06



少し太陽が気になるが多分こればかりは気にしたら負けだと思う。競泳用の水着に着替えて砂浜に降りれば、ハル達はもう既に着替え終わっていて水遊びを始めていた。

「おまたせー」
「待ってないよ。杏奈はワンセットだけだよね」
「うん、体作ってるわけじゃないし、持久力を身につけようってわけでもないからね」

宿に戻る前に見せられたしおりに書いてあった今回の練習メニューのことを思い出してそう言えば、分かったよ、と真琴がニッコリと笑う。やはりその笑顔がどこかぎこちないように思われて、思わず眉を顰めた。先に行くよーと飛び出した渚を、ビート板を持った怜が追いかける。ほんとうに大丈夫?そちらを見ていた真琴に声をかけると、一拍置いてから大丈夫だよ、と返された。ペース配分を考えてね、なんて言って渚と怜を追いかけるようにして海に入った真琴を見ているといつの間にか隣にハルが立っていた。

「ねぇ」
「うぉ、」

いきなり隣に立たないでよ、ビックリした。バグバクとなる心臓を抑えながら言うと、ごめん、としゅんとされる。

「それで?」
「………大丈夫だと思うか?」

そういうハルの目線の先には、渚達を追いかけて少し沖合いで泳いでいる真琴の姿が。どうやら普通に泳げているようで、はぁと深いため息が出た。

「大丈夫だと思うよ」
「本当か?」
「本人がそう言ってるじゃない。まぁ私からすればそんな事ないけどね」
「あぁ」
「たぶん真琴が大丈夫なのは、晴れてる間だけだよ」

天候が少しでも悪くなったら即中止だよ。暗にそう告げれば、分かってる、とハルが頷いた。変わり身早く、行くぞと目をキラキラさせたハルに促され海の中に入る。ひんやりとした水の冷たさが心地よい。島から島までの三キロずつの遠泳に、砂浜での一キロのマラソン。一セットを終えた頃には、私の体力は既に限界だった。二セット目に繰り出した四人を見送りながら砂浜で伸びていると、顔の上に影が出来る。

「杏奈ちゃん、お疲れさま」
「んー、ありがとう、江ちゃん」

タオルとスポドリを受け取り、あまちゃん先生が組み立てた大きなパラソルの下に移動した。手首につけていたストラップからカメラを外す。それ、みんなの写真?興味津々に聞いてきたあまちゃん先生にそうですよ、と答えて一緒に宿で見ますか?と聞くと、あまちゃん先生は嬉しそうに頷いた。そう言えばこの近くにリゾートスパがあるの、一緒に行かない?と誘われたので、喜んで、と返した。

「じゃあ江ちゃん、私達は宿に戻ったらリゾートスパ行っちゃうから」
「みんなの事、頼んじゃってもいいかしら」
「はい!お任せ下さい!!」





鯖ピザやパイナップルピザ、鯖のパイナップル載せピザなど様々なカオスなピザが生み出された夕飯を済まし、ハル達がテントに入ったのを確認して宿に戻る。ふと空を見上げると、そこには町にいた時と比べ物にならない美しい星空が広がっていた。合宿だからこそ消灯時間を決めて早めに寝ましょう、と提案したあまちゃん先生に写真を撮るのでごめんなさいと一言断り、機材を持って外に出た。宿の付近は少し賑やかで写真に影響が出るため、少し辺鄙なところに向かう。今回は空ではなく星自体が撮りたいなと思っていたからと持ってきた天体望遠鏡を組み立てて、その上にカメラを設置した。デネブ、アルタイル、ベガ、とそれぞれの場所を確認し、写真を撮っていく。倍率を下げてから星座自体の写真を撮り、次は月でも撮ろうかなと思ってレンズを覗き込むと、視界が真っ暗になった。もしや、と思い顔をあげると、そこにはやはりいつものようにいつもの人が立っていた。

「ランニング?毎日飽きないねぇ、凛は」
「日課だよ。合宿だからと言ってサボるつもりはねぇよ」

それに、お前絶対いると思ってな。にやりと笑いながら言った凛のすねを遠慮なく蹴ると、うっ、と低い唸り声をあげて蹲った。キッと睨み上げられ、明日の練習には支障が出ないように手加減しました、と言い訳をするとそうかよ、と涙声で返された。よほど痛かったらしい。ごめんごめんと謝って、凛を引っ張りあげた。それで?いつものように作業に戻った私にいつものように凛が声をかける。

「ん?」
「どうだ、合宿」
「あれ、知っちゃったの」
「あぁ、夕方に江と会ってな」
「なるほどねぇ」
「お前もテントなのか?」
「まさか!普通に宿ですぅ。女性陣が宿で、男性陣はテント」
「そ。ならいい」
「やっぱり江ちゃんのこと気になるもんねー」
「……………はぁ、まぁな」

