「あの…そうだ!羽織り。昨晩解れを繕って置いたのですが、不便…ありませんでしたか?」
「あ、ああ…。その、礼を言う。朝の隊務でもなんの問題も無かった。流石だと、」
「よかった!あの、もし何か他にもありましたら、遠慮なく仰ってください。薬を飲んだら少しは動こうと思っていましたので、それに斎藤さんのお役に立ちたいのですっ」
「しかし、熱があるのだろう…。無理をするのは、」

ふ、とわたしの目元に影を作ったのは、斎藤さんの手の平で。自然な動作で上げられた腕が彼の黒衣の袖を広げていく。わたしの額を目指しただろう手の平は、ひとつの足音によって、触れるあと一歩の所で空中にて制止した。

「なまえちゃん、ちょっといいですか?」
「っ、」
「千鶴ちゃん…?あ、はい!どうぞ」
「ごめんね、あのね!いつも使っていたお裁縫道具なんですけど…、あれ?斎藤さん…?」

寒い季節だと言うのに、一日中屯所内を駆け回っていたらしい千鶴ちゃんが、息も荒いまま額を拭った。その姿に一瞬「まずい」とでも言いたげな表情を浮かべた斎藤さんが「さぼっているわけでは…ない」と言うと、その掲げていた腕がわたしからまた遠ざかり正座をした膝の上に落ち着いたのが見えた。

「ふふ、分かってますよ、用事があるのはなまえちゃんです!」
「千鶴ちゃん、どうしたんですか?お裁縫用具ならここにありますが」
「うん、あのね!ちょっとだけ…借りてもいいかな?」
「全然構いませんが、どうしたんですか?昨日までの分はわたしが昨夜…」

縫ってしまったのですけれど。そう言おうと口を開いたわたしに「土方さんが先程稽古指導で着物を破いてしまったとの事で」と笑いかける。その苦い笑い方を見ると、また沖田さんか藤堂さんが土方副長に何かしらの厄介ごとを吹っかけたのだろうと、安易に想像が付いてしまった。「いいですよ、持って行ってください」と返すと、顔を明るくして頭を下げる千鶴ちゃん。
彼女はあまり裁縫が得意では無いのだと言っていたけれど、わたしは知っている。

わたしの唯一の取り柄を、立ててくれているのだ。
わたしに出来るのは、危険とは縁遠い場所にある裁縫事だけなのだ。


「じゃあ、少しだけ借りますね!…あれ?斎藤さん、そこの肘の所…」
「…なんだ?」
「あ、やっぱり。少し合わせ目が解れてますよ?」
「何…?ああ、本当だ。気付かなかったが、木にでも擦ったのだろうか…、」

膝を付いて、斎藤さんの着物に触れている千鶴ちゃんは手にした裁縫道具とその解れを交互に見た後「よかったら」とにっこり笑った。

「……なんだ、」
「土方さんの後でよかったら、直ぐにでも直しておきますが!」
「ああ、そうだな…。ついでと言うなら、」
「じゃあ、後で届けますので、貸してください」
「こ、ここで!?」
「はい?」

お互いの息が掛かるんじゃないかと言うくらい顔を近づけて柔らかく笑う千鶴ちゃんに、肩を上げ頬をほんのり染めている斎藤さんを見ていると、心に小さく出来ていた解れ目がゆっくりと解けていく気がした。役に立たないわたしと、いつも元気で幹部の方からも一目置かれている千鶴ちゃん。比べる事すら許されないだろう、この距離がなんとも言いがたい。

込み上げる咳を何とか飲み込み笑顔を作ると「千鶴ちゃん、今ここで脱げと言っても斎藤さんが困ってしまいますよ」と二人に退出を促すわたし。嫌な女子だと自分でも思いました。けれども、今現在もしゅるしゅると音を立て紐解かれていく境目を直ぐそこに感じているわたしには、そうするしか術がなかった。

「あ、で、ですよね!?すみません!私ったら…っ」
「そう言うわけ…では、無いが、」
「じゃあ、あの斎藤さんお部屋で脱いだら持ってきてください、夜までにはお届けに参りますので」

「……………、」

少しでも笑顔を崩さないように努め二人を見守っていると、ここに来て「やはり」と自嘲気味に首をかしげてしまう。

やっぱりわたしがここに留まる理由など、ありはしないのだ。

「すみません、わたし何だか少し辛くなってきたので、横になりますね」
「…………」
「え、あ!すみません!人が多いから埃が立っちゃったのかな?繕いが終わったらお掃除もさせてくださいね!じゃあ、なまえちゃん借りていきます!」

慌てて裁縫道具を抱き込み襖を閉めた千鶴ちゃんは、本日も一日忙しそうで。
片やわたしは、今日も変わらず両足を使う事すらしないまま。ただ飯を喰らい、皆の足を引っ張る役立たずなのだ。
じわりと熱くなってきた目頭を隠す様に額まで覆う様に布団を被ると「斎藤さん、白湯ありがとうございました」と促し遠巻きに出て行って欲しい事を伝えた。

もうわたしの心の合わせ目を繕ってくれる人なんていない。
役立たず。恩知らず。このままずっとこのままだというならばいっそ。



「嘘をついたところで、あんたには一寸の得もないと思うが」



きつく閉じていた瞳を開けると、苦しかった喉がひゅっと一度音を立てて空気を吸い込んだ。







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