うたかた花火



ジリジリと蝕むような日差しが降り注ぐ暑い夏の昼下がりだった。
「千夏」
「あ、征十郎」
廊下を歩いていた私は、彼に呼び止められた。どうやら部活の顧問によびだされたらしく、手には分厚い紙束が鎮座していた。
「今度の試合の資料?」
ちょい、と指差すと分厚い紙束を眺めて、征十郎は、あぁ、と頷いた。
「なかなか手強い相手だという噂だからな」
「とか何とか言って、どうせ勝つんでしょ?」
「当たり前だ。」
さも当然というように答える彼を見て、私は小さく笑った。
「そうだ、花火を見に行かないか?」
「花火?」
ふと何かを思い出したかのようにさらりと言い出すが、それはつまりデートのお誘いなのか、などと考えながら聞き返すと彼は頷いて、危うい手つきで紙束のしたから一枚の紙を引っ張り出した。差し出されたのは花火大会のパンフレットだった。座って見れる席への招待券らしい。
「父さんから貰ったんだ。千夏さんと見に行くといいって」
父さん、案外千夏の事気に入ってるんだよ。
そう嬉しそうに彼は笑いながら言った。
「うん、じゃあお言葉に甘えて行かせていただきます」
特に断る理由もなく、私は彼からパンフレットを受け取って彼と教室まで歩き出した。

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ざわざわと人々のはしゃぐ声が飛び交っていた。私は今日のために卸した浴衣を着て、彼と歩いている。あはは、と無邪気な笑い声を響かせながら、小学生が私たちの横を通りぬける。
「もうすぐ、夏休み終わっちゃうね」
耳のいい彼は当然私が漏らした一言を聞き逃す筈がなく、そうだな、と返される。
「宿題、終わった?」
少し身を乗り出して征十郎の顔を覗くと、ピン、とデコピンされた。
「俺にそんなこと聞くかい?そんなのとっくに終わってるよ」
「ふふ、そーでしたね!緑間君的に言うと人事を尽くしたまでだ、的な?」
「そうだな…青峰は今頃家の中で死ぬ気で桃井のを写してるんだろうな」
「………どうしよう、想像ついちゃう」
手を繋いで、他愛のない話をしながら、カランコロンと下駄を鳴らしながら、人混みをすり抜ける。
辺りには金魚掬いに射的、綿飴、ヨーヨー釣りと随分たくさんの種類の出店が立ち並んでいる。どれも楽しそうで、二人でいろんなところに寄りながら目的地へ向かう。


「「あ………」」


会場へ進む速度は思いのほか遅かったらしく、すでに最初の花火は上がってしまった。
席は空いてても、そこまでの道は混んでいるんだろうね。
そう言って二人で立ち止まり、空を見上げて花火を見る。
あまり間近で花火を見たことがない彼は、夢中で花火を見上げて、目をキラキラさせていた。
そんな彼の横顔を、私はそっと盗みみる。
「千夏、」
「ん?」
急に声をかけられて、ギクリとする。盗み見た事がばれたのだろうか。
「花火、綺麗だな」
彼を見ると、やっぱり花火を見ていて、やっぱり目をキラキラさせていた。
クスリ、と私は笑って、前を向いた。
「うん、綺麗」


しばらく立っていたが、二人とも疲れたので、近くの神社にお邪魔させてもらって、境内の正殿に続く階段に腰掛けた。
ここはどうやら穴場のスポットらしく、ちらほらと人がいて、花火がよく見えた。
遠くからお祭りのお囃子の音がひゅるりらと鳴っている。
夜空にドンドンと上がった花火は、菊の花みたいで、とても綺麗だった。
突然、ぎゅっと、手を握られる。
「征十郎?」
訝しげに彼の名を呼ぶと、さみしそうに笑った。
「………もうすぐ、終わるな」
「………うん、終わるね…夏」
「切ないな」
そう言った彼の横顔は恐ろしいくらいに儚かった。
「うん、切ないね」
これから何かぎ起こる。そんな何か嫌な予感がしたが、それを振り払うように、私も彼の手を、これでもかというぐらい握った。

たくさんに上がる花火の中で一つだけ、逆さまのハートが上がった。
「職人の技が悪いんだ」
なんてことを言うの!ムッとして彼を見る。
「じゃあ、誰のせいだ?花火は自分の意思を持たないぞ?」
「そっ、それは………」
返答に困っていると、隣からクスクス笑い声がした。
「な、何笑ってんの!」
「困ってる千夏、可愛いなって」
「なっ……!」
彼はまだ笑っていた。
そんな彼を見ているうちに、私もなんだがおかしくなっちゃって、二人であははって、一緒に笑った。

「はぁーっ、笑った…」
「私も、笑すぎてお腹が痛いや」
かすかに痛むお腹をさすりながら、まだまだ打ち上がる花火を見ていたら、突然となりから好きだよ、って言われた。びっくりして、彼を見つめてると、彼は少し笑って、耳元で好きだよ、って言われた。
「急に、どうしたの」
「言いたくなったからだよ」
クスリ、と笑う彼から、目が離せない。
「千夏、キスしていいかい?」
「えっ、あっ、はい、うん、いいよ……」
どうやら見惚れていたらしい。恥ずかしくなって、目をそらして慌ててそう答えると、隣で布の擦れ会う音がして、目の前に彼が現れた。
ドーン、と花火の上がる音がする。
けれど、目の前に見えてるよは花火ではなく、彼の顔。
唇から伝わる温もりは暖かく、トクトクと聞こえる心拍音は心地よくて、甘くて。
私はそっと、目を閉じた。

