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「うわぁ。ニックスつよー」

タガーをポイッと投げて地面に投げて寝っ転がったノエルに、ははは、とニックスは笑った。

「強くなきゃ王の剣は務まらねぇよ」
「手加減してー」
「しなくていいつった奴はどこだ?」
「ここにいます」
「だな」

ほら起きろ、と差し出された手を掴んで立ち上がったノエルの頭をぐしゃぐしゃと撫でれば、やめてよ、とノエルは楽しそうに笑う。ゴーンと鳴ったチャイムが、本日の終業を知らせた。なんか奢ってやるから出かけるぞと言うと、アイス!と言いながら楽しそうに練習場所を出ていったノエルを見て、ニックスは小さく笑った。故郷をニフルハイムに侵略され、たったひとりの家族であった最愛の妹を失った。生涯孤独になり、屍のよう生きていたニックスを見つけてくれたノエルと手を差し伸べてくれたレギス王。このふたりには一生足を向けて寝れない。夕日に染まった、レギス王の命を削って作られた魔法障壁に守られているインソムニアの空をなんとなくニックスは見上げる。早く、と急かすノエルの後を、はいはい、とニックスは付いて行った。

「あっ、そういえばね」
「なんだ?」
「夏休みの間、王の剣に居れることになったの」
「まじか、大丈夫か?」
「うん。でもお父さんがうるさくって…前線には出してもらえないんだって。だから取り残しとか、後方支援に付くことになったの」
「へぇ。そりゃ取り残しがないよう頑張らなきゃな」
「えぇ、なんで?」
「お嬢を危険な目に遭わせられねぇよ」
「そのお嬢ってやめない?」

じとりと睨まれて、ニックスははははと笑った。ノエルでいいのに、とぶすくれるノエルに、じゃあ、とニックスは提案した。

「俺にもなんかあだ名つければいいじゃん」
「えぇ?ニックスに?」
「そう」
「えぇーっと……」

ううん、とノエルが数秒考えて、なにか思いついたらしい。スッとニックスを抜かし、くるりと向かい合ったノエルは、ニシシ、と笑った。

「"兄さん"って、呼んでもいい?」
「………、あぁ」

私一人っ子だから、上か下か欲しかったんだ。イリスがグラディオのこと兄さんって呼んでるのが羨ましくて。夕日に照らされたその後ろ姿が、ニックスには自分の、今は亡き妹にダブって見えた。でね、と楽しそうに前で話しているノエルに追いついて、ニックスはもう一度その頭をぐしゃぐしゃと撫でた。乱れた髪の毛を整えながら、もー、なに?と少し怒ったノエルがこちらを見上げる。

「なんでもないよ」
「…………ふぅん」
「何があっても、お前は護る」

なんせお前の"兄"だからな。そう言ったニックスに、目を見開いたノエルはえへへ、と照れくさそうに笑った。

「もしニックスが王様だったら、強そう」
「なんだよいきなり。俺は王ってがらじゃないぞ」
「ふふー、まぁレギス様に比べればね!」
「まぁ、そこは比べたらおしまいだ」

だね。うん、と頷いたノエルはニックスに駆け寄って、ぎゅうとニックスの手を握った。そしてコツンとそこに額をのせる。

「ニックスが死にませんよーに」
「縁起でもないこと言うな」
「いてっ」

えへへ、と笑うノエルに、ニックスも笑う。晴れやかなさっきまでとは一転、雲が集まりゴロゴロと鳴り出した空を、ノエルが見上げた。

「降りそう」
「だな」

長年の勘、というヤツである。ソーダ味の氷菓をカリッとかじったノエルは、ここまで送ってくれてありがとう。と言って家に向かって走り出した。やがてぽつぽつとした小さな水玉が、ザァザァと激しい雨になる。コンビニの中に戻りビニール傘を買ったニックスは、呼び止めて家まで送っていけばよかったと僅かに後悔し、ノエルのことを気にかけながらゆっくり家へと戻っていった。その一方で、アイスは走ってる間に落としてしまった上、急に勢いを増した雨に、家に急ぐのを諦めたノエルは不服そうな顔をしながら歩いていた。容赦なく体に打ち付ける雨で、服も髪も、カバンもびしょびしょだった。幸いスマホは防水性のあるものだし、カバンに入っているのは練習着やタオルで、家に帰ったら洗おうと思ったものしか入っていない。しかし雨に濡れてベットリと肌にまとわりついてくるシャツが鬱陶しい。傘を買おうとも思ったが、生憎今日は最低限の額しか持ってきておらず、傘が買えそうにない。どうしたものか、はぁ、とため息をつく。

