大人しく帰路を辿る銀時であったが、途中の団子屋の軒先で女性の姿が見えて足を止めた。彼女は柄杓を手に持ちパシャパシャと水を撒いていた。
「よォ、名前ちゃん。閉店間際なのに打ち水してんのかい?」
「銀さんこんにちは。これはヤンキー避けですよ。濡れた地面には誰も座りたがりませんからね」
「田舎のコンビニ特有のライフハックじゃねーか」
銀時の例えに対し、苗字は困ったように笑った。どうやら真面目に水を撒いているらしい。察した銀時が何かあったのかと尋ねた。
「実は最近、閉店後に変な人が来るようになってしまったんです」
「オイオイ大丈夫なのかそれ。詳しく聞かせてくれよ。銀さんが力になってやる」
「ありがとうございます」
苗字は扉の表に閉店の札をかけた後、銀時を店の中へ通した。小上がりの畳席に座ってもらい、急いでお茶を用意した。彼女はちゃぶ台を挟んで銀時の向かい合わせに座ると改めて話を始めた。
「近頃、営業が終わった後に不審な男性が店の前に居座っているんです。タバコを吸ったり、酒を飲んだりするものだから翌朝の掃除も大変でして」
「それってストーカーじゃね?通報した方が良いんじゃねえの」
「や、でも本当に居座っているだけなんですよね。声かけられたり、扉を叩いたりとかもなくて。一晩中いるわけではないみたいだし...」
「いやいやいや、それは油断しすぎ。犯人がいつ侵入してくるかなんて分かんないでしょーが。店の奥は名前ちゃんの自宅でしょ?危ないったらありゃしない」
銀時に思いの外注意されて苗字は正座した膝の上で拳を握った。危機感の無さを反省しているようだ。この店が美人が切り盛りしている団子屋だと有名なのを本人は知らないのだろうか、と銀時は雑に頭をかいた。これ以上変な男を引き寄せるのは勘弁してくれと思いながら、目の前の想い人に声をかける。
「通報すんのに尻込みしたら迷わず俺に連絡しな。パトカーよりも早く駆けつけてやるからよ」
「ありがとうございます。銀さんなら心強いです」
苗字は顔を上げると嬉しそうに笑った。頬が薄ら桃色に染まっている。その表情に期待を抱いた銀時の顔がニヤついた。
「なんなら今日は俺が泊まっ...」
「き、来ましたっ」
残念ながら銀時の誘いは苗字の焦った声で打ち切られた。扉の向こう側に人影が見える。コンビニの袋らしきものがガサガサと音を立てたが、隠れる気はないのだろうか。2人は顔を見合わせて扉に近づき、聞き耳を立てた。件の男は店の前に座り込んだと思えば一瞬で立ち上がった。
「うぉっ!ケツが濡れちまった!打ち水か?」
苗字の顔が作戦成功と言わんばかりに明るくなる。これで帰ってくれるならよかったものの、実際はそこまで甘くなかった。
「打ち水...てことはこれ名前さんちの残り湯...!?」
「キッッッショいわ!!!湯船で名前ちゃんのダシでも取れると思ってんのかコノヤロー!!」
耐えかねた銀時は叫びながら表に飛び出し、男の首根っこを掴んで乾いている地面に叩きつけた。彼が土埃だらけになった男を押さえつけている間に苗字は通報した。
「銀さん、本当にありがとうございました」
「いやいや、いいってことよ」
「まさかお客さんがあんな変態になっていたとは...」
静かになった店内で苗字は適当な席にぐったりと腰をおろした。男は以前まで店の常連客だったが昼間の仕事が長引くようになったせいで、仕方なく閉店後に訪れていたそうだ。晩御飯や風呂の香りがするので居心地が良くてつい居座ってしまっただけで、危害を加えるつもりはなかったとのこと。しかし苗字がコンビニに行く時に鉢合わせでもしないかと淡い期待を抱いていたと白状した上に、当の本人が怖がっていたのは事実なので、見事に警察送りとなった。
「客に好かれるのは良い店の証拠だけどよ、変なのもいるから気をつけろよ」
「はい、肝に銘じておきます。ツケ代を延々と溜めているお客さんとかいますからね」
「ちょっ!それはまた今度払うから!」
まさか今指摘されるとは思ってもみなかった銀時はギョッとした。彼の慌てた様子に苗字は可笑しそうに口元を押さえた。
「その分、私が万事屋さんにお世話になる時は安くしてくださいね」
「名前ちゃんなら特別にタダで請け負ってやるよ」
銀時が口角を上げると苗字は大いに喜んだ。彼の手を握り、両手で包み込み改めて礼を言う。純真無垢な彼女に悪い虫がつかないように見張らなくては。そう思い直す銀時であった。