しんしんと降る雨を並んで見上げ微笑み合う。
それは晴れの日も、曇天の日も変わり無く其処にあった。

寂れて誰も訪れようとはしなくなったこの境内で並んで空疎な話をするのが心地よかった。微かに触れる袖と袖は俺の気持ちを弾ませ何度も熱を孕んだ。

今のときも、これからの先も、変わり無くこうして居られたらどれだけ良いだろう。


「はじめさん、どうかなされました?」
「あ、いや…」
「寒い、ですか?」
「寒くは、無い…。あんたは、」
「わたしは大丈夫ですよ」

口元を覆い肩を揺らす独特の笑い方は見ていて面白い。
いつも屯所各所で見る様な豪快な笑いでは無く、まるで風に揺れる無名の蕾の様に控えめなそれを見るのが俺は好きだった。


「でも今日もはじめさんとお話が出来て嬉しいです」
「……そうか、」

本日は生憎の雨だったが、俺は非番を利用し此の場所を訪れていた。
木々に覆われたこの神社は既に主を亡くしており、手入れもされて居らぬ外装はまるで物憑きが出ると言われてもおかしく無い程だ。それ故、他の者は近寄らず周りから避けられ一層枯れて行く場所。

しかし、一つだけ変わらぬ一直線に伸びた石段は味があり、近寄るのに何の抵抗も感じなかった。


「はじめさんは血温が高そうなので、今日の様な日は寒いかと思いました」
「それは…一体どういう意味だ」
「そのままですよ」
「なまえ…、あんたこそその小ささ故…童と変わり無いだろう。あんたの方が寒そうに見える」

俺が顔を顰めそう言うと「まあ酷い」とやはり袖を口元に持っていくなまえは、いつか昔ふらりとやってきた俺を此の場所で向かえた町の娘だ。
一度だけ巡回中に鉢合わせ、「あの時の…」とお互いに目を丸くしたのを覚えている。その時なまえは何か持っていたわら半紙包みを背後に隠し気まずそうに「こんにちは」と笑った。

その日からどちらかとも無く此の場所で逢う様になり、つい先日お互いに一つ歳をとった。肌寒さが和らぐ事の無い季節だった。
俺となまえの吐く息は同じ様に白い。同じ様に季節を感じ、そして同じ様に笑い、同じ様に歳を取っていく。それは当たり前の事柄でなんの変哲も無い生の内の一片にも満たないのだろう。

境内に直に座り身震いしているなまえが不憫で屯所から持ってきた薄い布切れを座布団代わりにして幾日も二人、この場所で沢山の言葉を交わしてきた。


「そう言えば、この間言っていた猫は見付かったのですか?」
「…ああ、総司が部屋に連れ込んでいたのだ、あれ程探し回ってもどうりで見付からぬ訳だ」
「あら、総司さんは猫がお好きなんですね」
「あいつは…ただ物珍しがっているだけだ」
「でも、ほら動物好きに悪い方はいらっしゃらないと言うじゃありませんか。はじめさんがそれを物語ってますもの」
「…あんたも好きだと言ってた」
「はい、好きですよ」

高鳴る胸と徐々に熱を思い出す指先からじんわりと解けていく。

なまえは町では有名な呉服屋の一人娘で、いつも健気に両親の店の手伝いをしているのを何度も見かけていた。それは巡察で総司率いる一番組と京の町を散策している時の話だが。
総司がふと足を止め「あの子、はじめ君の事見てる」との言葉に「突然何を」と振り向いた時あった目線がこの熱の始まりだった。まだあの頃は暑く、季節は所謂初夏。隊服も黒地の着流しも、この襟巻きさえも纏うのが億劫だったかんかん照りの日だった。
咄嗟に後ろに隠された「何か」は少なからず気にはなったが、俺はもともと他者に過度の干渉をするのを嫌う性分故、その場での会話は挨拶程度で一日を終えた。

