デスゲームが始まってから一か月。この一か月間で死者は二千人を超えた。まだ誰も一層目のボスを倒していない事から、街の雰囲気はどこか暗い。噴水前広場に集まった人たちを、壁に寄りかかって見ていたキリトは、タッタッタッ、と聞こえてきた軽やかな足音に振り返った。
「おまたせ。調味料ゲットしてきたよ」
「おう、ありがと」
そう言えば、彼女はどういたしまして、と照れ臭さそうに笑った。ライラはクラインと別れた後に知り合った同い年の女性プレイヤーである。アルビノであるらしく、白い肌や光を受けてキラキラと反射するプラチナブロンド、深い海を湛えたような青い目は息をのむほど美しい。そんな彼女はその容姿のせいで家族や親しい友人以外の同級生からはあまりよい扱いをされていないらしく、現実逃避に両親から与えられたナーヴギアとSAOをプレイしていたところ閉じ込められてしまったらしい。始まりも街から次の村に行こうとしていたキリトを呼び止めた彼女は、手足纏いになるかもしれないが、自分のために、そしてこの現実を生き延びるためにも強くなりたいから、数少ないβ版からのプレーヤーである自分と一緒に行きたいとキリトに告げた。手足纏いにはならないし、分からないことがあったら何でも教える。一つの重い命を預かり、同行を許可したキリトは、今までずっと彼女と行動を共にしている訳である。いつくか調味料をもらい受け、アイテムバッグにそれをしまったキリトはライラを見た。あまり目立つことを嫌っているライラは、今は赤ずきんのように赤いフード付きのポンチョをかぶって外に出ている。これで目立っていないと彼女自身は思い込んではいるが、フードからたまにちらりと見える整った顔立ちに、現に一部のプレイヤーからはSAOの赤ずきんなどと呼ばれているのを彼女は知らない。人々が噴水広場から移動し始めたのを見て、キリトはライラとその後を追い始めた。今日は第一層迷宮ボスの攻略会議の日なのだ。半円形の劇場の上の方に座った二人は、一層ボスの扉の前にたどり着いたというティアベルの話を聞いていた。六人でパーティーを組んでくれという指示に、周りは固まり始める。ぼんやりと話を聞いて出遅れたキリトとライラは、どうしよう、と顔を見合わせる。
「あ、あの子」
「一人、か?」
「三人だけになっちゃうけど、二人だけよりはましかな」
「だな」
それにしても目深にフードをかぶっているその姿は、まるでライラみたいだな。そうからかいながら、キリトはその人に声をかける。
「一人か」
「見て分からない?」
「あぁ、すまん。あのさ、パーティー組まねぇか?」
「……いいけど」
「ありがとう」
メニューをいじり、パーティー招待を送ると承諾される。視界の左上に増えた三本目の体力バーを見て、あれ、とライラは頭を傾げた。
「どうした?」
「ううん、知り合いにもこんな名前の人いたなって思って」
「ふぅん?」
*
翌朝。迷宮につながる森の中を歩きながら、パーティーを組むことさえがはじめてなアスナにパーティーがどういうものか、スイッチがどういうものかを説明しながら、三人は隊列の一番後ろをついていく。迷宮区を通り抜けボスの部屋に入れば、すぐさまボス戦は始まった。あぶれ組である三人の仕事は、ボスの取り巻きである、ウサギの剣士の姿をしたルイン・コボルド・センチネルを足止めすることだ。キリトが最初に切り込み、そのすきを狙ってスイッチでアスナが攻撃を仕掛ける。最後にスイッチしてライラがとどめを刺していく。三人の連携は初めてとは思えないほどスムーズで、周りにいるルイン・コボルド・センチネルはあっという間に殲滅された。ボスの攻略もそろそろ佳境らしい。四本あったゲージは三本が空になり、最後のゲージは赤くなっていた。ぐぉぉ、と大きく唸ったボス、イルファング・ザ・コボルド・ロードは付けていた兜と手に持っていた大きな斧を投げ捨てた。町で無料配布されているβ版からのプレイヤーによって作られた攻略本によると、このボスは最後のゲージが赤くなると行動パターンが変わるらしい。確かに行動パターンは変わった。腰の後ろに差してあった野太刀を手に取った。私が前に出る、ソードスキルを発動したティアベルが前に躍り出た。この場合にはボスを囲むのがセオリーなはずなのだが、キリトに教えてもらったのとは違うティアベルの行動に、ライラは言いようのない不安を覚える。
「だめだ!全力で後ろに飛べ!」
