07



無事に夏の合宿をも終え、県大会まで残り五日となった。本日も練習に精を出すみんなを日陰の下から応援し、時には写真を撮り、昼休み。いつもの屋上でお昼をとるみんなの前に、ずいっと封筒を出した。

「なぁに?これ」
「合宿の写真です!」
「江ちゃんとアルバムにまとめたやつもあるから、見たいなら言ってね」

海で泳ぐ様子や、夕飯の様子。最終日に行ったキャンプファイヤーや花火大会など、大量の写真が屋上に散らばった。写真を見ながらワイワイとコメントするみんなと一緒に写真を見ていると、じっと写真達を見ていたハルが一枚の写真に手を伸ばした。

「これ」
「あ、それこっちに入っちゃったの?」
「あ、凛ちゃんだ!」

いつの間に?と首をかしげた渚に、江と顔を見合わせてへへっと笑った。一日だけ御子柴さんの許可を得て鮫柄水泳部の敵情視察に行った事を伝えると、色仕掛け?なんて渚が江をからかった。違いますぅ、と怒った江に、ごめんごめんと渚が謝る。凛のこと、気になる?さっきからずっとその写真を持っているハルに声をかければ、ハルは小さく頷いた。凛はね、そう言いかけた言葉は胸ポケットに入れていたケータイが鳴ったことで言えずじまいになる。ずっと鳴り続けている所からしてどうやらメールではなく電話らしい。画面に表示されている松岡凛の名前に少し驚きながらも、電話に出る。

「もしもし?」
『………杏奈、』
「凛?どうしたの?」
「えっ!凛ちゃん!?」

荒い呼吸音の間で呟かれた私の名前は酷く弱々しい。うっすらだが、凛を心配して名前を呼ぶ似鳥くんの声も微かに聞こえた。僕も話す!と手を伸ばしてきた渚に緩く首を振れば、状況を察してくれたらしい。大人しく黙ってくれた。

『杏奈、……おれ、』
「大丈夫、大丈夫だよ凛。落ち着いて、しっかりして。深呼吸は出来る?」
『、っ、あぁ』
「そう、じゃあ落ち着いて深呼吸して。大丈夫、大丈夫だよ凛。外は晴れてる」
『そう、だな、…………迷惑、かけた』
「ううん、いいの。あ、御子柴さんに伝言伝えてくれる?夕方には写真を届けに伺います、った」
『あぁ。悪ぃな、いつも付き合ってもらって』
「ううん、お互い様だよ」

じゃあね、と電話を着れば、みんなが心配そうな顔をしてこちらを見ていた。大丈夫だよ、と笑って言えば、みんなはほっとしたように肩を下ろした。





大会当日。大会主催側からの要請があり、本日はプールサイドで撮影に勤しむことになった。人もまばらな早朝の試合会場に到着し、打ち合わせを行う。集合時間の三十分前にロビーの様子を撮りに行くと、既に多くの出場生徒があちらこちらにいて、ストレッチやら何やら行っている。生徒達のピリピリした雰囲気を感じたのはいつぶりなのだろうか、随分と懐かしく感じられる。朝に行った打ち合わせ通りロビーの写真を撮っていると、丁度ハル達が入って来た。違和感あるな。大会側から配布されたジャージを身に包む私を見て、ハルがボソリと呟いた。

「んー、やっぱり?」
「あぁ」

一応岩鳶のジャージも持って来てるんだけどねぇ、と肩を竦める。今日は大会実行委員側だから一緒には応援できないけど、プールサイドで応援するね。そう声をかけハル達を更衣室に送り込んで、プールサイドに戻る。夏の日差しを反射してキラキラとひかる水面を眺めていると、おや、杏奈くんじゃないか!と後ろから声をかけられた。振り返れば、御子柴さんかニカリと笑いながら近づいてくる。私のジャージを見て、記録係か、と納得したように大きく頷いた。

