目を見開いてスプーンを持ったまま、隣りに移動したわたしを見上げる斎藤先生。
そしてそれを「しまった!」と青褪め見下ろしているわたし。
その間には、子猫が一生懸命に猫缶を食していた。

「猫!猫です!猫の名前ですっ!別に他意はありませんっ!たまたま斎藤先生のお名前がはじめってだけで別にそれに因んで名付けた訳では…っ!」
「猫…、ああ、あの時の、」
「あの!あのですね!別にわたしが斎藤先生の事が好きだからって、飼い猫にはじめなんて付けた訳では決して…っ!」
「なっ…!」

また、時が止まった。

ぼんっ、と一気に顔が火照り今までマシンガンの様に言葉を垂れ流していた唇は開いたままで音を無くした。サワサワと長閑に流れる風と、遠くの方から聞こえる院内アナウンス。それらもすぐさま頭を流れ耳から抜けていく。
ああ、何を言ってしまったんだろう。そもそもわたしがここに来たのはたまたまで…、またまた姿を消した問題児の沖田先生を探しに来て、そしてたまたま子猫を見つけて、そこへたまたま斎藤先生が現れて…それで。

大パニックの末盛大な「たまたま祭り」を脳内で起こし、間も無く停止してしまったわたしは、無意識に一歩一歩後ずさる。
斎藤先生も、その長い前髪で顔を隠す様にして俯いてしまったし。次にその瞳に移る前に退散してしまいたい。今までベテランナースで通っていたわたしが、こんなはしたない顔をして彼等の信頼を失いたくは無い。それこそ、仕事がやりにくくなる。

ずり、と擦れた外履きがまた一歩後退した時だった。


「…みょうじ、」
「っ、は!はいっ!」

名前を呼ばれ肩が上がる。駄目だ。逃げられない。

そして、斎藤先生は未だ腰を下げたままゆっくりと顔を上げ、わたしの情けない顔をその濃空色の瞳に収めて見せた。

「俺は、以前ここであんたが猫を拾ったのを見ていた、」
「え、」
「そうか。もう随分大きくなっただろう。…あの頃はまだこいつと同じ位の大きさだったが…」

そう笑った斎藤先生の頬も、少し赤みが差していて思わず息を飲む。
風に遊ばれている髪の隙間から見えた優しい瞳は直ぐそれて言って、行き場が分から無いとでも言いたげに猫に向けられていた。そして、聞こえたのは。

「俺も、ずっと迷っていたが今決めた。こいつは俺が飼おうと思う」
「え、…あ、」
「あんたは以前…此処で良く泣いていたな。しかし、どんな事にも懸命で…そして実直なあんたを俺は認めている。今度、」

食事を終え舌なめずりをしている子猫を両手で抱え上げると、そっと立ち上がりわたしを真っ直ぐ見据えた斎藤先生は、照れた様に目を伏せると小さな声でこう続けた。

「今度…食事でも、どうだろうか。そのあんたの猫…は、は…はじめにも…久し振りに会いたく思う、」
「斎藤先生…」

新人の頃、同じく新人だった斎藤先生は、雑務だろうが何だろうが真っ直ぐ向き合い、毎日を全力で走っていた。それをずっと見てきたわたしは、そんな彼に惹かれ、いつか彼の様になれたらと思って、今日までずっと頑張ってきた。飼い猫のはじめに彼の名前をつけたのは、想いを寄せているからと言う理由だけじゃなく、わたしに生き甲斐を与えてくれた彼への感謝の気持ちでもあった。挫けそうになっていたわたしを救ってくれたはじめと、斎藤先生。

「何故泣くっ!」と驚いた様子の斎藤先生は、子猫を降ろすとわたしに駆け寄って慌てていた。それに「嬉しいからですよ」と返すと、安堵の溜め息を吐きそっと肩をさすってくれた。

毎日たくさんの人を救う手は、とても温かく…
容易にわたしの事も救って見せた。






救う手



(ふぅ〜ん、良いもの見ちゃった。土方さんに言っちゃおうかなぁ…。斎藤先生がなまえちゃんを垂らしこんでたって)
(…総司、あんたは。またサボりか)
(あああ!沖田先生っ!あなたねぇ!)
(大丈夫大丈夫、僕の変わりは天下の土方教授がきっとフォローしてくれてるよ、ところで何?結局どうなの?はじめ君も満更じゃなさそうだし、これは晴れて…って奴かな?みんなに言い触ら……教えなきゃね)

(沖田先生っ!)
(待て総司!)


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