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何年前まではよく行っていた自分の隣の部屋の前に、ノクトは立つ。リズムをつけてゆっくりとノックすると、どうぞ、と平坦な声が聞こえて、ノクトはゆっくりとドアノブをひねった。自分の部屋とは少し違う、白に統一された可愛らしい部屋の真ん中に置かれた、天蓋付きのベッドにノエルはいた。ノクトに気づいた彼女は、ぱぁと顔を輝かせた後にはっ、と何かに気付いて恥ずかしそうに笑った。


「大丈夫?」
「うん。大丈夫だけど…」


そばに立っていたメイドに目配せをして、ノエルは腕の力を頼りにベッドの上を移動する。キィ、と音を立てながら運ばれた精巧な作りの車椅子に乗せられて、メイドに押されながらノエルはノクトに近付いた。シガイの襲撃事件で母親を目の前で殺されたノエルは、精神的なショックにより歩けなくなっていた。時間が経てば元のように歩けるようになると医者は言っていたが、どれぐらいの時間が経てば歩けるようになれるかは、誰も知らない。ノクトは包帯が巻かれた自分の腕を見た。こんなの、ノエルの痛みに比べればどうってことなかった。温室に散歩に行こうよ、そう言いかけた言葉は、ノックの音に遮られた。顔を覗かせたのはレギスで、ノクトがいることに少し驚きつつ、レギスはノエルの前にゆっくりとしゃがんだ。行儀よく脚の上で揃えられた両手をそっと撫でる。ノエルはゆっくりとお辞儀した。


「ごきげんよう、レギス様」
「あぁ………その、すまなかった」
「いえ、」


俯いたノエルの表情は、よく読めない。ノクトはポケットの入った小さなブローチを布の上から触って、ノエルに近付いた。


「ノエル」
「ノクト…?」


ポケットに手を突っ込んで、ブローチを取り出す。それに気づいたレギスは、少し口元を緩めて一歩後ろにずれて、ノクトの肩に両手を置いた。


「これあげる」
「わぁ、かわいい」


水色の石で作られたカーバンクルのブローチを持ちあげて、ノエルは嬉しそうに笑う。ほんとにいいの?ノクトの大事なものじゃない?こてんと首をかしげたノエルに、ノクトは平気、と頭を振った。


「ちゃんと座るやつあるし、これはノエルにあげる」
「…ありがとう」
「、どういたしまして」


よくやった、と言わんばかりに撫でられた手が頭を離れて、ノクトはすこしぶすりとしながら髪の毛を整える。それをレギスはニコニコしながら見ていたが、やがて今思い出したかのようにそうだ、とぽんと手を叩いた。


「夏休みに避暑も兼ねてテネブラエに行こうかと思ってな」
「デネブラエ、ですか」
「あぁ、もしよかったら、ノエルもどうかな?」


きょとん、とニコニコするレギスをしばらく見上げていたノエルだが、うんと頷いたノクトを見て、はい、と頷いた。


「ご一緒させていただきますね」







広大な森林と渓谷に囲まれた、テネブラエ王国。高層ビルが立ち並ぶ現代的なインソムニアや、車の中から見えた、時たま砂嵐が吹き起こる荒野地帯のリード地方とは正反対なそれに、ノクトとノエルはわぁ、と声を揃えて歓声をあげた。橋で繋がっている浮島を一つ一つと渡り、一番高いところに辿り着くと、そこには物語や、昔絵本で読んだような立派な城が建っていた。車から車椅子に下ろされたノエルは自分で車椅子を押そうとしたのだが、レギスのお願いに負けてしまい、申し訳なさそうにしながら城の中を移動する。お前たちに会わせたい人がいるんだ、テネブラエの使用人の先導で、三人はある部屋の前にやってきた。部屋に入れば、そこには水色のワンピースを着た、金髪の女の子が立っていた。おそらく二人よりも歳上だろうか、ノエルはその人が誰だかすぐに分かった。女の子は車椅子に乗っているノエルを見て少し目を見開いたが、やがて承知したように微笑んだ。


「はじめまして、ノクティス様、ノエル様。私は、ルナフルーレ家のルナフレーナと申します」
「こんな姿で申し訳ありません、ルナフレーナ様。私はノエル・アロレックス、ノクティス様の側仕えでございます」
「いいえ、気にしてませんよ。お怪我の具合は大丈夫でしょうか?」
「お心遣いありがとうございます」


立って歩けない以外はなんとも、肩を竦めて可笑しそうに言ったノエルに、ルナフレーナはクスクスと笑う。そんなノエルを、ノクトは少し不服そうに見る。


「ねぇ、側仕えってなに」
「主君の近くで仕える、という意味です」
「仕える…?でもノエルは友達だよ」
「しかしノクティス様、ここは外ですよ」
「ノエル、なんかよそよそしい。嫌い」


眉を顰めたノクトに、嫌いと言われてショックを受けたノエルは今にも泣きそうになっている。そんなふたりを見て、ルナフレーナは可笑しそうに笑った。


「ノエル様はノクティス様の側仕えであると同時に、ルシス王国の歴史あるアロレックス家のご令嬢ではありませんか?この場は後者の立場で通しましょう」


ね、と言ったルナフレーナに、ノエルはしばらく思慮した後に、それでお言葉に甘えて、と小さくお辞儀した。ノクト、と少し躊躇ったように言ったノエルに、なに、とノクトは素っ気なく返す。


「怒ってる?」
「………ちょっと」
「その、ごめんね?」
「………次にノクティス様って言ったらしばらく口聞いてあげない」
「えぇ?」
「絶対だから!今決まった!」
「えぇー、」


しばらくは僕のわがままに付き合ってもらうからね!そう言い放ったノクトは、その場で若干空気と化していたレギスの手から車椅子のハンドルを奪うと、カラカラと押した。


「りゅなふりぇ、…………」
「呼びやすい言い方でいいですよ、ノクティス様」
「………行こ、ルーナ」
「ふふ、はい。今行きます」


車椅子を推しながら部屋を足早に出ていったノクトを追いかけて、小刻みに肩を震わせるレギスの横を通り抜ける。ルナフレーナ、呼び止められて、ルナフレーナは振り返る。


「ノクトを、ノクティス達を頼む」
「………はい」


ぺこりとおじぎして、ルナフレーナはノクトとノエルの後を追った。
幸福の庭にて