とある休日。伏黒は珍しく私服姿で寮の入口に立っていた。ゆったりとした白いTシャツに黒のジーンズ、同じく黒のスニーカーというシンプルな服装。給料で買ったものの、ほとんど着ける機会がなかった腕時計を見れば約束の時間まであと五分。財布の中に二人分のチケットが入っていることを確認していると、苗字がやってきた。

「ごめんね、待った?」
「いや、今来たばかりです」
「それなら良かった!」

紺色のワンピースに小さいショルダーバッグとサンダルを合わせ、薄く化粧をしている。伏黒は普段よりも大人びた恋人の姿に目を奪われた。気恥しかったが、精一杯の賛辞を口にする。

「名前さん。...可愛いです」
「ありがとう! 恵君もすごく似合っててかっこいいよ」

嬉しそうに頬を染める苗字を見て伏黒の顔も少し熱くなった。今からこれで大丈夫かよ、という思いを抱く。序盤から心拍数が上がったまま、彼らは駅へと向かった。
電車にしばらく揺られ、目的地にたどり着いた。事前に用意していたチケットで館内に入ると、大人から子どもまで大勢の人で賑わっている。順路を示す看板の先に巨大な水槽。

「水族館なんて久しぶりに来た」
「俺もです。多分小学校の遠足が最後だったような」
「よし、二人で懐かしの水族館を堪能しますか!」

色とりどりの魚とそれぞれの環境に合わせた水槽を堪能しながら順路を進む。伏黒は熱帯エリアでクマノミに魅入っている苗字の姿をこっそり写真に収めた。
途中で子どもが集まっている場所に近づくと、ふれあいコーナーという看板が掲げられていた。彼らの腰の高さ程の台に水槽がのせられている。その中のヒトデやナマコに紛れて黒くてトゲトゲした見覚えのあるシルエットがあった。

「恵君がいるよ」
「俺はウニじゃないです」

真面目に返すところがおかしくて苗字は笑ってしまう。見るからにトゲが痛そうなウニは子どもたちから嫌がられていたのも彼女のツボに入った。せっかくなので、伏黒の両手にウニをのせてもらって写真を撮る。真顔でウニを持つ絵面があまりに面白かったので、虎杖と釘崎に送ろうとすると全力で止められた。
その後も様々な水槽を巡っていく。アザラシの水槽の前でスマホの内カメラを使うと、二人の間から丁度顔を出してくれた。見事なスリーショットは苗字のお気に入りフォルダに入れられる。
別のエリアで苗字が大型の淡水魚に夢中になっていると、壁に描かれた地図から期間限定という文字を見つけた伏黒が声をかけた。

「あっちでクラゲ展やってるらしいですよ」
「え! 行こ行こ!」

青、赤、緑など様々な色でライトアップされた水槽でクラゲが浮かんでいる。幻想的な水槽にもちろん他の客も惹かれたようで、周囲は人で溢れていた。伏黒ははぐれないように、という建前で苗字の手をそっと握った。彼女は伏黒を見上げて笑い、指を絡める。他のエリアよりも暗い照明であるため、互いの顔が赤いことには気づかなかった。
クラゲのエリアを抜けると人通りは落ち着いたが、繋いだ手はそのままにして残りの水槽を回った。順路を終えて、売店でお土産を見ていると苗字が声をかけた。

「この後はどうしよっか?」
「行きたいところがあるので、ついてきて貰えますか?」
「もちろん」

苗字は快く承諾し、伏黒は次の目的地へと案内した。
電車を乗り換え、二人が訪れたのは病院だった。以前伏黒が呪いにかかった姉がいる、と暗い声で語っていたのを思い出す。何となく行先を察した苗字は静かに伏黒の後をついていった。通された病室には一人の少女がベッド横たわっている。内部の生活感の無さから、寝たきりの状態であることはすぐに分かった。

「俺の姉の津美紀です」
「恵君のお姉さん...」
「名前さんに紹介しておきたかったんです。楽しい場所ではなくて、すみません」
「そんなことないよ。津美紀さんに会えて嬉しい」

申し訳なさそうにする伏黒に向かって苗字が微笑む。そのおかげでいくらか心が軽くなった。
苗字が思い出話を聞きたいと言ったので、伏黒は椅子を用意して、ぽつりぽつりと話を始める。彼にとってはなんてことない子どもの頃の話にも、じっと耳を傾けてくれるのが嬉しかった。中学時代の自分が荒れていた話をするのは恥ずかしかったが、苗字が笑ってくれる良いネタとなった。
いつもの心苦しい見舞いとは違い、穏やかなひと時を過ごせた。


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