俺は別に常闇なんざァ怖くねぇ。
暗くても見えるもんはあるし、見えねェもんは己で見つけりゃいい。

「それで?不知火…あんたは何処に行くの?」

見下ろす城下は昼間みてェに暖かい訳でも人間が歩ってる訳でもねェ。
一寸先は闇。そんな表現が似合うんだろうかなぁ…。

「あァ?んな事聞いてどうするって?」
「…別に、何と無く聞いてみただけよ」
「は、そうかよ」

風の音が耳に痛く、背面に吹き付ける強風はいつもよりざわついてるのが嫌でも分かっちまう。
月を背にしているから、目の前の屋根瓦には二つ…伸びに伸びきり瓦のお陰で歪な容をしている影が映っていた。俺は髪がやたら長ぇからか、後ろから風を受けると髪がこう…ぶわっとかなって影もとんでもねェ具合になってる。
それに一瞬顔を顰めながらも押さえ込み、ちらりと隣りの様子を伺う。

「どうよ。改めてこっから見る景色は」
「別に。なんて事ないただの夜町よ」
「はっ、そりゃ違いねェが、もっとあんだろ。特別な何かがよ…」
「……………、」

俺とは正反対に短い髪を惜しげもなく風に遊ばせながら、じっと城下を見下ろしているこの女は言わば俺と同じもんだ。名をみょうじなまえと言う。
まァ、風間の野郎に言わせると「あいつは同胞だが、非成り者だ」らしいが俺にはそうは見えない。
冷えた瞳で見下ろしているその横顔に、感情なんてもんは微塵も伺えねぇし、実際に俺はこいつが笑んでる姿なんか見た事がない。それこそ本来の鬼の姿じゃねェか。
それにいつも何となく風間の隣りに座ってるか、天霧なんかと難しい事について談義している姿しか見た事が無い。こいつこそ敵にまわしちゃ身体が幾らあっても足りねえんじゃねぇかとすら思う。

だが、今は何故か俺の隣りに居る。
馬関戦争の真っ只中。いつの間にか女に現を抜かしていた風間が姿を消し、天霧もいつの間にか居なくなってた。俺はと言うと、どうにも面白く無く取り合えずそこいらに居やがる人間を片っ端から地に伏せて遊んでいた。勘違いしないで欲しいが、あっちから向って来やがるから相手してやっただけだ。無駄撃ちは好きじゃねェ。

「特別…とは、なんだ?こんな薄暗い月明かりのみで何がお前には見えている」
「さァね、」
「…不知火はいつも言葉が足りない」
「そら褒めてんのか?」
「褒めてない」

こっちを向きもしねェで、ただ暗闇をじっと見下ろすそのお頭は何を考えてるんだろうなァ。
崩れそうな瓦屋根を踏み締めゆっくりとその場で腰を降ろすと、風の音に混じってかしゃんと小さな音が鳴った。また黙りこんじまったみょうじから視線を逸らすと、やっぱり俺の頭はすげェ事になってた。

しっかし。
静かな夜だ。

「…俺ァ、これから人に会わなきゃなんねぇ。どうするお前も来るか」
「………其れは人?鬼?」
「人、…だろうなァ。ありゃ。人間くせぇし」
「珍しいな。不知火がわざわざ会いに行くなんて。それこそあの…ちょ、ちょー…しゅうの人間以外に興味は無いのだと思ってた」
「……興味はねェよ。つうか長州くらいさっと言える様になれ」

こいつのこう言うところが、なんつーか。
俺の突いて欲しくねぇ事をばんばん撃ってくる上、己から話し出してしまいそうになる巧みな言葉は、ひとつひとつに重みがある。芯を拾い、投げてくるこの話し方がどうにもあいつと被りやがる。
風間や天霧にもこの調子だから、何度か「こいつを何とかしろ不知火」なんて風間から珍しく助け舟嗾けられたりしたなァ。

見た目は、まぁ。それなりだが。
俺ァこいつのこの何考えてるのかわからねェ目が苦手だ。
それを言っちゃあ天霧も似た様なもんだが、あいつはまだ読める。風間に至っては読めすぎだ。

「不知火…」
「あァ?」

いつの間にか分厚い雲が差し掛かって、隅からゆっくりとその灯を奪い去っていく。
静かに掛けられた俺の名は、矢張り風の音によって小さく、か細く俺の耳に届いた。


「何で、人間は人間同士で争い…殺し合うのだろうな…、」


ぽつりと、俺の名前を呼ぶよりずっと小さな声だったからか、思わず「はァ?」と大口を開けそうになったが…俺は鬼だから、唐突に掛けられた問いに自然と頭が働いていた。

人間だから、そうなんじゃねェの?