「ノエル?」
「へっ?」

聞こえてきた声に振り返ると、そこには近所ほコンビニ袋を提げたノクトが立っていた。傘ないならこっち来い。ん、と少し傘を差し出したノクトに最初は断っていたが、王子命令と言われて、しぶしぶと隣に並ぶ。二人でパシャパシャと歩くが気まずい。この前遊園地でノエルが一方的に逃げてから、お互い避けるように行動していた。隣同士だが、お互いのライフサイクルを熟知しているため、これくらいは朝飯前である。学校でも業務連絡以外は全く話さなくなり、いろんな人に大丈夫かと聞かれたが、理由はあまり言いたくないのて適当に濁していた。歩きながら隣を気にしすぎたあまり、深い水たまりに足を突っ込んだノエルは、お気に入りのサンダルが泥水にまみれたことに少し落ち込んで思わず立ち止まった。そんなノエルは一緒になって立ち止まってくれた隣をちらりと見るが、思い切り目が合って少し気まずくなって逸らす。再びゆっくりと歩き出せば、隣もゆっくりとついてくる。

「あのさ、」

突然隣からかけられた声に、ノエルはビクリと肩を震わせた。ごめん、小さな声で謝ったノクトは、隣で歩くノエルを見て、悲しそうな顔をした。

「悪ぃ」
「…………」
「なんで怒られたかは心当たりあるけど、」

なんとなく居心地が悪くなって、ノクトはカサリと音を立ててレジ袋を持ち直した。ふと目に入ったそれにはコンビニ惣菜が入っていて、ノエルは気まずさに目をそらした。俺は、とノクトは自分より下にあるつむじを見て言葉を続けた。

「俺がルーナに対する気持ちはよくわかんねぇけど、」
「………」
「ルーナに向かう気持ちは、親父に向かうそれと似てる…と思う。神凪だって事をすげーと思うし、尊敬もしてる」

そこでノクトは一旦沈黙した。口を開いては閉じ、開いては閉じる。ゆっくりと言葉を選んでいるようで、立ち止まったノクトに、ノエルも自然と立ち止まった。だから、ノクトはノエルを見た。

「だから……あ"あ"言葉が出ねぇ」

ガシガシと頭を掻いだノクトは、キッとノエルを睨みつけた。

「俺はよっぽどのことがない限りルーナと結婚しねぇよ!神凪は真の王と共にあるべきだとか言ってるけど共にいろだけで結婚しろなんて言われてねぇし!お前が何で拗ねてんのか知らねぇけど!例えルーナと結婚してもお前は俺の世話係だし、俺はお前を手放さないし!お前も俺から離れんじゃねーよ!悪かったな!」
「拗ねてないし…逆になんでキレてんの」

呆れたようにそう言うノエルは、まぁ、と苦笑した。

「私も大人げなかったし。今も昔も」
「?」
「あー、うん、気にしなくていいよ」

小さく笑ったノエルは、いつの間にか上がった雨に、空を見上げる。

「ねぇノクト」
「………なに」
「見て、虹」

そう言われて空を見上げたノクトは、おぉ!と歓声をあげる。待って待って写真撮るわ、そう言ってポケットを探せば、カランと傘が地面に落ちる。あ、と間抜けた声を出したノクトに、クスクスとノエルは笑った。

「もう、しっかりしてよ」
「あー、だな」

ほら、帰ろ。右手を差し出したノエルを見て、ノクトはおう、と笑顔で左手を重ねた。子供の時みたいに繋いだ手をブラブラと揺らしながら、雲間から差し込んでくる太陽に目を細める。別にちょっとほっとなんてしてない、自分にそう言い聞かせていると、ポツリと隣から声がした。

「…紺」
「こん?」
「あぁいやなんでも!なんでもない!」

慌てるノクトに怪しい、と思いながらも前を向く。そしてちらりと気付かれないように隣を伺うと、その視線かしっかりとノエルの服に注がれている。釣られて自分を見て、ノエルは叫びそうになって、思わず口を噤む。キッと隣を睨めば、ノクトは慌てて目線を外してそっぽを向いた。

「ノクトォ?」
「あ、いや、あの、すんません!」

一目散に逃げ出したノクトを後を、ノエルは全速力で追いかけた。



わたしの春を青くした人