「…なまえは、何故俺に習いたいと思ったのだ」
「え?」

いつもはこのまま沈黙の時間が流れて、また練習を再開するのに、今日は珍しく師匠から言葉が掛けられる。部活をしている間は私語はいらないって人だから思わず驚いて変な声が出てしまった。

「お兄ちゃんがライバルって言ってたから?」
「…それだけ、か」
「あー…いやぁ、そう言う訳でも無いんですけど…」

実は、わたしは言ってない。
中学の時に、師匠の試合を見て惹かれ、憧れ、背中を追っているのを。
ただわたしが勝手に押しかけて「貴方の剣道を教えてください」なんて言ったんだから。…まぁ勿論最初は相手にされなかったけど。悔しいことに兄の名前を使いやっと渋々ながら引き受けて貰ったってだけ。

「なんて言うか…師匠…斎藤先輩の剣ってわたしが目指してた理想って言うか、目標なんです」
「理想…」
「はい!通ってる道場の師範もわたしに取っては師ですけど、憧れとはまた違って…たまたま見かけた斎藤先輩の背中がいつまでも忘れられなくって、迷惑覚悟で追いかけて来ちゃいました」
「………俺は、」

テストが終り生徒も疎らな校内。静かな風の音に混じって、道場からは相変わらず竹刀がぶつかる音が響いている。そんな中、のんびりと座り話をしているわたし達は、同じ志を持つ者同士には違いない。だからこそ、ここまで居心地が良いんだろう。

「最初、からかっているのだと思った」
「そんな」
「ああ、だが。あんたの兄に頼み込まれた時にその真を知った」
「え!?ええええ!?お兄ちゃんそんな事してたんですかっ!?」
「あんたには黙っていてくれと念を押されたがな」
「うわあ、恥ずかしいっ!」
「中学の時、あんたの兄と試合をした時から俺も一層剣道に打ち込む様になった。感謝している」
「きっと喜びます。お兄ちゃん」
「…また手合わせ願いたい」
「それだときっと果たし状とか送られてきますよ?」
「…………それは熱いな、」

お互いに笑いを含みながらこうして会話をするのは、実は初めてかもしれない。
いつもは部活が終わったら校内でもあまり顔を合わせる事が無いし。部活に来れは合同練習があるけれど、こういった話を普段はした事無かったから…。


「……それに…俺は、少し勘違いをしていた様だ」

また訪れた沈黙の後唐突にそう言われなんだろう、と思いちらりと視線を送るとタオルを頭から被った斎藤先輩が俯いているのが見えた。風にタオルを攫われ無い様に両サイドをきゅと握っているからその表情は窺い知れない。

でも、耳が…何だか。

「あの先輩?赤くなってますよ?暑いんですか…?」
「いや、違う…っ、なんでもない」

その時、集合の合図が道場から聞こえ首を傾げながらもわたしは身体を起こす。ああ、袴の襞がぐしゃぐしゃになってる。取り合えず適当に直そうと立ち上がったところで、突然わたしの手首を捉える何か。…それは未だタオルを頭に掛けたままの斎藤先輩の左手で。
「ど、どうしました?」と戸惑い声を掛けるが、未だその竹刀ダコでいっぱいの手の平はわたしを掴んだままで、頭のタオルはやっぱり風に遊ばれている。
集合の合図が掛かっているのに腰を上げない先輩は始めてで、まさか具合が悪いのだろうかと心配になってしまって傍らに再び膝を付いた時、突然わたし達の間に強い風が吹いた。


「し、師しょ」
「…今度、学校が休みの日、あんたが通っている道場に行ってもいいだろうか」
「へ?」
「剣道と同じ様に…俺も、あんたをもっと知りたい」


今の風に寄って結局飛んでいってしまったタオルが視界の隅に映り、更に陽に照らされた斎藤先輩の顔は真っ赤になってわたしを見上げている。


「俺もあんたのその真っ直ぐな背に惹かれた。それが理由だ」
「し、ししょ…、」
「己の背は己では見えない故、ならば俺はあんたの背を見ていたいと思った」

頬を赤く染めたまま、わたしを引き寄せた師匠はいつも部活中には見た事の無い優しく微笑みながらそう言った。





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(そ、そうまでしてわたしの事を…考えてくださっていたんですねっ!)
(は?あ…いや、今は剣道の話では無く、)
(了解しました!お兄ちゃんにも師範にも言っておきますっ!共に休日返上で稽古いたしましょうっ!師匠!)
(そうではない!俺はあんたがっ…)

(お前ェら何やってる!集合だって言ってんだろうがっっ!!!!)




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