「理解が、出来んな」


思わず、聞こえたその言葉に変な声が漏れた。
いつの間にかまた作っていた愛想笑いを解き、目を丸くして居ると、ハンカチを今だわたしの頬に押しつけたままの斎藤さんが、涼しい瞳でこちらを見下ろしていて。その綺麗な藍色は、情けないわたしの顔をはっきりと映し出していた。

「周りに笑われたら、あんたは己の信念を簡単に曲げられる人間なのか」
「…え、そんな」
「己の性格は、その夢を諦めざるを得ない程の欠点に成り得るのか」
「…………、」

まるで、叱る様に。でもそれは仕事でミスをした時にするよりずっと真っ直ぐわたしに向けられていて。どうして斎藤さんが怒っているのだろう。と言うより先に、どこからかふつふつと湧いて来るモノがあった。

それは、


「まだ始まっても居ないのだろう?だったら、進むべき時が来たら素直に従えばいい。足が動くなら、進めば良い…違うか」
「斎藤さん…どうして、わたしなんかの、」
「…俺は知っている。あんたが笑顔の裏で時々内面を揺らしていた事を」
「………っ、」

いつも笑っているのを知っている。
いつも泣いていた事を知っている。
いつも前を向いていたのを知っている。
たまに後ろを振り返って落ち込んでいたのを知っている。
いつも休憩時間に夢に向かい勉強していたのを知っている。
桜の話をする時、誰よりも輝いていたのを知っている。

俺は、ちゃんとあんたを見ていた。…と。

「あんたなら、出来る。今は負けるべき時では無い」

最後、わたしの手前に静かに周りこみしゃがみ込んだと思ったら、目線をあわせわたしの頭をそっと撫でてくれた。

止まったはずの涙は、また次から次へと伝い落ち、逆の手でそれを救おうとしてくれた斎藤さんの指先まで濡らした。

「…桜にも、遅咲きの物があるのを知っているか」
「…それは、」
「いつか、あんたの夢が叶った時。俺があんたに届けよう」

たとえ、周りの桜より時期が遅かろうと、その桜に取っての開花は最初の一厘が開いた瞬間から始まる。まだ、いける。わたしの足は、動く。

まだ、進む。

諦めの代わりに湧いてきた物は、止っていたまま足掻いていたわたしの背を押す一欠けらの希望だった。




「えっと……、どこに居るって言ってたかな、」

キョロキョロとあたりを見回すと、行き交う沢山の人に押されつつもその人を探す。
あの後直ぐにデザインを学ぶ為会社を退職し、単身海外留学をしたわたしは五年の月日を得て日本に戻って来た。勿論、ちゃんと…叶えた夢と一緒にだ。

「あれぇ…?直ぐ分かると思ったんだけどなぁ、メールもう一回見、っ!?」
「遅い」
「あ、え、さ、斎藤さんっ!」

メールを確認しようとした手を思い切り背後から引かれ、体勢を崩したわたしの背に触れたのはあの日近くで感じた懐かしい匂い。首だけ動かし後ろを向くと、あの日より少し前髪が短くなった斎藤さんの姿があった。

「どうして分かったんですか!?こんな人多いのにっ!」
「上から下まで、桜色の物で固めた人間…あんた以外に見当たらん。相変わらずの様だな」
「う、は、はい」

「久し振り」や「お帰り」と言う前に、飛んできたのは「相変わらず」とのあんまりなお言葉だったけど、すぐさま斎藤さんは「いや、」と否定し、わたしをじっと見下ろした。人が多い中、後ろから抱き留める形で話すわたし達を人の視線が辿っているけれど、今はその綺麗な空に捕われていたいと思った。メールでのやり取りでは感じられない体温が心地良い。

「あの頃よりずっと良い表情をしている。…おめでとうなまえ、見事に咲いたではないか。あんたの桜」
「ありがとう、ございま…っ、」
「まだ泣くには早い。行くぞ。もう搭乗手続きが始まっている」
「へ、ど、何処にっ!?」

手を引かれ、感動の再開もそこそこに、珍しく急かすように足を速めた斎藤さんはわたしを振り返ってこういった。

「言っただろう。俺があんたに届けると」
「あ、」
「今都内の桜は殆ど散っているが、それは丁度満開だそうだ。チケットは取ってある。見に行こう。嫌とは言わせん」

少し照れた様にそっぽを向いた彼の横顔は、まるで空をひらひらと舞う花弁の様に桜色に染まっていた。





涙を重ね花開く


(凄い、凄い、凄い綺麗!これは日本で最初に依頼を頂いたあの店舗のイメージにピッタリですっ!)
(それは良かったな、)
(はいっ!ああ、出来る事なら枚数数えたいくらいですっ!え、何々…花弁の枚数が300枚近くにもなる場合があるですって、凄い…、メモメモ)
(………仕事もいいが、)
(え?何か言いました斎藤さん!)
(俺が隣りに居る事を忘れて欲しくは無いのだが、)
(っ、は、はい)

そうして繋がれた手が、まるで八重咲きの様に…。



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