「え!?なまえちゃんっ!?」

「…部長、すみません」
「え?!斎藤くんっ!?」


決壊したダムは、自分の力じゃどうにも成らなくて。心が痛くて、目が熱くて、いつもは得意な笑顔が作れなくて。
ついに声を上げて泣き出してしまったわたし。沖田さんが珍しく慌てた様にわたしの名前を呼んで「どうしたの!?」と覗き込んできたけど、何も言えなかった。

だって。


「触るな、総司。俺のだ」


ぐい、と椅子の背を掴んだはじめ君がわたしの身体ごと椅子を回転させて、いつの間にか今まで目の前にあったパソコンが消え、わたしの視界には目一杯はじめ君のスーツが映っていたんだから。

「は、はじめ君?」
「斎藤くん、何を」

わたしを包むはじめ君の匂いを肺に目一杯吸い込みながら、わたしは笑顔を作る間も無く大口を開けて泣いていた。同時に頭の後ろに回された腕が強くわたしを引き寄せて、息も出来ない位に押し付けられる。もう何が何だか分からなくて、ただここが会社だと言う事も忘れて縋りついた。
ざわざわと騒がしいオフィス内は、いつの間にか静まり返っていて、驚きを隠せなかったらしい沖田さんと部長の声が重なって聞こえた。

「すみません部長。お見合いの話は無かった事にして頂けないでしょうか」
「なっ!?」
「今日まで曖昧な返答を繰り返してしまった事は謝ります。…俺には心に決めた女性が居ります故、部長の娘さんとお会いする資格など元より持ち備えておりませんでした」
「……う、ふぇ、っ…はじめ君っ、は、はじめ、く」
「…し、しかしもうホテルに」

はじめ君にしがみ付いたまま、静かに言葉を紡ぐ心地よいBGMをダイレクトに感じながらわたしは心の中で何度も「ごめんなさい」を繰り返していた。
男避けなんかじゃない。あの指輪はわたしが世界で一番大好きな人との唯一目に見える愛のカタチなんだから。

「なまえ。何故あんたは今日に限って指輪をしていない」
「だって!だって、笑っている為にはそうするしか無かったんだもんっ!」
「泣けばいいだろう。現に今あんたは号泣している様に見えるが」
「そりゃ泣くよっ!やだ、やだからっ、はじめ君が指輪しないからじゃん!だから一目惚れとかされるんじゃんっ!ばかっ!ばかっ!」

未だ茫然と立ち尽くし何も言えなくなってしまった部長と沖田さんを尻目に、ゆっくりわたしの頭を撫でながら優しい声音で言われてしまえば、止まる物も止まらない。
ついにわたしが紡げる言葉が「ばか」しか聞こえなくなったのを呆れた顔で見下ろすはじめ君。でもその顔は、何だかとても嬉しそうに見えた。

「何を言っている。俺はいつも肌身離さず身に付けているが」
「え!?嘘だ!だって、指、」
「…………、」

そう言ったはじめ君は、訳が分からず首を傾げながら涙をこぼしているわたしの前で突然ネクタイを緩め始めた。
人差し指で広げられた輪の隙間から、左手で器用にボタンを外していくはじめ君はもう一度「なまえ…」とわたしの名前を呼んでから、ある物を取り出し笑った。

「あ、」
「皆の前で…指に付けるのは…その、照れ臭い故」


そして綺麗な首元から取り出されたのは、チェーンに通されたお揃いの指輪だった。


「いつも、こうして持ち歩いていた…あんたにはその、矢張り照れ臭く…ずっと言えなかったが、」
「は、はじめ君、っ…」
「あんたがいつも通り笑えないと言うなら…俺はいつも通りあんたの傍に居る」

そう言いながら、また両腕で抱き締めてくれたはじめ君にわたしはまた大声を上げて泣いた。



笑いながら。





涙咲いた

(部長。本日予定していた用事が中止に成ったのなら此方の企画書類に目を通して頂きたいのですが)
(え?山崎くん?え?)
(ああ、僕も丁度良かった。今日午前中に片付けた営業先でちょっとトラブっちゃいまして)
(え?え?沖田君!?え?トラブった?え?)

((まぁまぁ取り合えずあっちに(あちらへ)行きましょう、部長))






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