「おはようございます、御子柴さん」
「あぁ、おはよう杏奈くん。今日は撮影よろしく!」
「ふふ、優勝すればですよ。そうしたらかっこよく撮ります」

カメラを見せるように少し持ち上げれば、御子柴さんはパァと顔を輝かせた。絶対勝つからかっこよくお願いしようではないか!胸を張った御子柴さんと約束を交わしていると、開会式が始まった。大会の開催概要のパンフレットを捲りながら、依頼でやってきたプロのカメラマンさんと担当を分担する。ついでにと翌日の分も決めてしまおうとページを捲ると、メドレーリレーの欄に岩鳶の名前を見つけた。リレーは登録していないと聞いていたのだが、と頭をかしげる。午前中の試合が終わってから江に聞いてみようと心に決めて、第一グループの試合の撮影を始めた。百メートルのフリー。凛なら先の方のグループに来ると思っていたのだが、何故かハルと同じグループに入っていた。試合が始まり、二人は勢いよく水の中に飛び込む。熾烈な戦いだったが、勝ったのは凛だった。プールから上がった凛が、プールの中で立ち尽くしていたハルに向かって何かを言ったらしい。その時の表情は、なんとなくだが、私にはとても嬉しそうには見えなかった。ジャージを羽織った凛がこちらにやって来る。

「よ、杏奈」
「おめでとう、凛」

薄く笑った私に、サンキュ、といい発音で凛が返した。次は地方大会だね、そう言えば、ゼッテー勝ってやる、と凛は意気込んだ。そろそろ次のレースが始まる。早くみんなのところに戻りなよ、そう注意すれば、凛はあぁ、と頷いた。

「なぁ杏奈」
「ん?」
「近いうちに話がある」

待っておけよ。言い終わるなり足早に更衣室に向かった凛の背中を、ビックリしながらまじまじと見た。レース開始を知らせるピストルが鳴り、慌ててプールに視線を戻す。真ん中のコースで泳ぐ選手が、ぐんぐんと周りを抜かして先頭に躍り出ていた。パンフレットを広げて選手を確認しれみれば、そこのコースを泳いでいたのは御子柴さんで。やはりというかさすが部長というかなんというか。大会新記録を塗り替えた彼は、プールから上がるとすぐさまこっちにやってきた。約束通り、かっこよく撮って貰うぞ!胸を張ってそう言った御子柴さんにくすくす笑いながら、私は御子柴さんのリクエスト通りに様々な角度から撮ってあげた。現像したらお届けすると約束を交わして別れると丁度午前の試合が終わり、昼休みに入る。撮影は午前で終わりなので、ジャージを返却し、白と水色のカラーリングが爽やかな岩鳶のジャージに着替えた。一旦水着からジャージに着替えるハル達はまだ戻ってこないらしく、その場には笹部コーチとあまちゃん先生、江がいた。

「お疲れ様ー」
「お疲れ様です!杏奈ちゃん」
「お疲れ様、高橋さん。午後からは応援に入るの?」
「はい、分担でそうなりましたから。ところで江ちゃん」
「はい?」

明日のリレーに岩鳶いたんだけどこれなに?パンフレットを広げてみせると、江はいやぁ、と言葉を濁しながらそっぽを向いた。別に怒ってるわけじゃないんだよ、ただ、エントリーした覚えがなくて。あまちゃん先生からエントリーシートを貰って記入したのは私だし、真琴が立ち会って一緒に書いたものだから余計なものを書いた覚えがない。江ちゃんは何か知ってる?首を傾げながら聞けば、あっさりと話してくれた。

「メドレーリレーねぇ」
「やっぱり、まずかったかな……?」

不安そうな様子でこちらを伺ってくる江の頭を撫でる。

「うーん、どうだろう」
「みんな、出てくれるかなぁ」
「出てくれるよ……ハルは、分かんないけど」
「ですよね」

ガックリと項垂れた江に、まぁ今回は仕方ないとして、と笹部コーチが苦笑した。

「でも、ハルは出ないとは言ってないよ?」
「え?」
「説得すればイイじゃん……見つからないなら見つければいいし。私が見つけて説得しておくね」
「ホント?!」
「うん、まぁ午後は応援出来なくなるけど、それでもいい?」
「うん!」

