「すみません。この花を…、」

眩しさに目を細め額に滲んだ汗を一度拭うと、綺麗なフロックスの淡い紫が風に揺らされ俺の視界でくるりと躍る。
いつも店に入り目当ての花を見つけると、ホッと安堵の溜め息が漏れる。店内を進みレジを済ませるとクーラーの冷気を境に現実へと歩き出す。
目指すは一駅先にある白い箱。入道雲を見上げ再び汗を拭うと、手の中にあるフロックスが俺を俺を見上げていた。

花言葉は、あなたの望みを受け入れる。そして、初盆…夏の始まりを意味す。
今日からあんたの望み通り俺は毎日花を抱えこの道を歩くのだろう。



「フロックス、これ和名は花魁草って言われてるのよ」
「…な、何っ、この花は贈り物には向いていないのか!?」
「あーううん。別にそう言う意味じゃないよっ、ごめんごめん」
「…病室に活けても問題ない…のか?」
「うん!それにわたしこの花大好きっ!斎藤くんありがとうっ!」

白い壁に囲まれたこの室内で、白いベッドに身を置いたなまえは慌てる俺を見上げて静かに笑っていた。既に初夏も過ぎた辺りだと言うのに、一歩建物に足を踏み入れるとクーラーが適温で効いていて汗はいつの間にかシャツに吸収され俺の身体を冷やす。
空になったまま病室の隅に置かれたままになっていた花瓶を掬い病室に備え付けてある水道で軽く濯いでいく。
窓が締め切ってある故、外から聞こえる蝉の合唱はどこか遠くの方で鳴っていた。

「わー、色があると一気に室内が明るくなる気がするねぇ」
「…迷ったのだが、きつい桃色より此れくらいの淡い色の方がと買ってきたのだが、気に入ってくれただろうか」
「うん!きつい桃色って…ショッキングピンクとか?」
「ああ、俺の目には痛かった」
「あはは、斎藤くんらしいね」


そう言って笑う彼女はこの白い箱…この辺りでは一番大きな病院に入院して間もない。
元より俺達は住んでいる家も近く同じ中学、そして高校にも通っていたが、なまえと話す様になったのも彼女が入院すると知ったつい最近の事だ。彼女も俺も大学一年。今は所謂夏休みと言うやつだ。

しかし、彼女はもう既に大学を辞めている。
その事を、なまえと仲が良かった友人伝に聞いて「理由は知らないんだけどね。どれだけ追求しても言わないの一点張り…」と心配しているのを隣りで見ていたその日の帰宅中、偶然。本当に偶然地元で会ったのだ。
『久し振りだね斎藤くん』と、話した事も無い俺の事を覚えていたばかりか、特に依然と変わらぬ様子でまるで友人の様に話しかけてきたなまえだったが、その姿はどこか疲れている様に見えた。まだこの肌寒さが残る時期、俺も彼女のことを名字で呼んでいた。

『総司から聞いた。何故大学を辞めた。俺はあんたが志望の大学に入りたいと猛勉強をしていた事を総司から聞いて知っている』
『…あー…、それね、うん。もういいのよ』
『…もう、いいとは』

どうしてか、いつもは他人の事になど興味を持たない俺が、この時ばかりは柄にも無く公道の真ん中で彼女を引きとめていた。

『俺で良ければ、相談に乗る…』
『………なんで?わたし達そんなに話した事無かった…よね?』
『そ、総司の友人だからだっ…あんたが、』
『ああ、そっか!ふふ、ありがとう!』

俺が相談に乗ると言った時、一瞬泣きそうな顔をしたのを俺は見逃さなかった。
夕暮れ射す道の真ん中で、俺は彼女からまるで突拍子も無い相談を持ちかけられる事となった。それは大学に入って直ぐの事だったと記憶している。

毎日、わたしに花を届けて欲しい。

それが、彼女が俺にした相談事だった。


「では、俺は此れで」
「うん、わざわざありがとう。本当に来てくれるなんて思って無かったよ」
「………届け先を見て、行かぬ訳には行かなくなった」
「ふふ、ごめんね」

クスクスと癖のある笑い方をするなまえは、俺が病室に居る間ずっとその笑顔を崩さなかった。
まったく性質が悪いと思った。最初は悪戯だとも疑った。
あの日『じゃあ連絡先交換しましょう。また届けて欲しい日が近付いたら住所メールするね』と俺の携帯のメモリに彼女が加わった日から月日は経ち、先日久し振りにその名前を画面に見た時、何故か膝の力が抜けたのを感じたのだ。
届け先が病院の一室だったのだから。


「わ、今日はニチニチソウだね!可愛いっ!」
「前にも言ったが俺は花に詳しくは無い。それ故マナー等もまったく知らん。これは鉢植えだが…」
「いいよいいよぉ!じゃんじゃん置いちゃって!」
「……ならば、」

促され、昨日飾ったフロックスの隣りに気持ちラッピングされた鉢植えを置くと、それを眺めて嬉しそうに笑んでいるなまえは、相も変わらずベッドの上で白に囲まれていた。ガランとした室内には、外界からの音を…あらゆる現実味を箱の外へと遠ざける。
いつから入院しているのかは定かではないが、どうやら俺が顔を出す前からここに居たらしい痕跡も見受けたられた。そして、見舞いが俺だけだと言うのも。

「…何か、花の他にも入用ならば言ってくれれば買ってくるが、」
「いいよいいよ!お花だけで十分!」
「そうか、しかしいつでも言ってくれ」
「ふふ、お花と斎藤くん。この二つあればわたしは元気なの」

可笑しなことを言うな。と俯いた俺の額には、クーラーが効いているというのにも関わらずジワリと汗が滲んだ。

そして、その日からずっと毎日、飽きもせずあの花屋により、一駅分のあの道を歩き、炎天下の中病院に通いつめた。
最初は花だけ置いて直ぐ帰っていた俺だったが、いつからかベッドの上で笑うなまえと色々な話をする様になっていた。偶に巡回に来る看護婦が「斎藤くんよかったらこれ使って」と、今まで病室に無かった簡易椅子を持ってくる始末。
夏休みだからといっても特にする事が無い訳でも無かったが、友人の誘いを断り毎日毎日、俺は花を持ってなまえの元を訪れた。まるで義務の様に行っていたその一連の行為は、いつの間にか姿を変えていた。




それと同時に変わるものもある。



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