「あの子はじめ君の何?」と総司の言葉は俺を激しく動揺させ、それを見た幹部の面々に彼是(あれこれ)質疑され、その日は自室に逃げ込む直前までからかい尽くされたものだ。
しかし、布団に入るも思い出すのはあの町娘の姿で、上品な笑い方が張り付き何度も寝返りを打ち、無理矢理眠りにつくまで俺の頭に浮かんでいた言葉は「再度逢い、話をしてみたい」それだけだった。

それから間も無く、非番を向え僅かな期待を篭めこの場所に足を運ぶと隔離された空間に独り座っているなまえを見つけたのだ。


「…そう言えば、ここ最近…町であんたを見かけなくなった」
「そうですか?わたしは良く見かけますよ」
「何…、ならば俺が見逃しをしているのか、」
「ですよ。ちゃんとはじめさんが浅葱色を纏い、こーんな恐ろしい顔をして皆さんの先頭を歩いているのをわたし見てますもの」
「…俺の真似か?似ても似つかぬ」
「ええ、訓練したのに…」
「しなくても良い。折角の綺麗な顔が台無しになる」
「…あら、」
「………、」

ふい、と顔を背けた俺を覗き込むように身体を傾けるなまえから逃げる様に目を閉じると、隣りであの可愛らしい含み笑いが聞こえてくる。
出来れば一日中、この笑いと共に居られればと切に願うも俺が身を置いている職を考えると自ずと腰が引けてしまうのだ。これが左之や総司だったらどうだろうかと考え、やはり俺は俺だと結論付けるも、やはり…奥手、なのだろう。俺には不得意分野だ。

恋仲になど、なれはしない。

「俺を見つけたのなら声を掛ければいいだろう」
「だって、皆さんとても真剣な顔をしていますし、声を掛けてもきっと気付いて貰えませんよ」
「何故…」
「だって、新選組ですもの!こんな小娘に一々構っている程お暇じゃ無いでしょう!」
「それは、冗談だろう。…他の者に聞かせたら恐らく皆目を逸らす」
「ふふ、冗談です」

俺の手の平から寸の場所に置かれた小さな手先は赤くなり皸を起こしている。此の手を取り己の身体に引き寄せたら「温かい」と笑ってはくれぬだろうか。これも何度も考えてきたが、俺の身体はそれをしようとは動いてくれなかった。

しかし、

「はじめさん、」
「ああ、」
「わたし、今凄く心が弾んでます」
「……なっ、」

突然触れた互いの指先に、思わず息を飲んだ。
ごくりと上下した俺の喉は、湿気に覆われていると言うのにも関わらず乾きだし、身体が固まるのと同時に不自然な息を漏らし視界を白に染めた。
隣りを見やり視線を泳がせると、視界の端の方で此方を見上げ顔を真っ赤に染めているなまえが見える。いつもは雨上がりに吹く風の様に透き通った肌が、今はまるで夕日の様に赤い。

するりと指の間に滑り込んできた指先は、やはり冷たく此の場所での時間は女子の身体には相当な負担が掛かって居たのだろうとそこで気付いた。

「わたし、いつも見てます。はじめさんの事」
「…そ、その様な事を、」
「此の場所…わたし昔はとても怖かったんですよ、でもはじめさんが居るととても安堵します…、これって、」
「……っ、なまえ!」

幾ら経っても目線を合わせない俺を見て痺れを切らしたのか、肩に突然頭を寄せてきたなまえの名を思わず呼んだ。
ひっくり返った声は、静けさを含む境内に良く響いて、今まで耳に入っていた筈の雨音すら掻き消し空へと消えていく。

肩にある頭の重みは、俺にとって初めての経験だ。
存在しているではないか。
ちゃんと俺にその実体を…、きちんと存在している事をこうして証明しているではないか。

故に、やはりあれは嘘なのだ。



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bkm

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