二月七日
今日はあの夢を見た。相変わらず俺は何も居えず、泣いている彼女を見ているだけだった。

二月八日
今日は、久し振りに大学時代の友人に会う。
総司は相変わらずだった。そして久し振りに彼女の名前を口にした。頭痛がした。

二月十日
これは、夢か。あの夢の続きなのだろうか。
俺はどうしたらいい。


いつもと変わりない日常。その中に毎日必ず映る景色…顔ぶれがある。それは例えば毎朝乗る電車の外に流れる風景だったり、駅から会社までの道程だったり、そして聳え立つビルの隙間から一本先の遊歩道だったり…同じ会社で働く者や取引先の人間、そして…その中に、俺はあの日の泣き顔を探している。

毎日見ている物は良く夢に見る。昔からそうだった。しかし、ここ何年も見ていないのに毎日夢に出てくる人物が居た。その場所はいつもの景色では無く、ずっと前…俺がまだ何も分かっていなかった頃、最後に彼女と言葉を交わした時後ろに広がっていた景色だった。

彼女とは高校、大学とずっと隣りに寄り添い歩む関係だった。
毎日の様に会っては中身の無い話しをして笑い合ったり、些細な事で喧嘩もたくさんした。それでも、彼女は俺の隣りに居てくれた。俺も、それと同じ様にずっと隣りに居たいと…そう思っていた。…筈だった。

『なまえ…、すまない。別れて欲しい』
『はじめ…、どうし、て?』
『理由など、無い。それだけだ、』
『………わかった、わたし幸せだった…。凄く、楽しかった』
『………すまない、』
『夢は…覚めるものだよ、』

最後の会話がこれだ。今考えても、当時の俺を力任せに殴ってしまいたいと、そう思う。あの日、泣きながら笑うと言う…俺には到底真似出来ない表情で『ありがとう』と言った彼女…みょうじなまえと、俺はここに来て偶然にも再会する事になる。

本当に偶然だった。会社帰り…満員の電車の中でいつもの様にじっと流れる景色を見ていた時だった。目の前で窮屈そうに立っていた人物が不意に俺の方に身を捩った。

二月十日。
大学時代に別れた彼女が、少し大人びた薄化粧をし…俺を見上げていたのだ。

「は、はじめ?」
「なまえ…か、」

思わず名前を呼んで、目を見開いてしまった。それも致し方無いと思う。一瞬嫌な汗を掻いたがそんな俺とは対照的に、なまえは「嘘っ!偶然だね!」と、もう忘れかけていた…花の咲いた様な笑顔を向けてくれた。

「久し振りだな、髪が少し伸びた、」
「髪だけ!?ほら、お化粧もしてるよっ!」
「ああ、なまえらしくてよく似合っている…」

仕事帰りだろうか。俺はスーツで、あちらも社会人らしく清楚に纏めている。そして…ぴりぴりと痺れる指先を咎める様に視線を落とした時、彼女の鞄についているストラップを見て絶句した。忘れもしない。揃いで買った当時流行りの対になる飾り物だった。
俺は、アレをどうしただろう。もう捨ててしまったのやも知れぬ。
そこで今まで小さな痺れを感じていた指先から、それが全身に伝わり俺は反射的に唇を噛んだ。

やはり、俺はあんたに酷い事をした。
それはずっとあの日から、この胸の奥にあったのだ。だからこそ、いつも夢の中でなまえは泣いていた。

「よかったら、連絡先を教えてはくれないだろうか、」
「…え、」

一瞬、泣きそうな顔をしたなまえと、その日俺は再び彼女との接点を手に掴んだ。


二月十八日
彼女を食事に誘う。戸惑いながらも頷いてくれた。
俺は自分が何をしたいのか…解らないでいる。

二月二十日
彼女から、電話が掛かってくる。話したい事があると言われた。

戸惑いながらも「どうした」と受話器越しに問うと、少しの沈黙の後「わたしにも解らないけど…、はじめと話したかった」と弱々しくそう応えた。それを聞いてどう返せば良いのか解らず、俺の口は少しでも彼女を元気付けたいと思い出話をしていた。そして知る事となる。

あの日から、なまえの景色は少しも動いてなど居なかった事を。

「わたし、ね。結構頑張った…。前、向いて歩いて行こうって…。はじめが居ないまま過ぎる景色を一つ一つ受け入れて行こうって、」
「…景色、」
「うん、ほら今見ている景色は明日見る景色と同じ様で違うでしょう?でも、きっとわたしはそれをちゃんと見れてなんていないの…馬鹿だなあ」

そう笑うなまえの姿は見えなかったが、泣いているのだと気付いた。そしてその言葉にふと今の己の見ている景色を思い浮かべる。すると、同じ様に俺も前になど進めていなかったのだと…


思い知った。



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