あいつだって、幕府に首切りされた師匠の為に戦ってやがった。それは同じ人間相手にだ。もうそれは理屈じゃねェんだと。俺には良く分からなかったが、あいつがそう言うならそうなんだと、嫌に納得がいった。
同族嫌悪なんて、俺達鬼の中には見られないもんを人間は持ってる。だからこそ殺り合い、奪い、己の信念を守る。前に赤毛が言ってたのも、恐らくそう言った事なんじゃねェかって俺ァ思ってる。

「わたしは、ここから見る町が好きだった…」
「今も見てんじゃねェか」
「そうじゃない。…そうじゃない、の」
「……………、」

鼻で肺に溜まっていた空気を吐き出すと、膝に手を置き頬を支える。
再び俺の目に映る城下は、真っ黒で。
いつの間にか月が雲に覆われたのだと気付く。

「まァな。言いてェ事ぁ分かる…」
「息をしていないこの景色は、なんて事ないただの闇だわ」
「…黒焦げだからなァ」
「ええ。それが、なんだか悲しいわ」

悲しい。
おいおい。こいつは何言ってやがるんだ。

そう思った。
再び暗くなった視界の中、隣りを見ると。今まで通り睫毛を伏せ城下をじっと見つめているみょうじの姿。その腰に刀を差しその逆さ腰に銃を収めて凛と佇んだまま。
そう言えば、こいつと絡んだのは最初の頃だけだったと思い出す。風間が連れてきたこの女に「ねぇ、それわたしにも頂戴」と無表情で俺の手入れ中の銃を指差し言われたんだったな。勿論挨拶なんてもんは皆無だった。
「ざけんな。寝言は寝て言いやがれ」と一蹴りした俺だったが、次の日何処から持ってきたのか、自前の銃を俺に向けながら「使い方を教えて」と矢張り無表情で言ってきた。

そんな女が、悲しいだと。
自分達が勝手におっ始めた戦争で、焼き払われて人が一人も居なくなっちまったこの町を見て、悲しいだと。


「…寝言は寝て言いやがれ」
「…そうね。聞かなかった事にして」
「あァ?言われなくても元から聞こえてねェよ」
「どっちよ」

そこで、やっと隣りの空気が動いた。
すっぽりと雲に覆われ、その姿を隠した月を見上げ静かに呼吸をしたみょうじを、俺はじっと変わらぬ姿で見上げていた。

元から洋装を好んでは居たが、背が高い所為もあって細身なこいつはとても絵になった。以前ふらりと出かけた町で見た無名の絵師が描いてたもんよりよっぽど完成度が高ェじゃねぇか。
思わずそれを思い出し、ぶっと噴出すとその瞳はゆっくりと俺を映した。

「…何」
「いやァ、お前こうやって見るとなかなか良い女じゃねェか」
「………は?」
「どうよ。これから俺に着いて、その人間殺りに行かねぇか?お前くらいの腕だったら大歓迎だぜ」
「…余程執着しているんだな」
「あァ?」

まるで呆れた様に肩を下げ、そう言って退けたみょうじに俺はゆっくりと腰から抜き取った銃口を向けた。
そのまま瞬きもせず立ち上がると、座していた時よりずっと風の抵抗を受けた。

「あの、赤毛の彼か?」
「お前ェ、撃たれてェのか…?あ?」
「いや。出来れば御免被りたい」
「じゃああんまりべらべら喋るんじゃねェよ」
「そうか。ならばもう言わない。それに興味が無い。わたしは…」


もう、人間に興味は無い。


そう続けたみょうじは、俺と同じ様に腰から銃を抜くとこちらにゆっくり銃口を向けた。
まるで今までは人間に興味があった様な言いぶりに、俺はぴくりと眉を上げると開いていた左手を腰に置いた。





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