1
狭い部屋の内にある椅子代わりのベッドに深く腰掛け、ぎしり、耳を突く音が鳴るのと同時に携帯が都合よく震えだした。
ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ。
見ていたかのようなタイミングに胡乱気に顔をもたげ、枕元の携帯を手に取る。
まるで携帯に呼び掛けられているような感覚に、苦々しげに顔を歪めた。
いたたまれずに伏せた目線の先、ベッドの上に力の抜けた肢体と浮くような髮色が目に入る。なんとなしにその髪先を手に取って。
「……可哀想に。」
思わず、言葉がこぼれ落ちた。
──ほんっと、お気の毒。
若い身空で何があったかなんて知らないし、知る気もさらさらないが。
それでもこの無防備な寝顔を見ていると、染々と考えることが無いこともない。
それでも、携帯は、その存在を示すかのように震えている。
まるで、──逃げられないぞ、と。
そう呼び掛けるように。
軽く息をついて携帯を耳に当てた。わざわざ画面を見るまでも無い、相手は分かりきっている。
「…………もしもし。」
『どうだ、首尾の方は。』
「……まぁな。今回は当たりだった。」
『そいつぁ上々。』
案の定予想を外さない声に、心中盛大にため息を吐いた。
いっそ外れてくれれば良かった。つくづくそう思う。徒に手の内の髪を弄びながら、確かめるように声を放った。やわらけぇ、猫みてえ。
「………本当に。」
『あ?』
「本当に、これで最後なんだろうな。」
『なんだお前、俺を信用してねぇのかぁ?』
「…………んーや?いつもお世話になります、ご主人さま?」
信用出来る訳が無いだろうよ。
よっぽど言ってやろうとも思ったが、辛うじて理性で押し留めた。乗じて、へらり、笑う。
別名機嫌取りとも言う。
『いや、それにしても勿体ねぇーな、お前ならホイホイ釣れんのに。勿体ねぇ勿体ねぇ。』
「……話は、もう良いっすよね、」
『怒んなって。はは、じゃあいつも通りに。着いたら電話すっから。』
反吐が出る。
誰にだなんて、そんなの。
自分自身に、決まっているけれど。
無言になった携帯から、逃がさないぞと声が聞こえた。
******
うつら、うつら。
夢と現の境を意識がふわふわと往き来するのを感じながら、体を仰向けた。
んーにゃ、きもちいい……。
「………んぁ……」
ごろん、寝返り。
眠い。最近にしては珍しく、何事もなく眠れたらしい。心地よさのままするりとシーツに肌を刷り寄せる。
あー、なんていうか。学校に行きたくないなぁ……。
まだ目覚ましはついてない。二度寝は大体遅刻の元だけれど、でも、今日は、いいだろう。
久しぶりに、ぐっすりと眠れたんだ。
目を閉じたまま、布団に潜り込む。
「…………んん……?」
と、潜り込んだは、いいけれど。
違和感。
違和感?
いや、望排他感。
触感でもないし、なんだろう……味……違う、そうじゃない。そうだ。
これは。
煙草の匂い、だ。
(────杏。)
(起きなさい。)
がばっ!!!
全身の力を総動員して体を起こす。異物感。そうだ。煙草の匂い。
「………っ、………。」
何故か不意に聞こえた父親(暫定)の声に導かれるようにして辺りを見回すと、意識の覚醒に合わせて徐々に周囲の景色が目に入って来た。
随分と、狭い部屋だった。
細身のクロゼットと一人用のベッドが一つあって、それだけで部屋は殆ど一杯一杯になっている。
ビジネスホテルの安いシングルルームみたいな部屋。
その足元を脱ぎ散らかしたシャツやらスーツやらが埋め尽くしていて、カップラーメンのゴミやらなんやらも同時にぽつぽつと落ちていた。
見るといかにも玄関、と言った扉が少し離れた所にあって、下駄箱もそこに置いてある。
「……………ここは、どこだ……?」
[] BACK [→]