02



「杏奈ちゃーーん!!」

昼休み。先生に呼び出された帰り、どこからか突然名前を呼ばれた。声のするほうを向くと、むかい側から勢いよく走ってきた渚が、ガシッと肩をつかむ。手に持っていたカメラを落とさないようにしっかりと掴んで衝撃を殺す。ギリギリと指が痛いほど肩に食い込むのを感じて、あぁ、渚も男の子なんだなぁ、となんだか場違いな感想を抱いた。落ち着いて、どうしたの?カメラをトートに仕舞って渚を見ると、ねぇねぇ!と興奮気味に話しかけられた。

「杏奈ちゃん!水泳部入らない!?」
「水泳部ぅ?」
「そう!僕達水泳部作るんだ!杏奈ちゃんも一緒に入ろうよ!!」
「はぁ……」
「「ちょっと待ったぁーーー!!」」

こいつらどこから湧いた。そんな目で見てもめげない美術部と写真部の部長は、それぞれ私の右と左の腕をしっかりと掴んだ。

「諦めたまえ一年。高橋はこの美術部に入るのだ!」
「いいや違う、高橋が入るのはこの写真部だ!」

むっ、と二人が睨み合って火花が散る。こういう事が一年以上続けば悲しいことに慣れてしまい、されるがままに私はぐらぐらと引っ張られて左右と揺れていたのだが。しかし今回は違う。正面にいる渚が、私が揺れないようにぐっとその肩を掴んでいる。

「水泳部!入ろ!」
「……いいよ、入る」
「「なにぃ!?」」

両側からうるさいほど聞こえる信じられないという声を上げる両部長の拘束をそっと外し、私は渚が差し出した部活申請書の生徒一覧欄に名前を書き込んでいく。

「ねぇ、渚」
「なぁに?」
「水泳部入るのはいいけど、私試合出ないからね?」
「うん、そこは承知の上だよ!」

だって杏奈ちゃん、絵や写真のインスピレーション受けるために水泳やってたんでしょ?と言われ、よくそんなこと覚えていたなぁ、と感心した。でも杏奈ちゃん早いから残念だなぁ、と口を尖らせてチラチラとこちらを見る渚にペンを渡し、あざとくしてもだめでーす、とデコピンをかます。地面に伏して絶望している両部長を尻目に、渚と屋上へと向かう。話すのは専ら私についてだった。写真や絵やコンクール。そう言えば去年も参加したの?という渚の質問に、確かケータイにその作品の写真が入っていたのを思い出した。見せようとしてポケットからケータイを出せば、メールが一件。

「ん?凛からだ」
「凛ちゃん!?なんで!?」
「なんでって、うち鮫柄と近いから…」
「ええっ、じゃあなに?凛ちゃんが帰ってきてること知ってたの!?」
「うん、三月末には学校の付近走ってたよ」
「なんでぇー、なんで教えてくれなかったのぉー?」
「聞かれてないから」

ぽかぽかと軽く叩いてくる渚をいなして、メールを開く。お前、俺のタオル持ってねぇか?紺の白い文字の。文面を見て思い出す。この前雨が降っていたのだが、小雨だったからそのまま道を歩いていたら買い物に出かけていた凛に遭遇したのだ。その時に貸してもらったタオルをどうやらお探しらしい。幸い洗濯も終えていて、丁度今日返そうとリュックに入れていたので、今持ってるけどと返せば、音速で放課後でいいから届けに来てくれないかと返信が来た。どうせ帰り道にあるからいいよと返事をしてケータイをポケットにしまえば、珍しいものを見たような顔をした渚がいた。

「どうしたの?」
「ううん、凛ちゃんと仲いいんだなぁって」
「なに?仲悪かったっけ?」
「うーん、昔はほら、一緒にメドレーやってたけど、この間会ってさぁ……」

この間あったことをポツリポツリと渚は話し出した。曰くこの間、凛の機嫌が悪そうだった日の話だが、その日の夜、本当に彼らは夜の岩鳶SCに忍び込んでアレを掘り起こそうとしていたらしい。埋めてあった場所に向かおうとして彼らだが、何故か向かい側からやってきた凛とばったり出会い、何故か険悪な態度を取られ、トロフィーはいらないからと一方的にそれを寄越して、凛は再び夜闇に消えていった、と。何でなんだろう、なんかあったのかなぁ、杏奈ちゃんは凛ちゃんからなんか聞いてる?と聞かれたが、その日は何も追求しなかったから、知らないと答えた。でも、多分、何となく凛が不機嫌だった理由は分かった気がした。昼を食べ、午後の授業を受けて放課後。部活申請の結果を聞きに行くハル達と別れて、学校を出る。電車に乗れば、時間もあいまって電車の中は岩鳶生で溢れていた。今電車に乗ったよ、とメールを送れば、はぁ?と返信が来た。すぐさま電話がかかってくる。

