目を開けたところで、待っているのは分厚い布団に太陽を遮られた暗闇だけ。それでも斎藤さんのその言葉は驚く程はっきりとわたしの耳に届いて鼓膜を揺らした。

「な、なんの事でしょう…」
「本当に苦しい時はあんたは言わぬ。何か言いたい事があるならば遠慮せず言うといい」

厳しい声音ではなく、赤子をあやすかの様に柔らかく甘かったのだ。
その声に一気に溶かされた言葉と押し寄せる愛しさ。こんな病弱に産まれたかったわけじゃない。もっと強い人になりたかった。千鶴ちゃんみたいに。そして、斎藤さんみたいに。
そうすればわたしも、自分の糸をしっかりと巻きつけ前だけを向いていられたのだろうか。

「なまえ、俺には話せぬか…?」と囁くようにかけられる声に、我慢したはずの涙が零れ落ち布団を濡らしていくのが理解できた。それと同時にさらさらと前髪を掻き分けられ、その温もりに安心しわたしはぽろぽろと流れる雫と同じ様にそっと内情を吐き出す。絡まらないように慎重に解いていく縫い糸の如く。

「斎藤さんの服を、繕えることで…わたしにも出来る事があると過信しておりました。のろまでぐずなわたしをいつも気に掛けてくださる斎藤さんに、唯一…唯一わたしが出来る事だと…っ、そう、思ってっ、」
「……ああ、」
「でも、やっぱり駄目でした。良く考えたら、誰にでも出来るんです…っ、こんな些細な事…わたしじゃなくても、っ、出来てしまいます、」
「……………、」

自分を卑下ばかりして、本当に呆れてしまう。

わたしの弱音を黙って聞きながら頭を撫でて居た斎藤さんだったけれど、暫くしてその動作を静止させると小さく「いや、」と続け、その手をゆるりと離す。畳みに斎藤さんの着物の擦れる音が室内に広がり、わたしは恐る恐る布団を退かし目を丸くした。
恐らくその顔は涙で濡れ、酷い有様だっただろう。しかし、しっかりと目を合わせた斎藤さんは珍しく目を細め微笑んでいた。

「俺は、あんたに解れを直して貰うと、何故か…、その場所から温かみを感じる」
「さ、斎藤さんっ…何をっ」

膝を立て、腰に巻いている帯を解き黒衣をするすると脱いでいく斎藤さん。
襟巻きは無造作に畳みに投げ捨てられ、邪魔にならない様にと刀も避け、当の本人は涼しい顔で着物を脱ぎ去り、わたしに突きつけてきたのだ。
一体何が起きているのでしょうか。混乱したわたしの頭は考える事を放棄し、ただその動作を見ている事しかできませんでした。

「辛いのならば、良くなってからでもいい。これを繕って置いて欲しい」
「…辛いのは、」
「ああ、嘘なのだろう。いや…嘘では無いのだろうが。やはり病み上がり故、無理は良くないと先程は雪村に任せたのだが…。彼女には悪いが、俺はあんたに直して貰いたいのだ」
「…それは、どうして、」

ゆっくりと起き上がりその差し出された黒衣を受け取ると、ふわりと彼の匂いがわたしの鼻腔を擽り、いつの間にか息苦しさは彼方へと消え去っている。見慣れない襦袢姿の「白い斎藤さん」を見上げ眉を下げると、急激に恥ずかしくなってきたのかおもむろに立ち上がり放り出したままの襟巻きと刀を抱え込んだ斎藤さん。
そのまま襖を開け退出しようとした彼に「待ってください」と声を掛けると、二足揃った足袋から伸びるように彼の影がわたしを覆った。


「願掛け…では無いが。…どこに居ても、あんたに直して貰った隊服や着物を身に付けていれば…、俺は何にも負けぬ」
「…っ、」


今まで針と糸を使って彼の着物を直している間、ずっと考えていた事がある。
「本日もお怪我などありませんように。無事で居られます様に」その気持ちは、ちゃんと伝わっていたのだ。ちゃんと受け止めてくださっていたのだ。
言いたい事だけ告げ、さっさと出て行ってしまった斎藤さんは最後までこちらを振り返らなかったけれど、ちらりと見えた耳と項は赤く染まっていた。

手元にある黒衣を抱き締め、わたしはうれし涙を止める事無く「賜りました」と答えた。

針を布に通しくぐらせ、また布から切っ先を誘い出す。
ちくりと肌を刺す針に肩を震わせていたのはもうずっと昔の話で、今は願いを込めひと針ひと針願いを込める余裕も出来た。

唯一、自分に出来る事は何かと考えたとき、その敗れた隙間を丁寧に閉じる事が出来る人になりたいと思った。それは布だけではない、例えば人との隙間だったり。そして心の隙間だったり。少しでもお役に立ちたい。見ていただきたい。だから、どうか。

少しでも、あのお方の心の解れを自分が直す事が出来ているのだと、そう願います。







繕いあとに心よい

(な、はじめ君なんでそんな格好でうろついてんだよっ!?)
(ああ、平助か…。いや、これは)
(そういえばさ、なまえってもう平気かな?あのさ、さっき総司に巻き込まれてひと悶着してる間に服破いちまってさ、直してもらおうと思ったんだけど)
(雪村に頼め、今しがた副長の服を直すと言い広間に駆けていった)
(そっか…。まだ調子悪いのか…。わかった、はじめ君ありがとうな!ちゃんと服着ろよな、風邪引くから)
(…ああ、わかった)



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