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自由自治都市、オルティシエ。ヒヤリとした部分はあったものの特に引っかかりもせず検閲を通過した一行はぐるりと周りを見回した。ザワザワとした人の喧騒。鼻をくすぐる潮の香り。インソムニアとはまた違う騒がしさに、思わず口角がにぃと上がる気がする。無料で配布されている観光案内のパンフレットを取ったイグニスは、パラパラとそれをめくった。

「あー、長旅だったー」
「ノエルがいてくれて助かったな」

大きく背伸びをしたノエルは、私に感謝しなさいよ、とふふんと笑う。言いたいことだけ言ってクルーザーの鍵をノクトに渡して去っていったシドの言葉の通り、とりあえずホテルにチェックインしてから、情報を集めに、かつてのレギスと一緒に旅をしていたというウィスカムが営むレストランに向かう。水の都と称されるように、オルティシエは海の上に出来た街であり、地区から地区への移動はゴンドラを除けば橋があるが、マーゴへはゴンドラでしか行けないらしく、一行は荷物を部屋に預けた後に、ホテルの近くにあったゴンドラ乗り場からゴンドラに乗った。

「ん、そう言えばノエルってオルティシエ来たことあるんだっけ」
「あるよ。だいぶ前だけどね」
「一昨年だったっけか?」
「うん、そのぐらい」

一人用のソファに座っていたノエルにどう?とプロンプトに聞かれ、そうね、とノエルは頬杖をつきながら街並みを眺める。全然変わってないし、変わった。その曖昧な言い方にえぇ、どっちなの!?とプロンプトがツッコミを入れれば、暫くじっと陸を見て、なーんか、ピリピリしてる気がするんだよねぇ、とノエルは小さか声で呟いた。お客さん達、着いたぜ!乗り場に揺れなく止めてくれた漕ぎ手にお礼を言って降りる。ウィスカムー!来たよー!久しぶりー!ノエルが片手を挙げてひらひらさせながら奥に進んで行けば、カウンターでコップを磨いていた色黒の男が顔を上げた。ノエルを見て大きくなったなお嬢ちゃんなんて笑いかけた。

「そりゃ2年経ってるから大きくなりますって」
「そのぶん、俺は歳をとったけどな」
「ぜんぜん見えませんよ。相変わらずダンディでかっこいいです」

とりあえずなんかください。カウンターに座ったノエルに、はいよ、とまるで注文がわかっていたようにオレンジジュースが出された。そっちはノクティス王子か?そう尋ねられてノエルは頷く。昔のレギスに似てるな、と嬉しそうに呟いたウィスカムは、小さい頃に会ったことがあったんだが、覚えてはいないか、とノクトに声をかけるも、ノクトは首を傾げるばかりだった。覚えていないらしい。正直に言うと、なんでも覚えているはずのノエルの記憶にもなかった。ノエルがそれに立ち会っていないか、それともノエルですら覚える必要のない些細なことだったのか。まぁそうだもんなと肩を竦めたウィスカムは、聞きたいことがあればなんでも聞いてくれ、と磨いていたワイングラスから顔を上げてノクトと向き合った。水神に変化はないが、政府が儀式を行うこと。被害が出るのを怖がって生活物資や食料をかき集めていること。ルナフレーナが近日中にここで演説を行う話があるらしいが、そのルナフレーナがどこにいるかは一般人は知らないこと。ここは帝国の属国であるが規制はゆるいこと。だが帝国軍兵士が町中を闊歩していること。一通り話終えたウィスカムは、ゴンドラ乗り場からやってきた人を見ておや、珍しい人が来たね、と声を上げた。

「有名人が来てるって聞いてね」

護衛をつけた、ここアコルドの首相、カメリアがこちらにやってきた。こんばんは。立ち上がって小さく礼をしたノエルを見て、ようこそオルティシエへ、とカメリアは小さく頬をゆるめ、それから彼女はノクトを見た。ルナフレーナのことを保護しているが、帝国が身柄を引き渡せとうるさいらしい。ノクトにルシスの『王様』としての取り引きを持ちかけたカメリアは、官邸で待っているから、と残してそそくさと立ち去った。官邸に行くのか、念の為に式典用の礼装持ってきてよかった、とホッとしたノエルは、ノクトが首相の部屋に入るまでの間中、懇々とカメリアとの接し方を説いていた。

「いい人なんだけど、いい人なんだけど!」
「ノエル、落ち着け」
「いい人なんだよ!ただちょっとこういうのには厳しい人で!」
「うわぁ〜、こんなにソワソワするノエル初めて見た〜」
「あのノクトが……あぁ……」
「大丈夫に決まってんだろ、ノクトのこと信じて待ってろよ」

