はいつにも増してご機嫌が悪い気がする。

彼…あ、彼女じゃないよ。彼だよ。確かにすっごぉおおく綺麗なお顔してるし、見た目はもうプリチィキュートな女の子でも全然通るんだけど、性別は男の子だからね!これ言ったら殺されるからね!楽な死に方は出来ないよ。おっと話が逸れた。

薫は、事情があってわたしの家に住んでいる。
彼のお家は少し複雑で、そうりゃもうお隣に住んでいたわたしから見ても、厳しいお家柄だった。小、中と見てきたけど、夜遅くまで人が出入りしていたりするから聞いてみると「夜中の二時まで家庭教師が来るんだよ…」と、本当に嫌そうな顔で言ってのけた薫。舌打ち付きで。
薫には双子の妹も居るんだけど、これまた複雑で…。って言うかまず薫が身を置いている南雲家って言うのは、薫が産まれた家じゃない。所謂養子ってヤツで。小学校に上がると同時に一人であの家に貰われたらしい。
妹さんの方は、溶けちゃうんじゃないかって位にホントウの親に愛されていたんだって。
わたしも機会があって何度か会った事があるんだけど、砂糖菓子みたいにほんわかした女の子。ぶっちょ面の薫と並ぶと「本当に二人は双子なの?」なんて言う人も居た。

「あー、もうこんな時間かー。お買い物行かなきゃなあ、」

薫はそれはそれは必至に義理の両親に愛されようと、一学年も先の勉強も、毎日のように組み込まれた習い事も頑張っていた。表には出さなかったけど、ずっと“頑張っていた”んた。
薫に「都内で一番レベルの高い学校へ進学しろ。それ以外は認めん。留年してでも行け」なんて言っちゃう糞みたいな…おっと、厳しい教育方針だったから、家も含めて近所中が薫を心配していた。
それに、わたしは薫と同じ高校には行けなかったし(馬鹿だから)、受験の間はお隣だって言うのに会わないなんて事も普通だったしね。
一つだけ救いだったのは、雪村(…だっけ?)の家に残った妹の千鶴ちゃんが薫と同じ高校へ進んでくれたこと。彼女は、離れていても…きっとわたしよりずっと薫を心配していたから。

そして高校進学と共にわたしと薫は、直ぐ隣りに住んでいたのにも関わらず顔を合わせる事は無くなった。
でも…まあ、よく聞くよね。幼馴染だけど、すれ違いでいつの間にか疎遠になんて。

「薫ー、わたし買い物行ってくるねー、」

支度をして玄関へと向う狭い廊下で、部屋に居る薫に声を掛けるけれど、何も返事はない。

昔はよく笑って、よく話す普通の年相応な男の子だった。
でも中学に上がってから、笑わなくなった。
高校に上がってからは、本当に何も知らない。

時は過ぎて、わたしも大学へ進んで家を出た。
そうしたら本当に薫との接点なんて皆無で。実家に居た頃は母親から「今日薫君に挨拶されたわよ、本当に礼儀正しい子ね」なんて、きっと余所行きなんだろう…素直な薫の情報は入ってきたんだけど、家を出たらそうは行かない。
そして、ずっと南雲家の事を気にしつつ…わたしが無事に大学を卒業したのが去年の春。
今は社会人一年目なんだけど…。

「さて、今日は薫のご機嫌が悪いから好物作るかなぁ…、」

地元の激安スーパーに着いて買い物カゴを揺らしながらわたしは、ふとあるモノが目に入った。それは手を繋いで歩く家族。
お母さんを見上げながら一生懸命話をする男の子。そしてそんな男の子を優しい笑みで見下ろしながら、頷く優しそうな横顔。
これがきっと“家族”のあるべき姿なんだろう…。

ある日。仕事帰りに駅の近くのコンビニに寄ったわたしは驚いた。
駐車場の…なんて言うの、あれ。車止め?…それに座っている薫の姿を見た時に、懐かしさの前に感じたのが「怖い」だった。
死んだような目でゆっくりわたしを睨みあげたその目に、思わず鞄を落としそうになったのを覚えてる。
「…なまえか、久し振りだね」と静かに口の端を上げた薫は、確かに笑っていたけど。それは、会えて嬉しいとかじゃなくて、目に見える全ての幸せを蔑む目だった。

そして何も言えないで佇んでいたわたしに「ねえ…。お前の家で俺を飼ってよ、」と、冷たい声音へでそう言われたんだ。

「えっと…、好物、好物〜薫のこうぶつ〜、」

意味不明な歌を口ずさみながら食材を物色していると、気付いた事がある。
いつもわたしが作ったモノを美味しいとも不味いとも言わない薫の好物ってなんだろう…って。
いや、それって好き嫌いが無いって事だから凄く素晴らしい事だよ?わたし、ピーマンとか食べられないし、いつもお母さんの作る料理に文句つけてたんだから。でも、薫は何も言わない。それが悲しい。

あの夜。
飼ってくれと言った薫の腕を掴んで家に連れて行く途中、わたしはボロボロと泣いていた。「なんでお前が泣くの?」と笑って言う薫に「いいから、もういいからっ、家に来いっ!」なんて涙声で言ったわたしを、薫はどう思っただろう。
昔から同情されるのも、助けて貰うのも大嫌いだった薫は、何て思ったんだろう。

その日から、わたし達の二人暮らしが始まったんだ。






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