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白い病室の中では、こいつの黒い髪はよく映える。


「………」


そんな事を考えながら、寝息一つ立てずに目を閉じている男の顔を覗き込んだ。こいつ本当に生きてるのか。
顔色も蝋のようにまっしろで……って、それは初めからだったけど、


「今ではだいぶ落ち着かれていて……。中和剤が上手く効いたみたいなので、ご安心なさってください。」


点滴のパックを換えながら、女医さんが言った。
……なんか、この女医さん、言っちゃ悪いけど女医って言うよりやっぱり看護師さんだよな…。


「………まあ、そんな簡単にくたばるような可愛らしい根性してないからな、コイツ。」あっはっはっ。
「……ふふ、随分と信頼なさっているんですね、その方のこと。」

し・ん・ら・いぃ……?

「この性悪小姑みたいな男を?」

「性悪小姑みたいな男で悪かったな……」

!?


ばさ、布団の捲れる音と共に男に繋がっていた点滴台の滑車がカラカラと音を立てた。

……おっ、おっ、おっ、


「俺が性悪小姑ならお前は筋肉女で決定だな。」
「おきてるーっ!?」
「あんな馬鹿でかい声で喋ってたら嫌でも起きるだろうが。煩い。」
「………お……まえ…」


身を起こした男の、なんだか意外と元気そうな様子だとか、相変わらずの滑らかな悪態とか見て…。
すっごく、言われてる事は腹立たしいのに、なんだか、こう……胸にぐっと迫るものが……うるっと……。
へなへなと力が抜けてしまい、思わずその場にしゃがみ込む


「……ふん。」
「………本当に、良かったんだぞ……」
「…………チッ、」
「あっ、か、患者さん!まだ立たないで下さい!」


私がへにゃへにゃとしゃがみ込んでいる間に、ガラガラと点滴台の動く音と、女医さんの悲鳴が振ってくる。


「煩い。俺にはこんな所でモタモタしている時間は…」
「いえ、それでも今はまだ……っ、」
「邪魔だ、退け。」
「そういう訳にはいきませんっ。」


……コ・イ・ツ・はぁ〜〜…


「……だから、鬱陶しいと言っているのが聞こえないのかこの、」
「〜〜こらッ!!自分の手当てをしてくれた人間に対してその口の利き方は、なんだ!」


お馬鹿!!

叫んで拳骨を頭にごつん。

目を真ん丸に見開く女医さんを傍目に、男が悶絶。あ、あれ。そんなに、痛かったかしら…?


「……っ、貴様ァ………そもそも俺は、コイツに治療を頼んだ覚えはないぞ……!」
「そういう事は、自分の身を振り返ってから言え!自分で頼んだのでなくても、助けてもらったのは事実だろう!助けてもらった相手に対する礼儀も考えられないのか、お前は!」
「………………チッ」
「ほら、ごめんなさいは!」
「……………」


くいっ!勢いよく顔を反らし、「寝る。」と一言言って毛布をばさっ!!「…ああ!?」唖然とする私を残して、一人で夢の世界への逃避を始めた男に、…この………ぐぬぬっ…

「お前えええ…………」


こうなったら、と布団を力づくでひきはがそうとした所で、女医さんが、良いですから、良いですから、と身を張って庇って来たことでお仕置きが強制終了する。


「ふふ、アンさまの拳骨は、まるで格闘タイプのポケモンの技のようですね。」
「格闘タイプ?」
「はい。このヘルガーさんのタイプは悪と炎なので……アンさまの技は、良くお効きになるのでは無いでしょうか。……そろそろ行きましょうか。」
「ほお……。タイプか……あっ、ああ。分かった。今行くぞ。」


こちらを見てくすくすと笑う女医さんは、自分の仕事は終わっていたらしい。
元々は顔を見るだけの予定が、思わず長居させてしまった。慌てて立ち上がって、その時不意に思い付いたことが一つ。


「……っと、すまない、少しだけ二人にさせて貰えないだろうか。」
「………」
「頼む。大事な話があるんだ。」


困ったようにこちらを見る女医さんに、もう一度頭を下げる。


「………では、アンさまの手続きもありますし、少し離れたところで待たせて頂きますね。」
「ありがとう。」


かららら、とスライドドアが開いて閉じる音を聞きながら、毛布を被った男に向き直る。


「………なぁ、」
「………」


返事は無い。
まぁいいか、そっちの方が私も話を進め易いしな。

なんというか。顔を見ながらでは、しにくい話なのだ。少々…照れ臭い、というか。


「ここに来る前、名前……について、話したの覚えてるだろ。」
「…………」
「それで、なんだが…その……私は。」



「お前を呼ぶ名前を、付けたいと思っている。」


「…………」
「あのときも言ったみたいに、名前は"お前"を表すたった一つのもので、お前の持つ、たった一つ奪われないものだ。」


だから、私のような未熟ものではなく、もっと人格の出来た人から貰った方が良いのだろうけれど、
……コイツに今名前を与えてあげられるのは、私しか居ないようだから。


「だから、嫌なら言って欲しい。無理に付けるとは言わないし、私もこれからはお前のことを、さっきの看護師さんの呼んでいたヘルガーと呼ぶ。」
「………」

返事は、無し。されどそれは、否定ではなく。

不意に、少し前の会話を思い出した。

(名前、と言うのは、だって、服従の印でも支配の印でも無くて。)

(たった一つ。自分、その物じゃあないか。)


(………そうか。)

(そうだな。)



「………それじゃあ、言うぞ。」


心のどこかでほっとしながら、続く、彼の名前を呼んだ。



「直。」

なお。

「お前は、これから、直と言う、"一つ"だ。……なあ、私にはお前を助けた責任がある。から、明日からも私はここに来るから。」

「……」

「…………明日からも、宜しくな。」



投げ付けるように一言だけ残して、病室を後にした。





直。

なお。

どこまでも捻くれてて、

どこまでも真っ直ぐな、

お前を、直と呼ぼう。




(こうして、私達の長い長い一日は、ようやく終わりを告げた。)


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