犬神-1-
東京から離れた地方のとある高級旅館にて、苗字は豪華な部屋を見て興奮を抑えられなかった。同行していた伏黒も、彼女程ではないが、少なからず感動していた。

「伏黒君! こっちに露天風呂あるよ!」
「すげえ。良い景色ですね」
「うんうん! さすが老舗旅館! しかもお金は高専が出してくれるなんて!」
「らしいですね。交通費も込みで」
「最高!! 任務じゃなかったらもっと最高...」
「そこは我慢してください。荷物置いたら行きますよ」
「はーい」

苗字は元気よく返事をして、伏黒と共に部屋を後にした。
___事の発端は、先日の伊地知からの呼び出しだった。

「今回お二人には地方の任務に回当たってもらいます。準一級相当を一体、二級相当を二体祓ってください。
山を開発しようとして工事業者が入った場所が、かつて犬神信仰が行われていた村の跡地だったようです。作業中不可解な事故が相次いでいます。幸い死者は出ていませんが、病院に搬送されるレベルの怪我人が多く出ています。早急に対処していただきたい」

伊地知によると、他にこの等級に対処出来る術師の手が空いていないんだとか。歳頃の男女が二人で宿泊任務など如何なものか、と伏黒は抗議したかった。しかし五条曰く、名前は間違いが起こりそうになったら狐化できるし問題無し、とのこと。苗字もそれで納得したため、今回泊りがけでの任務が決定した。伏黒としては五条にからかわれているとしか思えなかったが、ここで反抗するのも掌で転がされているような気がして、大人しく従うことにした。
彼としては別に先輩のことを意識なんてしていない、という姿勢を貫きたいのだ。


苗字の持つ地図を頼りに、目的地を目指していると、立ち入り禁止の札を掲げた区域にたどり着いた。辺りは樹齢を重ねたであろう立派な木々に囲まれている。

「...地図によると、このロープの向こうが村があった場所だよ」
「了解です。渡りますか」
「うん、行こうか」

人の気配はまるで感じられない。二人は意を決して、鬱蒼とした樹林に足を踏み入れた。

「グルルルルルルル...」

前方から獣の唸り声が聞こえる。音の方向へ進むと、目の前に現れたのはイタチのような体つきの呪霊二体。形はイタチだが大きさは倍以上で筋肉質だ。目は血走り、瞳孔は開き、牙をむき出しにしている。それぞれが咆哮を放ち、飛びかかってきた。苗字は即座に化けて迎え撃つ。

___烽火連天

片方の呪霊に噛みつき体を爪で裂くと、そこから青い炎が燃え広がる。もう一方が苗字の背後を取ろうとすると、すかさず伏黒が術式を使った。

「いけ、鵺!」

死角から攻撃を受け、呪霊が木々の間に倒れ込む。

「やるじゃん伏黒君」
「苗字先輩こそ、応用の幅が広がってるじゃないですか」
「術式の解釈は自由にやんないとね!」

どちらの呪霊も即座に体勢を立て直し、牙を剥くが、二人の手によって、あっという間に動かなくなった。一方は伏黒の呪具で首を切り落とされ、もう片方は苗字の炎で焼き尽くされ、跡形もない。おそらくこの呪霊たちは二級だろう。苗字がまだ準一級がいるはずだ、と周囲を見渡した時、伏黒が立っている真下の地面から異様な気配を察知した。

「伏黒君、足元!!」
「クソッ」

咄嗟に鵺が後ろから伏黒を抱えて地面から離れるが、何か鋭い物が彼の足を掠めた。盛り上がった土から顔を出したのは、白い毛並みの巨大な狼だった。頭上にいる伏黒に食らいつこうと、大口を開けて地中から巨躯を露わにする。鵺がさらに高く飛び、狼はそれを追って近くの木をかけ登る。
伏黒が下を見ると、首を切り落としたはずのイタチの呪霊が苗字の背後に迫っていた。

「苗字先輩ッ」
「...っ!」
「ガルルルルルグガアァァアアァアッッ」

首から上だけでイタチの呪霊が苗字に襲いかかると同時に、狼も木の幹から跳んだ。伏黒は咄嗟に別の影絵を作る。

___満象

巨大な象が空中に放たれると、狼諸共、イタチの呪霊の上に着地した。どちゃりという嫌な音と血飛沫があがる。満象の下敷きとなった血みどろの呪霊二体が暴れている。
満象と引き換えに鵺を解いた伏黒が地面に着地すると、苗字に合図した。

「先輩、今のうちにっ!」
「了解!」

___領域展開「狐鳴燐獄」

苗字の声を聞き、伏黒は満象を解く。自由になった二体は唸りを上げ、彼女に飛びかかった。

「ガルルルルルルルルルルル...!!!!」
「ひト、ヒトガッッッがガぁァアアア」
「一瞬で終わらせるから」

苗字がひと鳴きすると、青い炎が呪霊たちを包み込む。領域内では、呪霊たちの断末魔がこだまし、呪いを焼き尽くすまで消えない炎が煌めいていた。跡形も無くなったのを確認すると、苗字は領域を解除し、人の姿に戻った。

「先輩! 無事ですか!」
「大丈夫、もう倒れないよ」
「...良かったです」

以前領域を使用して倒れたので、心配しているようだ。駆け寄る後輩に苗字は笑顔を向ける。そして彼女は残穢のある地面を見て、静かに手を合わせた。

「伏黒君はさ、犬神の作り方って知ってる?」
「...犬を生きたまま埋めるんですよね」
「そう。詳しい手順はもっとあるんだけどね。この子たちは昔、普通にこの森で暮らしてただけかもしれないのに...人間の都合で呪いにされるなんて、哀しいなって」
「...でも、死人が出る前に祓えました」
「そうだね。誰も死なずに、殺させなくて、済んだ」

自身も獣の姿で戦う苗字には、特に思うことがあったのだろう。彼女の意を汲んだ伏黒も隣に立ち、同じように手を合わせた。

「ごめんね、待たせて」
「謝らないでください。変な言い方ですけど、この呪霊も少しは報われたと思います」
「...そうだといいなあ。それじゃあ、帰ろっか」

苗字と伏黒は宿に向かった。
その場からは今後呪いが発生する事は無かったという。


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