「もしもし?」
『お前バカなのか』
「は?」
『んで学校出た時にメールくれねぇんだよ』
「いやいやいや、普通電車でしょ。最初最寄りについてからにしようかなとか思ってたんだけど」
『…………はぁ、』

コツン、コツン、と電話の向こうで凛の足音が響いている。周りは静かであることから恐らく今学園内の人気のいない所にいるのだろうか。どこにいるの、と聞けば岩鳶SCと返された。呆れた。

「SCいるならあらかじめ言いなさいよ!」
『だから学校出る時にメールくれって言っただろーか』
「知るか!私があんたの場所常に把握してるとでも思ってんの?」
『思ってねぇ』
「ほらみろ、とりあえず鮫柄…………って私も入れる?」
『んー、知らん。あぁ、学校の近くに喫茶店あるから、そこで待っとけ。すぐ行く』
「おっけ、ゆっくり待ってるわ」







来年の新入生勧誘に向けての資料作りの一環として、とりあえず部員の活動を記録に残すことにした。学校のプールの修繕は恰好のネタになる訳で。プールに生えまくっている雑草を引っこ抜いていく三人を、私はしばらく撮ってからプールの中に入る。空っぽな上にプール底には土埃がたまり、草が生えていて、植物の生命力に負けたのか、所々コンクリートが割れてすらいる。プールサイドを含めた草を全部抜き終える頃には、最終下校時間が迫っていた。全員でプールサイドに上がって、今後の予定を確認する。プールを大雑把に掃除してからコンクリートや排水溝の補修、水道管の点検やプールやフェンスの塗り直し、などなど、やることはまだまだ沢山ある。プールに入れるようになるのは、恐らくゴールデンウィーク明けになるか、それともみんなが頑張ってくれるのならその前になるのか。みんなで期待をふくらませながら、作業は急ピッチに進んで行った。その結果、プールの補修が終わって元通りの姿になったのは、桜の花より葉が少し多くなってきた頃だった。プールの補修工程を写真にとってまとめたアルバムを一冊作り、新たな水泳部の部室となった部屋の隅に置き、新たに凛の妹でマネージャー役を買って出た江を加えて、新生水泳部は始動した。お茶の入った紙コップで乾杯をして、許可をとって試しに水を入れてみたの、笑ってそう言ったあまちゃんに感謝して、全員で塩素タブレットをプールの中に投げ込むのをしっかりと写真に残す。水がまだ少し冷たい春先。プールに張られた水を見て中に飛び込んだハルを見てパニックになるみんなを見ながら、シャッターを切った。その日の夕方。夕焼けというお題で街中で写真を撮っていると、後ろからコツン、と頭を何かで叩かれた。少し痛む頭を押さえながら後ろを振り返ると、最近見慣れた人物が珍しく制服で立っていた。白ラン。すかさずシャッターを切る。凛は苦笑した。

「お前ブレねぇな」
「家に帰るとちゃんと絵描いてるよ」
「そっちもやってんのか………」

お前すげぇな。そう変なものを見るような顔で言われても全く嬉しくはないんだが。ところで街に出てるなんて珍しいね?と聞けば人をなんの珍獣だと思ってんだと追加攻撃を食らった。やるよと言われた紅茶の缶を貰い、プルタブを引く。カシャと軽い音を立てて空いたそれに口をつけて一口飲みこんだ。

「ちょっと買い物にな」
「買い物?」
「あぁ、水着をちょっと」

俺水泳部入ることになったからさ、告げられた言葉に軽く驚いた。まじまじと隣にいる凛の顔を見上げると、なんだよ、と居心地悪そうにした。

「水泳部入ってなかったの!?」
「ねーよ」
「初めて会った日にもう走ってたからてっきり入ってるものだと……!」
「んで聞かなかったんだよ」
「いや、なんと言うか、近況は聞いてたし」
「は?途中から手紙送らなくなったよな」
「凛からはね」
「…………まさか」

一つの可能性に至ったのだろうか、頭を抱えた凛の背中を慰めるようにぽんぽんと叩いてやった。大丈夫凛、彼らのおかげで私の英語の成績うなぎ登りだったから。凛との文通に途切れたあとから届くようになった彼のホストファミリーからの手紙には、凛が見えない壁にぶち当たったとか、最近元気がないから、とかそういう文章が、よく見られた。恐らくは中一の正月だろうか、全部終わったような顔をしてうちに挨拶に来た凛は、最高に目が当てられなかった。家まで送ってくれる凛の言葉に甘えて住宅街の方へと歩き出す。思い出したかのようにお前は何部に入ってるんだよ、と凛が聞いてきた。

「水泳部」
「はぁ?」
「数合わせで渚に誘われたから入ったの」
「お前……」
「あ、でも試合出ないよ」

言えば知ってるよ、と凛は苦虫を噛み潰したような顔をした。タイム早いのに勿体ねーななって言われたが、あれはもう何年も前の話だ。今泳いでもあのタイムが出せるとは思えない。そう言えば凛はいや、出せるだろ、と私をまじまじと見た。その確信は何処より。



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