身動きが取れない俺は、行き交う人混みの中に紛れるようにその横顔を見ていた。その小さな身体に駆け寄り、肩を掴み「どうしてだ」と問う事も、何事も無かったかの様にその場を離れる事すら出来ず、本当に佇むのみ。
その間にも時間は過ぎて行く、約束の時間は18時。そして今はもう23時を遠の昔に過ぎているのだ。まさか、ずっと。ここで…。

すっかり動かなくなってしまった足とは反して、俺の手はゆっくりコートのポケットに差し込まれた。直ぐに触れた無機物を掴み、長い前髪で顔を隠す様に俯くとそのままサイドボタンを長押しする。間も無く小さな光りと共に電源が入ったそれは、少しぼやけて見えた。
いつもの待ちうけが映るまでの時間が途轍もなく長く感じた。「早く」と願うもゆっくりと電波が入り、俺の手の中で一度震えた。そして、

「…っ、」

顔を上げればする其処になまえが居る。
一月ぶりに見た彼女は少しだけ痩せていた。

通常画面になったと同時、3件の着信通知と、一通のメールが届いた。
それを見た瞬間、今まで固まって動かなかった地を離れ…そのままなまえの身体に向って駆け出していた。


「なまえっ!」


思い切りその腕に抱き留めると、突然の不意打ちに小さな悲鳴を上げたなまえは泣き跡を残す瞳を此方に向け俺の名前を一度呼んだ。

「はじめ、っ」
「すまない…っ、すまない、…っす、まない、なまえ」
「よかった、来てくれて」

抱き留めると、やはり服越しに少し骨が触れ眉間に皺が寄ったが、鼻腔を掠めたなまえの匂いを感じた途端酷かった頭痛は、雑踏と共に消えていく。一層腕に力を込め抱き締め、彼女の肩に顔を埋め謝り続ける俺の背にも触れる様に添えられた手の平。
なまえの身体は小さく震えていた。

「一月なかなか連絡できなくて…逢えなくてごめん」
「俺…も、あのような、」
「わたし、今日の為にちょっとやる事あって、ね」
「やる、こと…?」

周りから物珍しそうに投げられる視線を感じつつ身体をそっと離すと、俺を見上げ微笑むなまえ。その手には小さな小袋が提げられている。一体何なのだろう。と一度鼻を啜った俺の胸に「はい」と押し付けられたのは、恐らくここ一月分の訳。

「今日で、付き合って三年だよ。記念日だよ」
「今日、が…、これは、」
「…いつも全力で愛してくれるお礼、」
「っ、」

高級感漂う包装には誰でも知り得ているだろうブランド名と「これからもよろしくおねがいします」と書かれたメッセージカード。
聞くと、己の給料では手が届かなかったからと一月の間掛け持ちで遅くまでバイトをしていたのだと笑ったなまえ。驚かせたかったから言えなかったのだと、そう濡れた睫毛を伏せ笑う彼女が、とても可愛らしく、愛しく、そして心の底から欲しかった。

「ありがとう、大切に…する。これからも、俺と、」
「うん…、良かった。本当に、良かった」
「しかし、俺はあんたに何も…」
「ううん、」

再び俺の胸に擦り寄ったなまえは、とても幸せそうに呟いた。


「はじめがこうして並んでくれるだけでわたしは幸せ。これからもずっと、」


小袋を受け取った手の平で額を押さえながら、俺は「ああ、」と頷くのが精一杯だった。これからずっと、何が待ち受けて居ようともなまえと足を並べて未来へと歩いて行く。必ず。
そう心に誓い今一度その身体を抱き締めると、泣き出しそうななまえの手を取り歩き出した。

絶望のどん底に居たらしい俺に届いたいつも通りのシンプルなメールには、たった一列。そこには彼女の想いが無限大に詰め込まれていた。


『ここでずっと待っているから、抱き締めて』


あの時、足が動いて

本当によかった。





並んだ足音

(はじめは意外にも寂しがりだったんだ…覚えておこう、)
(………そう言うあんたは、)
(凄い寂しかったよ。バイトきついし、メール返す前に寝落ちする生活してました…)
(だが痩せすぎだ。今日から…俺が、その、)
(?)
(ふ、太ってしまうくらいに、その…幸せに…っ、す)
(太…っ!?)



あとがき→


前頁 次頁

bkm

戻る

戻る