そういった関係になってもう大分経つが、それに伴い以前とは違ってしまった部分も多々ある。仕事に私情は挟まない主義の俺に何か不満でもあったのだろうか。退社後も並んで駅まで行き「本日はどうする」との問いに歯切れ悪く「斎藤さんのお家がいいです」と言われた時には、どこか心臓が握られる様な痛みすら感じていた。
一体俺の何が…。と問いたい気持ちはあれど、ここで何か余程の事を告げられてしまったら…と考えると自ずと口数は減り、俺の地元駅に着いた時にはお互いに無言だった。
そして、今。背後で立ち止ったOLさんが俺の名を、小さな声で呼んだ。
あと数メートルで俺の住むマンションへと辿り着く矢先の事だった。
「OLさん、本日はどうしたのだ…あんたらしくも無い、何か言いたい事があるのなら…」
「…………っ、」
肩に触れると、ピクと身体を跳ねさせるOLさんを見てやはり俺は不安を駆り立てられていた。つい先週の今頃はお互いに酒を飲み、居酒屋だと言うのにも関わらず…その、余り人には見せられぬ様な甘い時間を過ごしていたというのに。今の現状は一体何なのだ。
俯いたままの彼女の表情を見たくなって、少し屈んでみる。
「俺は、あんたを何か…その、不安にさせていたのだろうか…」
「………、」
「ならば言って欲しい、少しでも近くに居、」
そこで、俺の頬に何かぽつりと冷たい物が触れたと同時。
OLさんの温かい両腕が、屈んで少し顔が近くなった俺の首元に回されたのだ。
「わたし、なんだろう…。今日は朝から変で、」
「ああ、変…だったな。自覚はあったのか」
「はい。更に、なんていうのかな…あの、えっと、」
「ゆっくり話すといい、俺はここに…。いや、また雨が降って来た様だ、マンションに、」
「斎藤さんっ!」
また通り雨らしい。
小さな雨粒は、いつの間にか視界一杯に広がる半乾きだったアスファルトを再び黒く染め上げ、俺達二人の肩を容易に濡らして見せた。
反射的に背中に回した俺の両腕は、唇に触れた熱によって力が篭められOLさんのお気に入りのコートに皺を作る。小さく背伸びをして、俺に小さな口付けを寄越しやっと視線を合わせた彼女の顔は、これでもかと言うくらい真っ赤に染まっていた。
「…、な!」
「ごめんなさい。わたし、その…朝からずっと斎藤さんに甘えたくて甘えたくて…どうしようも無くてですね、」
「甘え…、」
「はい。だから、えっと…良く恋愛小説でありそうなオフィスラブのシチュエーションに持っていくにはどうしたらいいかとか、餌…じゃない、食べ物で釣ってみたら斎藤さんが釣り針にかからないかな、とかずっと悶々してました…ごめんなさい、」
まさか、
「…………あんたは朝から酔っていたのか?」
あの飴玉や熱視線にそんな意味が篭められていた等露知らず、その言葉に目を丸くするしか出来なかった。
いつも甘えてくるのは部屋で二人きりの時か、酒が入っている時位で。俺もそれが当然だと思っていたし、彼女もそう言った事が余り好きではないと思っていた。いや、俺が勝手に思い込んでいたらしい。
「酔ってなんて居ませんしっ!」と慌てた後、照れた様にはにかんだOLさんを見下ろして、俺は軽くなる胸の内を落ち着かせる事に励んだ。
あと数メートルの距離がもどかしい。
早く力一杯この腕に抱き留めてしまいたい。
「あんたでも、素面で甘える事があるのだな…」
「っ!だって!斎藤さんとお付き合いする様になってから一週間がすっっっっごく長いんですよっ!!!今は繁忙期だし、平日になかなか逢えないしで、もーーーー!気が狂うかとっ!」
「………また、そんな事を平然と」
「へーーー!斎藤さんは寂しくないんだーーー!へーーー!じゃあいいですよっ!へんっ!」
お互いに通り雨に降られ、ずぶ濡れの状態だと言うのに、いつも通りに戻った明るい声は人が居ない路地に良く響いた。頬を膨らませ身体を離したOLさんを見下ろしていた俺は、濡れた髪やコート、そして重い鞄等気にも留めずご立腹らしい彼女の手を取り歩き出した。
「さ、斎藤さん…っ!」
「ならば、もっと時間を作ろう。繁忙期など強いて言えば…元より俺には関係が無い」
「う、それって…わたしにもプレッシャー掛けてます…?」
「あんたも仕事を時間内に終わらせれば何も問題等無いだろう」
「うげえ、」
「しかし、今は…」
やはり通るだけだった突然の雨に背を押され、俺の足はいつもより断然速く彼女を連れ動き出す。
「一刻も早く、そして今まで以上に、俺があんたに甘えたいのだ…」
酒の力など無くても甘え…そして、
甘えられる関係を俺はずっと欲していたらしい。
その証拠に、こんなにも…
雫が心地良い
(しかし、一つだけ言うとしたら、あの飴玉は二度と買うな)
(え?)
(まず商品名からしておかしかったが、豆腐は本来…飴玉にする様なものでは無いのだ、)
(不味かったんだ…)
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bkm
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