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後日譚。
結局あの後、バンの男にいくら命じられてもゴーストが戦意を再燃するには至らず、結果それまでの大きい態度が嘘だったかのように、男はどこかへ去って行った。
いや。
逃げ帰ったと――言うのが正しいかもしれない。このような表現はあまり好むものではないのだが。でも、まさしく。
(お、れは知らねえぞッ、どうなっても……!!)
(…………。)
(ひっ……ぃいっ!)
じり、と近寄ったクロに腰を抜かしかけながら、ゴーストを戻したボールを大事に抱え幾度か振り返りつつどこかへ去る姿は、まさしく逃げ帰ると称するに相応しく。
そして確かに――『怯えて』いた。
(─………)
(…………ほんと、無様。)
呟くクロに支えられ、ようやっとのことで立っていた私には、どうしてもそれが不自然な事に思えて。今までの高圧的な態度──から考えて、幾ら敵に回ったとしても、ここまで掌を返すように怯えることが出来るものなのか。
今にして思えば、私が不思議がっていたのは、どうしてそこまで大袈裟に怯えたのかではなく、どうして「敵に回ったとしたら恐るべき相手」に対して、あのような軽んずる態度を取っていられたのかと言うこと、なのだろう。
怒鳴り──自分の意見を押し付け──命令し。
普通は、そのような実力者を、あのようにいかにも自分の道具のようには扱わないだろうに。反逆、とまでもいかないまでも。
自分がやり返される可能性を考えたら、裏切られた途端にあれだけ怯える相手には、高圧的な態度など、取れなさそうなものなのに。
「それはね、アンちゃん。ひとえに、俺が───舐められていた、ってだけの話なんだ。」
「舐められて……」
「うん。侮られていた、と言うのがより正しいかな。」
その後、例の如くセンターへと担ぎ込まれた直と私が治療を受けている間に何があったのか、その詳細は今は取り敢えず割愛するとして。
とにかく、かなり重度の貧血と診断された私は即時点滴を受けることになり、なおかつ念のため三日ほどセンターで休むこととなった。
因みに今は、その二日目という事になる。
「………わかってるとは、思うけど。俺さ、昔。別にマスターが居たんだよね。」
「……マスター……」
「うん。……俺の、ご主人様。それで、俺だけのご主人様だったなぁ。」
ベッドで身を起こした私と、その脇に腰を下ろした彼。つい二日前に似たような構図で流れていた雰囲気はここにはない。
あるのはただ穏やかな、春の陽気に似た柔らかな空気だけで。
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