「斎藤さん、手を…繋ぎません、か?」
「…ああ、そうだな。……………は?」
「あの、だ、駄目でしょうか!?ほら!河原に行くにはそこの路地を通るでしょう?此処より…人が居ないので、少し位だったら、いいかなぁ…って、」
「……っ、」


俯き加減で、いつもよりずっと小さな声でそう言われ、俺は思わず足を止めてしまった。振り向かず、同じようにその場に留まったなまえが「だ、駄目ですか?」と続けて呟いた。
俺は、その瞬間己の腹を斬ってしまいたくなった。女子にこの様な事を言わせてしまった事と、こんな事ならもっと早く俺が歩み寄っていればよかったという自責の念。短い髪を垂らし、未だ手を身体の前で擦り合せているらしいなまえの背中が途端に愛しく、可愛らしく見えた。いや、常にそうは思っているのだが、いつもよりずっとだ。


「すまない。あんたに…そんな事を言わせてしまった、」
「い、え…わたし。はしたないですよね、こんな人前で、」
「いや、そんな事はない。俺も、」
「はい?」
「俺もなまえともっと沢山の事を始めていきたいと…そう思っていたのだ。常日頃から、」
「斎、と…さ、」
「だがすまない。今、此処で全て知りたくなってしまった。…そう言えば、あんたはどうする」


気持ち大股でなまえの隣へと歩み寄った俺は、少し手荒にその腕を取るとそのまま指を絡めて引き寄せる。俺の突然の行動に小さく悲鳴を上げたなまえを引っ張り、再び入り込んだ裏路地。薄暗いその空気が、俺の理性を崩すのは至極簡単だった。
民家らしい壁にその背を押し付けると、片方の絡めた手はそのままに、未だ驚いているなまえと身体を向き合わせた。
大きな瞳には、戸惑い気味の俺の顔がぽっかりと映っている。前に左之か誰かが言っていた。本当に好いた女の前では、いつもの顔などあって無い様な物だと。なるほど。確かに今俺は、自分でも見た事の無い顔をしているらしい。
無言で見詰め合っていると、繋いだ手が強く握り返される感覚がして、今度は俺が息を飲む番だった。それと同時にくすりと小さな笑い声。


「斎藤さんが、こんなに強引な一面をお持ちとは、知りませんでした」
「すまない、嫌なら、」
「もう!また女に言わせるんですか!さっき謝ってたくせにっ!」
「そ、そうではなくて!ああ、なまえっ、背中は冷たくは無いか!」
「そうじゃなくて!」
「そ、そうではなくて…。そうではなくて、つまり…」


頭が沸騰しそうだ。と俺は唇を噛んだ。
きっと今日もいつも通りだ。と思っていたが、まさかこんな展開に縺れ込むとは思わなかった。

いや、俺が望んだ。俺が心から望んでいて、そして彼女もこうする事を望んでくれていたのだ。そう思えば、今までうろたえていた頭は一気に晴れ渡り、小さな気恥ずかしさと、それを凌ぐ大きさの愛しさが脳を麻痺させていく。
ゆっくり空いていた手を、もう一つの小さな手の平に絡めて、目を細めた。

初めて合わせた両手は、先程よりずっと温かく感じた。
初めて合わせた唇は、甘く身体が痺れた。


どうしたものか。
これでは、明日からもっと今以上にあんたに近付きたいと、そう思ってしまうではないか。
今以上、とは…。

そこまで考えて止めた。


「嬉しいです、わたし。すごく嬉しい…」
「な、泣くなっ、何故泣くのだ!」
「嬉しくて、ですよ。斎藤さんはもっと女心を勉強するべきですっ、」
「っ……手は尽くすっ、」


こんな事をしている間に、一日は巡り行く。
本日は、繋いだ手をそのままに、二人で河原を歩くとしよう。そして、また明日は今日とは違う新しいなまえを探してみよう。少しは俺も、彼女の手を引き前を歩けるように。

晴日は見た景色を土産に笑顔を貰い、雨の日はからかさを持ち有難うを貰う。
逢えない日は今日を振り返り、逢えた日は明日を贈る。


「では、行くとしよう。あんたに話したい事が山の様にある」
「わたしもあります!うちの店、新しい献立が出来たんですよっ」
「それは、また難儀な話だな…」
「酷いっ、」
「いや、近々食す事になる。聞かせてはくれぬか」
「はいっ!」


そんな毎度の繰り返しが、これからも永久に続けばと


そう思う。



一念天に通ず


(ついでに言うと、名前で呼んでもいいですか…?)
(何…。是非、そうしてくれ、)
(……は、はじめさん、)
(…っ!)
(ああ、はじめさん!そっちは壁ですっ!!!)





前頁 next

bkm

戻る

戻る