だから気付かなかった、気づけなかった。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ金色に染まった彼の目が嫌そうに顰められていたのが。




"彼"とした最後のキスは、かき氷のイチゴのシロップの味がした。



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そして今年も、私はそこにいた。
相変わらず花火は上がってて、相変わらずお祭りのお囃子の音がひゅるりらと鳴っていて、相変わらず私は浴衣で、相変わらず下駄をカランコロンと鳴らして、そして今年も相変わらず、あの日のことを思い出していた。

ドーンと花火が上がった。
あの人同じ、逆さまのハート。

ちくり、とこころが痛んだ。
嫌いになれば、良かったのに。

「征十郎なんて、嫌いになれば、良かったのに」

そして私は変わらずにまた、階段に腰掛けた。
こんな気持ち、知らなきゃよかった。
彼を、征十郎を、好きにならなければ良かった。
もう、二度と会えないのに。
もう、二度とあの甘い吐息に、あの微熱を帯びる囁きに、あの声に、あの瞳に…二度と会えないというのに。
それでも、私は逢いたいんだ。
君と見たあの花火に、君がいたあの夏の日に、君の面影に、君に、
「逢いたい」
何度も、何度も忘れようとした。君のことを、全部忘れようとして。
でも、目を閉じるたびに、今にも君がここに来て、隣に腰掛けて、笑って、好きだよっていって、キスして、そして、そして…。

ズッ、と鼻をすする。
ぼろぼろと流れる涙は止まらなくって、紺色の浴衣に濃紺のシミを作って行く。
「会わなきゃ、征十郎と会わなきゃ良かったっ!」

「なんで?」

ふと聞こえてきた懐かしい声に、涙が止まる。まさか、そんなはずはない。
「そりゃ。会わなきゃ好きにならなかったし、こんなにいつまでも想い続けること無かったし、それに、」
「それに?」
ふわり、と後ろから抱きしめられる。鼻を擽る柔らかな匂い、耳に響く優しい声。
あぁ、私は、私はこんなに、こんなに彼のことが好きなのか。
好きすぎて、彼の夢を見ているのだろう。夢だったら、どうか、どうか、どうか神様、ずっと覚めて欲しくない、ずっと、眠っていたい。
「夢じゃ、ないよ。俺は、ここにいる」
切なげな声に、きゅっ、と心が締め付けられる。
「なん、で、なんであか」
「征十郎」
「なんで征十郎がここにいるのっ!」
「千夏に、会いたかった」
「なんでっ!『もう二度と僕のところに来るな』って、言った癖に!」
「俺は二人いた」
「うるさい!バカ!今更、今更そんなファンタジーな言い訳しないでよ!そんな理由で、許されるとでも思ってるの!?」
「あぁ」
そう言って征十郎は私の前に回りこんで、目尻を親指でぐっとなぞった。
「あぁ、って…もう。二人いたとか、バカでしょ、普通あり得ないって…」
「バカでもいい、あり得ないと思ったらそれでもいい。そんな俺だけど、許してくれるかい?」
そういって、静かに私の隣に腰掛けた。
静かに、花火を見ていた。
ドォン、と花火が上がる。
「あれは錦冠菊という種類の花火らしい」
「にしき、かむろぎく…」
「そう、錦冠菊」
「………許して、あげてもいいよ」
「それは嬉しいな」
「………でしょ?」
やはり耳は良かったらしい。私の小さな呟きがちゃんと聞こえていたらしく、征十郎は嬉しそうに笑ってくしゃと私の頭を撫でた。この温もりが、懐かしくて、泣きそうになる。
私はそれを堪えて、涙を流さないように、震える声を隠すように、上を向いてそっけない返事をした。
「千夏、」
「ん」
「好きだよ」
「ん」
「キスしていい?」
「………」
声変わり前とは違う、低くて、安心できる優しい声がすぅと耳に入ってくる。あぁ、もう…
「沈黙は、了解と見るよ?」
征十郎はそう言うと、あの時みたいに、そっと近づいてきた。
その大きな、バスケットボール持っていた、綺麗でゴツゴツして手で、私の頬を撫でる。顎を持ち上げられ、じっ、とその赤い、全てを見透かし、射抜くような目で見られて、恥ずかしくなって、いたたまれなくなって、気を紛らわすように征十郎に話しかけた。
「バスケ、」
「ん?」
「高校でもやってるの?」
「あぁ」
「楽しい?」
「楽しいよ、チームメイトもいい人達だ」
「今度、遊びに行っていい?」
「大歓迎だよ」
「そう…」
「そう」
言って、私の唇には征十郎の唇があてがわれた。

再会のキスはラムネの味かした。

「ねぇ、」
「ん?」
「好き、征十郎が好き」
「俺も、千夏が好きだよ」
二人で顔を見合わせて、笑った。