手早くお昼を食べ終えて着替えて帰ってきた真琴達と一言二言交わして会場を回る。プールサイドやバックヤード、更衣室、休憩室。一通り回ったがハルはどこにも居なかった。説得する以前に見つからないのは大問題である。ロビーに戻れば、丁度会場を出ようとしたハルの後ろ姿が見えた。ハル!大きく名前を呼べば、ハルは肩を大きく揺らしてこちらを振り返る。私だと分かった途端に、ほっと一息大きく吐いたのが遠目でもわかった。

「仕事は平気なのか」
「うん、午前中だけだから。それよりハル、」
「杏奈」
「ん?」
「ちょっと、一緒に来てくれ」
「…………うん?」
「行くぞ」
「え、いやちょっと待って荷物!荷物取ってくるから!」

荷物を取って戻れば、ハルに引っ張られるがままに会場を出てしまった。行き先も告げられずにそのまま電車に乗り、気が付けばいつの間にか岩鳶高校に帰って来ていた。校庭を抜けてそのまま一直線にプールに向かったハルは、ジャージを手早く脱ぎ捨てて私に目もくれずにそのままプールに飛び込む。私はなんのために連れてこられたんだ、と呟きながら夕方のプールサイドに放置され、泳いでいるハルを呆然としながら眺めていた。一時間ならまだしも、二時間、三時間と続けばそろそろ我慢ならなくなる。時計はそろそろ九時を指そうとしている。ねぇちょっとハル!名前を呼べば、プールから上がったハルがなんだ居たのか、なんて抜かしてきた。

「なんだ居たのかじゃないわ!連れてきたのハルでしょ!」
「……………あぁ、そうだったな」
「勘弁してくれ………」
「ところで杏奈」

少しイラつきながら、なに、と返事をすると、ハルは俯いた。

「俺は、」
「うん?」
「俺は、なんのために泳いでいるのだろうか」
「知らんわ」
「……そう、だよな」
「ハル、何の為にかは一旦置いといて、とりあえず家に帰ろ」
「あぁ………泊まるのか」
「ハルがそうして欲しければ」
「話を聞いて、欲しい」
「わかった」

部室の外に出て、ハルが着替えるのを待つ。カバンからケータイを取り出してみれば、水泳部のみんなから大量のメールが届いていた。私の居場所やハルはどこにいるのか知っているのかと訪ねるメールが大半で。こうしているうちにも江からメールが届き、リレーの件、やっぱり諦めます、と書かれていた。それに関してはちょっと待ってて欲しいかな、と返信すれば、ハルが部室から出てきた。既に閉められてしまった校門をよじ登って学校から出る。お互い一言も話さずにハルの家に行けば、なぜか玄関に光がついていて、思わず顔を見合わせた。

「おばさん、帰ってくるって言ってた?」
「いや……?」
「うん?じゃあだれだろ」

家の鍵を開ければ、真琴が何故か玄関で寝ていた。手には携帯の意味をなしていないハルの携帯が握られている。不在着信を知らせるランプが点滅しているのを見つけたハルが、真琴の手からそっと引き抜いた。直接留守電に繋がったそれは、夕方にハルを探し回ったのだろう、みんなの声がした。リレーにエントリーしていて、ハルと泳ぎたい事。グダグダな終わり方だったが、留守電を聴き終わったハルの顔はひどく穏やかなものだった。杏奈、ハルが私を見た。

「リレー、泳ぎたい」
「そっか」
「あぁ」
「ハルがなんのために泳いでいる話は?」
「後でいい」
「そっか。応援してる」
「あぁ、ありがとう」

明日はプールサイドで応援してるね。真琴を起こしながらハルに声をかけると、彼は大きく頷いた。リレー、かぁ。随分と彼らのリレーを見てないなぁ、と思う。居間のちゃぶ台に置かれたあの時の写真をみて、少し目を細めた。またみんなで一緒に泳ぐ姿、見てみたいなぁ、なんて。


戻る