何だかやけに呆れたような雰囲気を持ったため息が気になって凛を見たが、ぬっと飛び出た手にデコピンをされる。じくじくと痛む額を抑えながら凛をにらめば、これでお相子だ、とにやりと笑いながら言われた。その表情が少しむかついて反撃しようと手を上げたその時だった。頬にポツリと水がおちる。何事かと上を見上げれば、晴れていたはずの空は雨雲に覆われていてどんよりとしていた。ぽつぽつと落ちていた雨粒は瞬く間に強くなり、体をしっとりと濡らし始める。慌てて望遠鏡をしまい、カメラにレインカバーを取り付ける。こっちだ、と凛に手を引かれるがままに、少しぬかるみ始めた道を走り出した。やはり男女の差なのか、私が息を切らしながら屋根の下にたどり着いた私の隣で、凛はケロリとしながら嵐が来るな、なんて空をみてポツリと呟いた。

「どうしよう……」
「あ?………って、お前っ!」
「宿に帰れない」
「問題はそれじゃねぇだろ」

チッと舌打ちした凛は着ていたジャージを脱いで投げてきた。それをしっかり着ておけよと煩いほどに言われ、渋々とサイズの合わないぶかぶかのジャージを着てチャックを一番上まであげれば、行くぞ、と手を引かれた。

「え、ちょっ、どこに行くの」
「ここ」
「ここって、」
「鮫柄が合宿に使ってる宿。お前今晩はここに泊まれ」
「……えぇー」
「帰んのか?」

それでどうやって帰るんだ。びしょ濡れになった私をじろりと睨んだ凛に、思わず口を噤む。でもみんなに迷惑だし、考えついた言い訳を言えば御子柴部長なら喜んで受け入れてくれるしなんならうちの部の活動記録を撮ってけと依頼されてしまう。時計は既に十一時に近い時間を指している。あまちゃん先生と江ちゃんはもう寝ているが、念の為にと報告のメールを送っておいた。宿の中に入れば、受付にいる女将さんに驚いた顔をされる。凛が御子柴さんに話をしに行っている間に、心配してくれた女将さんのご好意に甘え、大浴場で雨で冷えた体を温めた。着ていた服は洗濯と乾燥に出して貰ったので、淡い紫の花柄の浴衣に着替えて大浴場から出る。話は終わったらしく、出口で待っていた凛が形態から顔を上げた。そのままじっとこちらを見てくるので、こちらも負けしと見返す。睨み合いに負けたのは凛だった。フイッと目を逸らし、こっちだ、と短く告げた凛のあとを追いかける。二階のフロアを水泳部で貸し切っているらしく、階段を使って上にあがれば、興味津々といった様子でほとんど全員の部員が廊下に出てきていた。わっと盛り上がったみんなにあんまりジロジロ見んじゃねーぞと凛が大声を出せば、減るもんじゃねーしいいだろ!松岡のケチ!とヤジが飛ぶ。馴染みのある顔見知りの部員何人かと言葉を交して、一番奥にある部屋に着いた。凛の部屋なのだろうか、彼の荷物しか置かれていない。

「お前そこな。俺らこれからミーティングで時間がかかるから眠かったら先寝てろ」
「え、待つよ」
「……………あっそ」

わたしの持っていた望遠鏡やカメラバッグをそっと地面に下ろした凛は、じゃあテレビつけててもいいから待ってろと一言残して部屋を出た。大粒の雨が窓を打ち付けていて、ガタガタと鳴っている。親や友達が一緒に居るならともかく、暗い部屋に一人きりは少し怖い。テレビをつけて、音量を上げる。繋がった衛星放送のニュース番組を膝を抱えてぼんやり眺めていると、凛が戻ってきた。おかえり、そう声をかけると、凛は一瞬固まり、あぁ、と返してくれた。消灯時間だ。もう寝るぞ。部屋の電気を消した凛に倣い、テレビも消す。静かになった部屋に、凛がベッドに寝っ転がった音がキシリとよく響いた。部屋に人がいる気配に安心して目を閉じるが、私はなかなか寝れなかった。

「………ねぇ、凛」
「…………………」
「寝ちゃった?」
「…………………起きてる」
「…………あのさ、凛」
「なに」
「……そっち、行ってもいい?」
「は!?」
「だって、ち、ちょっと怖いもん」

ガバリと起きてそう言えば、少し身を起こした凛が微妙な顔をしながらこちらをじっと見上げていた。はぁ、ため息を付いた凛は、タオルケットを少しどかしてポンと自分の隣を叩いた。ありがとう、枕とタオルケットを持って隣に寝転ぶ。ついでにと少し擦り寄れば、おいっ!とすこし慌てた凛のひっくり返った声が聞こえたが、そこは無視させてもらう。

「凛」
「………なんだよ」
「私、凛の気持ちに気付けないほど鈍いわけじゃない」

頭の上で凛が小さく息を飲み込んだ音がした。まさか本人にはバレてないと思って接しているのだろうか、思わずため息が出る。

「私待ってるから」

じゃあおやすみ。クーラーのよく効いた少し肌寒に部屋に身震いして、ブランケットに潜り込む。少し経ってからそろりとこちらに手を伸ばした凛は、少し躊躇いながらもゆっくりと私を抱き寄せた。トクンと聞こえてくる心音が少し早い。

「もうすぐだ。もうすぐだから待っててくれ」

懇願するように呟かれた声に、私は何も言わずにそっと目を閉じた。


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