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  ―― ―

         あ、


「  杏ちゃん!  」

「!」


不意に呼ばれた自らの名前に、弾かれるように引き戻される。
いっそ暴力的とも言える茜色に満ちた教室で、私は慌てて声へと振り返った。

振り返っ・た ?
あれ、私は今まで何を…


「………」
「さっきまで玄関で待ってて、遅いから迎えに来たんだけど…」
「…………」
「どうしたの、具合でも悪い?」
「いや。そういうわけ、ではなくて……」


霞がかった記憶のもやもやが目の裏に溜まっているような感覚に、額に手を当てる。薄い膜が目の表面を覆っているような不明瞭感。

今まで、私は<何を>していたのだったか?

なかなか思い出すことが出来ずに靄を晴らそうとしきりに瞬く私の視界には、自らのものであるセーラー服の袖と私の元へ駆け寄る来た人影が見えている。
特に視界そのものに異常があるわけでは無いらしい。まるで寝起きのような…ああ。もしかして居眠りをしていたのか?これはまたえらく熟睡したものだ。


「はあ…」
「杏ちゃん、大丈夫?」
「ん…大丈夫も何も。ただ寝惚けていただけだろう」


相変わらずこいつは心配性だな。
大丈夫、私は。

<私は>、大丈夫だ。


「……本当に大丈夫?」

「………」

「まあ、あんな事件があったんだから疲労も溜まって当たり前だよね。事情聴取は、今日は止めて貰おうか?」
「…いや。そういう訳にもいかないだろう」


本音を言えばこんな状態でまともな受け答えが出来るか自信がない。
けれど、だから私の都合一つで彼等の職務の邪魔をしてしまうのは自分が許せないのだ。ましてや事情を知っている人間が私しか居ないと来ている、私がどうにかしなければ…してあげなければいけないのだ。私が。

だって私は何も出来なかったのだ。
私は何も…何も出来なかったのだ。
今でさえこれぐらいしか、終わったことを代わりに説明するぐらいしか出来ないのだから、せめて、これだけは……これぐらいは、しっかりとやり通したい。



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