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漂ってくる甘い匂いに、ノクトはゆっくりと目を開けた。うん、と背伸びをしてカーテンを開けば、遮断されていた冬の冷たい空気がこちらに向かってくる。それに一つ身震いして、ノクトはリビングに向かう。おはよう、我が物顔でソファーのど真ん中に座って本をめくるノエルにはよ、と返し、コーヒーメーカーからコーヒーを注ぐ。ミルクジャムの塗られたトーストをかじり、ベーコンとスクランブルエッグを口に運ぶ。ピピピと鳴ったオーブンに、ノエルは本を閉じてキッチンに入る。オーブンの蓋を開ければ、さらに甘い香りが濃くなった。ノクトは思わずキッチンを見た。

「今年なに作んの」
「マカロン、とプチカップケーキ」

うまく出来たらしい、少し表情を緩めたノエルは、焼きあがったマカロンをケーキクーラーの上に乗せ、今度はカップケーキをオーブンに入れる。時間を設定してオーブンが作動し始めたことを確認すると、再びソファーに戻って本をめくり始めた。食べ終わった朝ごはんを流しの中に入れて、ノクトはノエルの隣に座る。甘い匂いが一際濃くなった気がして、ノクトはノエルに近づいた。なぁに、本に目を向けたまま、ノエルはノクトに問いかける。それに答えずに、ノクトはじっとノエルを見た。その綺麗な横顔とか、伏せられた長いまつげとか、ふっくらとして今にも噛みつきたくなるような唇とか、ほんのりと紅く染まった頬とか、顔に影を作っている艶やかな前髪とか。思わず伸びそうになった手を、ノクトは慌てて引っ込める。チラリと横目でそれを確認して、ノエルは困ったように笑った。どうしたの、呆れたような優しい声も、とてもくるものがある。ノクトは先程引っ込めていた手で、ぎゅうとノエルを抱きしめた。きゃ、小さな悲鳴をあげたノエルだが、ぎゅうぎゅうに抱きしめられる事が好きだとノクトは知っている。さらに抱いている腕の力を強めると、ノエルは楽しそうに笑い始めた。そのままぐりぐりと首筋に頭をこすりつければ、くすぐったいよ、とノエルは身をよじる。なぁにもぅ、そんなに構って欲しいの?そう聞いていたノエルに、間髪入れずにうん、とノクトはうなずいた。それにノエルは返事をせず、またページをめくる。何を見ているのか気になったノクトは本を覗きみるが、内容はあまり見たくもない国政や経済関連の本であり、そっと視線を外した。カップケーキが焼けたことを知らせるアラームが鳴り、ノエルは再びキッチンに戻る。出来上がったカップケーキが乗っているプレートをテーブルにおいて、ノエルはノクトを振り返った。

「ノクト」
「………なに」
「外に行こっか?」
「行く」







お手洗いから戻った客は、自分の席に戻りながら、なんとなく映画館の場内の一番後に置かれたカップルシートに目を向けた。そこでお互い寄り添って寝ているカップルを見つけて、眉を顰める。インソムニアで大ヒットした恋愛小説を実写化したこの映画は、予約しないと席が取れないほどの人気ぶりなのに、ここで寝るとは、一体どんなバカなカップルなのか。そこにいた人たちをよく見ようとして目を細めた客は、寝ている二人の顔を確認して、目を見開いた。少し駆け足で自分の席に戻り、隣にいる友人の肩を叩いた。恋人たちが別れを惜しむシーンで、ハンカチを握りしめながら涙ぐんでいた彼女の友人は、何邪魔しとるんじゃボケェ!とも言いたげに彼女を睨みつけるが、全く悪びれもせず、客に興奮している彼女の様子に少し首をかしげる。どうしたの?そう小声で聞けば、彼女は返答する。

「一番後にさ、カップルシートあったじゃん」
「あぁ、あれね」

思い出したくもない、というように手をひらひらと振った友人に、最後まで聞いて!と彼女は小声で力強く説く。なに、今いいところなの、その睨みも何処吹く風、少し頬を赤く染めた彼女は、随分と楽しそうにしていた。

「あそこのカップルシートにいるの、ノクティス王子とノエル様だった!」
「はぁっ!?」

興奮していたせいか、声は少し上ずってしまい、ボリュームは抑えられなかった。周りにいた人たちが一斉に彼女のを見ては、後ろを振り向く。後ろにいた人たちも、振り返った大勢の人たちに少し驚きながらも何事だ、と振り返る。そして彼女の言う通り、最後列にあるカップルシートには、暗い映画館であるがためにすっかり気を抜いて変装を解いたノクトと、ノクトに寄りかかられて居心地悪そうにしているノエルの姿があった。今この場にいる人達にとって、今は映画を見ている場合ではなくなった。この映画なんて見ようと思えばいつでも見れるし、公開が終わってもDVDが出るなりレンタルが開始されるなり待てばいい。しかしあまりお目にかかれないノクティス王子のことなら尚更。そしてノクティス王子と将来結婚する可能性が高いノエルが一緒なら更に、だ。観客の視線はスクリーンではなく全員二人に注がれてる事になった。







「あー、散々だった」

ソファーに倒れ込んだノエルに、だな、と答えてノクトが隣に座る。映画館行くんじゃなかった、と後悔するノエルに、どっちかっつーと寝るんじゃなかったじゃね?とノクトはノエルを見る。確かに、頷いたノエルは、あーあ、とうんと背伸びをした。

「午後にあんなに寝ちゃったから今夜は寝れなくなっちゃうよ」

綺麗に包装されたマカロンとカップケーキが入っている袋を一つ取り上げて、ノエルはそれを開けた。マカロンをひとつ取り出してかじる。外側はさくっと、内側はしっとりと焼きあがったそれと、真ん中に挟んであるガナッシュソースが絶妙に絡み合う。なかなかのいい出来だな、なんて自画自賛してみる。

「うまそ」

そう呟いたノクトは、ノエルが持っていたマカロンを取り上げて口の中に放り込む。もぐもぐと咀嚼するのを、ノエルがじっと見つめる。ごくんと飲み込んで、ノクトは頷いた。

「んまい」
「よかった」

ホッと胸をなでおろしたのを見て、ノクトは小さく笑った。昼間出掛けているうちにイグニスが来たらしい。綺麗に整頓された棚の中からゲームカセットを取り出したノクトは、それをひらひらと振って見せた。お前寝れねーならゲームやろうぜ。いいね!ゲーム機を起動させながら、ノエルは可笑しそうに笑った。

「夜はまだまだ長いですねぇ、ノクティス王子」
「その呼び方はやめろ。んじゃ、オールすっか」
「おっ?過去全部寝落ちしたと聞いてるんだが?できるの?」
「王子ナメんなし」
Happy Valentine!