そこからふらふらと会社を出て、まず斎藤さんに電話を掛けた。一度目は繋がらず。二度目も繋がらず。
どうしようも無く心臓が痛かった。嫌な想像が頭を駆け巡って、どうやって自分が駅に着き改札を潜ったのかも覚えてなんていなかった。電話が折り返しかかって来た時には、いつの間にか自分の家の前に立っていた。そして、震える手で通話ボタンを押してからのあの会話だ。
まず直球で聞いてみた。「あの女性は誰ですか」と。その答えは薄々感じていたものと合致し、「……以前、付き合っていた、」と、一拍置いてから気まずそうな声で斎藤さんが言うもんだから「あはは」なんて意味の解らない笑いが零れたりしたんだ。
「何もしていない」って言っていた斎藤さんだったけど、その受話器越しに雑踏が聞こえたから、きっと彼は外に居た。もう23時過ぎてるんだよ。わたし以外と外で飲んだりしない彼が、あの時間になっても外に居るって…そう言う事でしょう?ねえ、斎藤さん。

「もうやだー…」

やっぱり、わたしには平々凡々がお似合いなんだよ。こんなわたしがあんな雲の上の人に手を伸ばしたから、身の程を知れって神様が怒ったんだ。きっとそう。
これで婚約解消されて、わたしはまた明日から平凡なOLになって、斎藤さんはもう…わたしにあんな笑顔を見せてくれなくなるんだ。
家以外に帰る場所なんて無いから、近くの公園へと逃げ込む。昼間は子供達の笑い声で溢れ帰っているだろうその場所は、誰も居らず、ただ一本の街灯に照らされているのみで、その静寂が更にわたしの胸を抉った。



その時。

「OLさんっ!!!」
「…は、」

目の前に立っているのは、未だスーツのままでスマホを片手にぜえぜえと息を切らしている斎藤さんだった。
まずわたしが思ったのは「え、展開早くない?」だった。どれだけ少女漫画脳なんだと思ったけど。それでも、やっぱり目の前に居る斎藤さんが、いつもの凛とした表情じゃない事に驚きを隠せないのと同時、来てくれたのが嬉しくて切なくて、じんわりと胸が熱くなった。

駆け寄って来た彼に思い切り抱き留められると、好きな匂いが鼻を掠める。

「さ、さっ、いとう、さ…っ、う、早すぎ、」
「当たり前だっ。駅に居た、からな、」
「何で!?だってわたしっ、」
「電話、気付かずすまなかった…。あと、OLさんに了解も取らず、あんな、」
「許可とかー、っそう言う問題じゃなくて………っ、や、やだぁーーーっ!斎藤さん、昔の女にそそのかされないでぇええーっ!!!」
「唆される訳がないだろうっ!馬鹿を言うなっ、」

頬に当たるのは斎藤さんの左胸。本当に走って着てくれたのか、心臓が嫌と言う程主張していた。いつもよりずっとずっと強く抱き締めてくれた斎藤さんは、肩で息をしつつも、わたしの頭を抱え込んで「元より、ここに来るつもりだった、」と、さっきとは反対に優しい声でそう告げる。それだけで、涙腺が更に崩壊して彼のスーツを濡らしていた。

「あいつとは、直ぐに駅で別れた…、何度も言ったが本当に偶然会っただけなのだ、」
「…、」
「確かに…もう一度そう言った関係に戻らぬかと言われたが。当然断った…。そして何故かOLさんにどうしても会いたくなって駅の近くの飲み屋で待っていたのだが、どうやらすれ違いだったらしい。電話に気付いた時には既にOLさんは退社していたのだな、」
「…斎藤さん、」
「俺はこの通り、余り口が上手くない故…伝わらず不安にさせてしまった。だが信じて貰えるまで何度も言う。何も無かった。俺にはあんただけだ、」
「っ、ふ、ぅうー!」


「…どうしても、逢いたかったのだ。あんたに」

そのまま、降って来た口付けに、嘘なんてどこにも無かった。頬を染めて彼を見上げていた元カノさんとは違って、きっとわたしの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだったと思う。
それでも躊躇う事なく口付けをしてくれた斎藤さんは、やっぱりちゃんと雲の上からわたしに手を差し伸べてくれていた。
平々凡々がいい。でも、順風満帆じゃなくてもいいかもしれない。
波乱万丈はごめんだけど、それでも「人生少し位の事件はあった方がいい」って誰かが言ってた。

「帰ろう。明日は土曜日故、時間を掛けて仲直りをしよう、OLさん」
「うう、もういいんです。わたしこそ、本当にごめんなさいっ、」
「ならば俺が勝手にあんたを慰める、酒が入っていようが加減はしない」
「ひっ、」


取り合えず、無実の斎藤さんをこれだけ走らせてしまったわたしに、神様お願い!もう自分の人生に文句付けたりしないから、

だからお願いします!わたしに、





アルゼンチン・バックブリーカーを!

(これからは俺も、もう少し信用に足る男になろうと、)
(うわああああんっ!神様不在だから斎藤さんお願いっ!わたしにアルゼンチン・バックブリーカー掛けてっ!このままじゃわたし自分が許せないっ!)
(な、何故っ!?アルゼ…それはなんだっ!?)




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bkm

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