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「おはようございます、ノクティス王子!」
「ん、」

幼稚園についてあれこれと語るノエルを見て羨ましいとは思ったけど、いざ小学校に入ってみれば窮屈で仕方がなかった。王子だからと顔色を伺いながら接してくる先生に、大人ならばともかく、同級生からもノクティス王子と呼ばれて居心地が悪い。そんな生活が一年ではなかなか慣れず、気付けば三年生になっていた。二年になった秋、ノクトが八歳になった直後に、ソフィアが亡くなった。元々体の弱かった人で、病気による衰弱ということだったらしい。そのことで教師陣による気遣いはさらに多くなったのは言うまでもない。どこにいてもノクティス王子と呼ばれて、お辛かったでしょう、と言われる。心做しか、ノクトの人見知りが加速し始めた。そんな学校でノクトがちゃんと接せるのは、ただ一人。

「ノエル」
「あっ、ノクト?」

友達の輪から外れて、パタパタとノエルがノクトに駆け寄る。ノエルとお話したい、そう言えばいいよ、とノエルはみんなにごめんね、と告げてからノクトと歩き出す。この三年間で、いつの間にか、手は繋がなくなった。ざわざわと放課後の、騒がしい生徒達の間を通り抜ける。こうやって二人で歩くのも久しぶりなことで。小学校に上がってからというものの、ノエルは住んでいるところを城から自宅に移したし、放課後も友達とよく遊びに出かけてノクトのところに行く回数も減った。中庭に繋がる渡り廊下を歩きながら、ノクトは隣を見る。ノエルと目が合って、そのままノクトは固まった。きょとん、とノエルは固まったノクトを見つめる。

「あっ、あのさ!」
「うん?」
「今日、ホタル見に行くんだ。ノエルも、くる?」
「…いく!」







いっぱい写真撮ったよ、とノエルの母親でもあるノクトの乳母にカメラの画面を見せると、綺麗に撮れましたね、と頭を撫でられる。ノクトにだけずるい、と言ったノエルに、クララはしょうがないわね、と言いながらノエルの頭を撫でた。カチカチとボタンを押して、今日撮った写真を見る。蛍の写真、周りの風景の写真、ノクトの写真、ノエルの写真、みんなで映った写真。ひさびさにノエルと出かけたせいか、写真の中の自分はとてもはしゃいでいて、すこし恥ずかしくなる。ほたる、綺麗だったな。

「籠、持ってこればよかった」

そうこぼしたノクトに、クララはそうですね、と微笑んだ。

「しかしお話されることが、何よりのお土産ですよ、ノクティス王子。陛下も来られれば良かったのですが…」
「いいよ別に」

そう言いながら、何かがものすごい勢いで目の前を通り過ぎたのにノクトは気付いた。その直後。どぉん、というけたましい爆発音とともに、先頭を走っていた車が爆発する。うとうとしていたノエルが、大きな音にびっくりして目を瞬かせる。キィ、と大きな音を立てながら車が止まる。クララがノクトとノエルを抱き寄せる前で、運転手が様子を確認しようとして車を降りようとするが、ついてきた護衛に止められる。爆発の起こった方を見れば、大きな何かがぬるりと動いた。

「シガイ!?」
「なぜシガイがここに?障壁が破られたのか!」

シガイ。それは夜にのみ、障壁の張られていないインソムニアの壁外に出てくるモンスターで、その強さは桁違いらしい。クリスタルの力で障壁で守られているインソムニアには入ってれないと聞いていたのだが、なぜ。ギラ、とこちらを睨んできたシガイは、その八本の腕が握っている剣をを振り回して、こちらにやってくる。ノエルはクララの指示で、シガイとは反対側にあるドアを開けて、外に飛び出した。左手にはしっかりとノクトの右手が繋がれていることを確認して、走り出す。そんなふたりの後ろを、クララがシガイからふたりを守るようにして走っていた。シガイは車の中にいた護衛と運転手を殺し、中を覗く。目当ての人がいないのに気付き、少し離れていたところで走る三つの人影を発見した。そして剣を振るう。真っ黒な空に、真っ赤な血飛沫が舞った。

