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それは、私と直が知り合ってから数日が経ち、直の病状も芳しくはなくとも安心して見ていられる程度にはなった頃、つまりは経過が順調に快方へ向かっていたある日。
その、昼下がりのことだった。


いつも通りに散策という名の散歩に出かけ、しかし特に新たな発見もなくまた真新しい情報も見つかる気配すら無いためやるせない気分になって──なんとなくやる気が無くなってしまったのが、およそ三十分前。
なすすべなく結局すごすごとPCに帰る事に決めたのが大体十分前。
直が治療を受けている例の個室のドアーの前に辿り着いたのが、ほんの一分前。

そして、手をかけたスライドドアーが殆ど無音で開いて、病室に踏み込んだのが、今。


ふと何の情報も土産も持っていないことに気が付いて、もしやまた皮肉を言われるのでは無いかと言う考えがちらりと頭をよぎるが既に時遅し。既に足は病室へと踏み出してしまっている。
腹を括って部屋の主の機嫌を窺うべく口を開いた。さて、今日はどんな皮肉が飛び出すだろうか。


「直、今日は調子の方は──……」


その時、目に入った光景に、覚悟の末開きかけた口がぽかん、と開いたままで動きを止める。


黄金の稲穂の群から零れ落ちたかのような柔らかい光に包まれた白い病室。
その先のベッドの上。穏やかに規則正しい寝息を立てながら、眠るようにして横たわる人影が一つあった。
否。眠るようにではない。

本当に眠っているのだ。


「……め、っずら……しいー……な、おい………」


抜き足差し足忍び足で物音を立てないようにそっと近付いて、顔を覗き込む。


黒々と光る髪は寝息に合わせてさらさらと微かに動き、長い睫毛に縁取られた目に、普段のような険はない。形のよい眉も今だけは自然な形を取っている。
まるで、熟練の芸術家が何年も掛けて造り上げた作品のような、転じて、美しい無機物を見ているかのような感覚に息を呑み込む。……ごくり。


「………ほん、とうに、」


寝てるのか……?

目の前の光景があんまりに信じられず、恐る恐る手を伸ばした。


たかが人が寝ているぐらいで大袈裟な、と思うかも知れないが。よく考えても見てくれ。あの直だ。立てば悪態座れば皮肉、歩く姿は棘の華……そんなこいつが人前で眠るだなんて無防備な姿を晒しているだなんて、到底信じることが出来なくとも仕方がないだろう。
生物として睡眠を取ることは当たり前だと、分かってはいたけれど、それでもにわかには信じがたい。


伸ばした手が、さらさらとした髪に触れる。きちんと清潔に保って貰っているらしく、手櫛で解くと癖のない髪はするすると下まで流れてしまった。心地よい手触り。捻くれたこいつの性根とは大違いだ。
いっそ、気に食わないぐらいに。


「………普段からこうして大人しくしてれば、少しは可愛い気もあるのになぁ。」
「余計なお世話だ。」
「うぉっ!?」


誰も聞いていない筈の独り言に返答が聞こえて、焦りやら気恥ずかしさやらで咄嗟に手を引っ込める。
引っ込めるその前に、まるで私の反応を読んでいたかのように。がしり。
白い手のひらが私の手首を掴んで動きを止めていた。


「……直……?」
「…………」
「……直さーん……?」


どっ。どっ。どっ。

跳び跳ねた心臓の脈を聞きながら、恐る恐る声をかけた。
も、もしかして、怒ってらっしゃる…………?


「す、すまなかった……?」
「ふん。」

聞き慣れた鼻先でのあしらい。
あああ怒ってる、〜………。


「…あ、の、だなぁ〜……そのぉ〜……」
「……………別に、」
「ん?」
「………何でもない。勝手に触っていれば良いだろう。」


そうして、ぐいっと。

手を引かれて、頭へと誘導される。
さらりとした髪の感触リターンズは非常に宜しいのですが、…
………ん?
……………んん??


宜しいのですが、全く意味が分からん。
大人しい理由も、怒らない理由も。私に、触らせる、理由も。


「……寝てるかと思ってたんだぞ……」
「……ふん。あれだけ煩くされたら、嫌でも目が覚めるだろうが。」
「………さいですか。」


恐る恐る動かした手に、目を瞑る直。私の目がどうかしたのだろうか。心地よさ気に見えるのは、どういう事だ。

本当に、今日のこいつは意味が分からん。


「……お前の手は、日向の匂いがするな……」
「……そうか。」
「………嫌いじゃあない。」
「…………。そうか。」
「ああ。」



分からんのだけれど、こいつの考えてる事が分からないのなんていつもの事なので。

今はただ、何も考えずに、側にいることにした。









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