聞こえたキリトの叫び声もむなしく、ティアベルは攻撃を受けて弾き飛ばされた。慌てて駆け寄り、いまだ減少し続ける体力ゲージがあの攻撃の威力を物語っている。アイテムボックスからポーションを取り出し使おうとしたキリトの手を、ティアベルがやんわりと止めた。
「どうして…」
「お前も、βテスターだったな…分かるだろ?」
言われて、キリトははっと気づく。ティアベルの狙いは、ラストアタックボーナスによるレアアイテムのドロップ狙いだったのだ。
「頼む、ボスを、ボスを倒してくれ…みんなのために」
そう言い残し、ポリゴンとなってティアベルは消えた。自分と、ついてきてくれたライラだけ生きていればいい、それだけを思って生きてきたキリトに対して、ティアベルはみんなの事を思い、みんなの事を率いて戦った。自分が情けない。立ち上がったキリトは、キッとイルファング・ザ・コボルド・ロードを睨みつけた。
「手伝うよ」
「私も」
「あぁ」
両脇に立ったライラとアスナに、キリトは小さくうなずいた。センチネルを倒した時と同じように三人で順番にスイッチし、交代しながらボスに攻撃を加える。スイッチ!大声で叫んだキリトにこたえるように、アスナは前に躍り出る。それに気づいたイルファング・ザ・コボルド・ロードは、大きな野太刀を振り回した。
「アスナ!」
「アスナさんッ!」
二人の叫び声に反応したアスナは横に逸れて回避したが、野太刀が彼女のフードをかすめてしまい、その姿があらわになる。栗色の髪がさらりと揺れる。あ、とライラは小さく声を漏らした。その間にもイルファング・ザ・コボルド・ロードは絶え間なく攻撃を打ち込んでくる。
「ライラ、ボーっとするな!」
「う、うん!」
飛んできたキリトの怒声に、ライラは立ち上がりボスに挑んでいく。大きな刃先がキリトをかすめ、吹き飛ばされる。ゲージは半分減った。
「キリト!」
慌てて駆け寄れば、それに気付いたイルファング・ザ・コボルド・ロードはこちらに向かって刀を振る。攻撃を緩和するために最低限の手を尽くした。衝撃の吸収率が高そうな片手棍を頭上で構える。万事休すか、きゅ、と目をつぶったライラは、来る筈であった衝撃が来ないことに気付いた。
「回復するまで、俺たちが支えるぜ!」
振り返り叫んだ男に、ライラはお礼の気持ちを込めて頷く。たとえ彼らの足止めが微塵の役に立たなくても。体力を回復させたキリトは、ゆっくりと立ち上がった。
「ライラ、行くぞ」
「うん」
弾き飛ばされた足止め要員の間を走り抜ける。スイッチ!キリトとライラにそう叫んだアスナに応えて、二人は高く飛び上がった。イルファング・ザ・コボルド・ロードを上から切り込む。ぐぉお、と唸り声をあげて、イルファング・ザ・コボルド・ロードは倒れた。
*
ラストアタックのドロップアイテムであるコートを身に着け、自らをビーターと呼んだのキリトは、二層目のアクティベートを終えて宿屋に向かって歩き出した。これでいいんだ、みんなのためにはこうするしかないんだ、唇をかみしめたキリトの耳に、この一か月間で聞きなれた声が届いた。
「キリト!」
置いていかないで、膝に手をついてはぁ、と息を吐いたライラは、それを無視して歩き出したキリトのあとを追いかける。
「来るな」
「いやだ」
ぎゅう、とキリトの腕に抱き着いたライラは、キッとキリトを見上げた。
「私は、ずっとキリトのそばにいる。なんと言われようが、絶対離れないから!」
「教えることは全部教えた、もういいだろ」
「よくない!一人で悲しそうにしているキリトを、放っておけない。それに、キリトがいなかったら、私とっくに死んでいた。キリトがいたから、今の私がいるの!」
「………」
「パーティーも、フレンドも解除したって無駄だからね!どこまでも追いかけるから」
「、ストーカーかよ」
ふっ、と笑いをこぼしたキリトを見て、ライラもつられて笑う。日はまだ高く、宿に入るのにはまだ早い。ふんふんと楽しそうに鼻歌を歌いながら歩く隣を見たキリトは、そのフードに手をかけてゆっくりと剥がした。きゃぁ、と小さな悲鳴が聞こえ、ライラは恨めしそうな目でこちらを見上げる。
「なにすんの!」
「別に?だた人がいないからそのフード、今かぶらなくてもいいんじゃないかな、って思って」
「むぅ…、そうかも」
光を反射してキラキラと輝くプラチナブロンドが思わず手が伸び、さらさらと手触りのよい毛先を遊べばライラは一歩二歩と先に歩き出す。手の中をすり抜けていくそれを少し残念に思いながら、キリトはライラの少し悪くなった機嫌を取るべくその後を追いかけた。