部屋の前でぐるぐると歩き回るノエルに痺れを切らしたグラディオが、ノエルを部屋の隅にあった椅子に座らせた。喋ってもいいから動くんじゃねーぞ、とポケットから櫛をとりだしてノエルの髪をとかし始めれば、すんとノエルが静かになる。どれぐらいそうしたのだろうか、複雑なヘアアレンジが出来上がった頃に、ノクトはやっと部屋から出てきた。椅子から勢いよく立ち上がってこちらにずんずんと迫ってくるノエルとその髪型をびっくりしながらノクトは仰け反る。

「どうだったの!?怒らせなかった!?ちゃんと話せた!?」
「落ち着けって。お前は俺の母親か」

話せた。交換条件も決めてきた。ホテルに戻ったら話すから、頼むから落ち着いてくれ。そう言ってやればノエルは少しだけ落ち着いた。







神凪の演説を翌日に控えた夜、ホテルを抜け出したノエルは神殿にやってきた。事前にカメリアにもらったパスで中に入り、祭壇まで登る。ゆらゆらと揺れる水面をぼんやりと眺める。

「やっぱりダメだよ」

海面にこぽりと小さな泡が上がる。

「私じゃ、どうにもならない」

体育座りをしたノエルは自分の膝に顔をうずめた。

「私さ、ノクトに好きって言ってもらえたんだ。嬉しい、って思う自分もあって、その一方ですごい今更じゃないかなって思う自分もいて………なんていうか………」

言葉がまとまらない。そんなもどかしさに、ノエルは大きなため息をついた。

「ねぇ、リヴァイアサン。遅くないかな?」

主語のない問いかけに、海は静寂を保ったままだった。

「全部終わったあとに抗っても、遅くはないかな?」

少し強くなった波が祭壇に打ち付けられ、ざぷんと音を立てる。

「こうなっちゃったのは仕方が無いよ。運命なんだし、こういうのは避けられない、と思う」

だからね。立ち上がったノエルは、そっと海の中を覗き込んだ。内緒話をするかのように、小さな声で囁いた。

「だからね、全部が終わったあとに、もう一回、やり直したい」

だって私たちの運命は星の闇を取り払うことで終わってるの。そのあとは私達の自由でしょ?だから、やり直してもいいと思うの。あとから思えば、随分子供のような、能天気で可愛らしい考え方だった。おもむろに耳につけていた真珠のピアスを外したノエルは、それを手に乗せた。かつてリヴァイアサンからもらった、体の結晶化を止めるための、真珠である。

「これ、ありがとう」

小さく掌を傾ければ、それはコロコロと掌を転がってゆき、海の中へ落ちていく。ポトンと軽い音がしたのを聞いたノエルは、くるりと身を翻した。晴れやかな気分だった。





イヤホンから聞こえてきたノクトたちの声に、ノエルは小さく了解と答えて電話を切る。既に避難を済んでいるこの地域は嫌に静かでがらんとしている。いつもなら観光客や地元の客で賑わっている市場なのだが。この地域の避難の護衛を任され出来たのだが、避難は既に全て終わっていてやることがない。どうせならルナフレーナの護衛にしてくれてもいいのに。ごうごうと音を立てて空を飛ぶ帝国軍の揚陸艇を手持ち無沙汰に攻撃してみるも、あまりにも距離が遠いためダメージは入らない。呼び出されたリヴァイアサンがなにかしたのか、それともノクトが何かをしたのだろうか、荒波を立てていた海は、その威力を増加させ、ついに街を沈め始めた。巻き起こった風が周囲のものを巻き込み、空へととばしていく。あまりにも突然に起こったそれに反応ができなかったノエルは、周りのものと一緒に風に巻き込まれて、地面に叩きつけられた。かは、と肺の空気を吐き出し、吸い込もうとしても、地面に叩きつけられた際に肋骨を何本かやってしまったらしく、ズキズキと痛むせいで上手くできない。なぜ自分はここに居るんだろう、反対を押し切ってでもルナフレーナのところに行けばよかった。ここでくたばるなんて最悪だ。滲んできた涙で視界が霞む。助けてもらおうにも、優秀なここの区域は全員が避難してしまって誰一人助けには来ないし、気付く事すらないだろう。なんて可哀想な、なんて無様な。なんて無力な。心の中のもう一人の自分が大声でそうののしった。痛む体に鞭打って寝返りを打つ。広い水の壁に隔てられた向こう側では一体何が起こっているのだろう、薄れていく意識の中で、ノエルはルナフレーナに渡したあの小さな柱水晶が最後まで使われなかったのを感じた。「助けを求めたっていいのに。わたしは、いつでも助けに行ったのに」声にならないつぶやきを漏らして、ノエルはゆっくりと目を閉じた。暗闇に、閉じ込められる。微かな意識が、誰かが指輪をはめたことを告げた。
水の都