「お母様!」

振り返ったノエルが、その目を大きく見開いた。うそ、でしょ?一歩、一歩とノエルはクララに近づき、そのそばに膝をつく。じわりと地面に広がる真っ赤なそれが、ノエルの真っ白なワンピースを緋色に染め上げた。ねぇ?ノエルは小さくクララを揺さぶる。

「お母様?………おかあ、さま?」

クララは言葉も発さずに、ピクリとも動かずに、ただそこに横たわっていた。べたりと、手についた生暖かい真っ赤なそれを見て、あ、とノエルは小さな声を漏らした。

「うそ、うそだ!ママ?ねぇママ!!!嘘だよ、嘘だって言って、起きてよ!ねぇ、わらってよ、ママ!」

呼び方もいつの間にかお母様からママになっていた。のそり、と目の前でシガイが動くのを気にもせずに、ノエルはクララの顔をかかった明るいモカブラウンの髪を払う。苦痛に歪められたその顔に、はらり、とノエルの涙が落ちた。

「ノエル、」
「………………」
「ねぇノエル、逃げよう?」
「……………………ヤダ、イヤだ」

ぐぉお、と大きな唸り声をあげたシガイは、ノエルとノクトに向かって動き出す。ねぇノエル、ゆっくりと立ち上がったノエルに声をかけようと近付いたノクトは、どん、と思いっきり遠くに突き飛ばされた。訳も分からず、呆然と転がるノクトの前に、影ができる。両手を大きく広げたノエルの、小さな背中が見えた。

「これ以上、お母様を壊さないで…お母様が守ろうとしたノクトを、殺さないで!」

思いのほか大きな声だった。周りの喧噪が一気に止んで、全ての目線がノエルに注がれた。シガイは、ノエルの声に一瞬動きを止めて、コテンと首をかしげたが、すぐにぐおぉ、と唸り出す。ごうごうと燃えるオレンジ色の炎が、ノエルの真っ赤なワンピースを照らした。ゆっくりと、シガイの剣が振り上げられる。

「ノエルッ、逃げて!」

大きく声を張ったノクトがそう叫ぶと同時に、どこからか現れたキラキラと光る剣がシガイに降り掛かった。傷つけられたシガイは、剣の飛んできた方向を振り向き唸る。そこに姿を現したのは、レギスだった。

「生存者の救出を!」

そういうなり、レギスはシガイと激しい戦いを繰り広げる。その光る剣は、まるで舞うかのようにシガイに襲いかかる。その様子をぼんやりとそれを眺めていると、ドサリ、の目の前の影が揺れて倒れた。

「、ノエルッ!」

つん、と鉄の匂いが鼻を突く。ノエルに駆け寄ったノクトは、そっとノエルの胸に手を当てた。トクン、トクン、と心地の良いリズムを刻む心臓にホッとして、ノクトは大きく息を吐いた。レギスと戦っていたシガイは、レギスの圧に耐えきれずにドシ、と崖から落ちた。額に大粒の汗をにじませながら、レギスがこちらに駆け寄る。

「ノクト、無事か!」
「うん、僕は腕をかすっただけ。でも、ノエルが…」
「…そうか、」

レギスは気絶したノエルの横にしゃがみこんで、優しい手つきで顔にかかっている黒髪を払い、真っ赤に染まったワンピースを見て、痛ましげに眉を顰めた。父さん、なんだい?レギスは、ノクトを見た。

「僕、強くなりたい」
「……………」
「強くなって、ノエルを守りたい」
「……………そうか」

お前もこんなことを言う年になったか、大きな手でノクトの頭をぽん、と撫でたレギスは、許可しよう、と言いながらノエルを抱き上げた。

「さぁノクト、帰るぞ」
「うん」

先に歩いていくレギスを一歩、二歩と追いかけて立ち止まったノクトは、ふと空を見上げる。真っ黒に染められた空には星一つなく、綺麗な三日月が、ただ自分の存在を知らしめるかのように明るく光っていた。
星が見えない聞こえない