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進級テストも無事に終えた春休み。高校から少し離れたところにあるマンションに引っ越したノクトは、イグニスによって全ての荷物を解き綺麗になった部屋をぐるりと見回して、ふわ、と大きなあくびをした。ふかふかな黒いソファーは、窓から差し込んだ光を吸収してぽかぽかと暖かく気持ちがいい。昼寝でもするか、とうんと伸びをしたノクトがソファーにダイブしようとした瞬間。隣の家からキャァ!と叫び声が聞こえてビクリと肩を跳ねさせた。何事だと思い、隣の家に繋がる壁を見つめること数十秒。その直後からひっきりなしに鳴り始めたドアベルに、ノクトはへいへい、と返事をしながらドアを開けた途端、涙目のノエルが駆け込んできた。


「ノ、ノクッ、ノクトォ!」
「うわぁっ!?なんなんだよ…」


事態を説明しようとしてあ、と小さく口を開いたノエルだが、先ほどのことを思い出したのだろう、小さくぶるりと震えると、あのね、とがっしりとノクトの服を掴んだ。


「で、でたの…」
「………何が?」
「…、さ、察して」


名前も言いたくないのだろう、顔を真っ青にして目を逸らしたノエルに、ノクトは察した。流石にあれは俺も無理だわ…そう小さく呟いて、よしとノクトが頷いて、ポケットから携帯を取り出した。


「イグニス呼ぼう」


害虫はイグニスにより速やかに駆除され、部屋には平和が訪れた。しかしノエルはその日あいつが現れた部屋で寝るなど勇気がないと言い出して、時刻は既に夜の十時を回ったが、未だにノクトの家でゴロゴロしている。くあ、と大きなあくびをしたノエルは、ごろんとソファーに寝っ転がった。


「あー、眠い」
「だったら寝ろ、ベッド貸すから」
「王子をソファーで寝かせるなんて私が許しません〜」
「俺も女をソファーで寝かせるような教育はされてねぇよ」
「なんかイラッとするね、その言い方」


しばらくは起きてるわ、とテレビをつけてザッピングし始めたノエルの横に、しばらく考えてノクトが座った。少し物珍しそうにノエルがノクトを見た。


「あれ、寝ないんだ」
「せめて寝るまでそばにいてやる」
「うわ、上から目線とか何様」
「王子様」
「間違ってないのがむかつく」


そう言って立ち上がったノエルはキッチンの棚からコップを二つ取り出して、しばらく考え込んだかと思えば、キッチンを一通り漁った。


「やっぱり全部イグニスにやってもらったのね」
「あ?」
「この配置、城のキッチンの配置と全く一緒だよ」
「まじか」
「まじ。ノクトはコーヒーでいい?」
「ん。ってかコーヒーって今夜寝かせないつもりかよ」


さぁね、カラカラと笑ったノエルは、リビングに戻るが、何かに躓いた。イテッと小さく声を出したノエルは、自分が何に躓いたのか気になって振り返り、地面においてある細長い木箱を見つけた。


「………あぁ、エンジンブレードか」
「ん?あぁ!すげーだろ!それ!」
「ってことは、シフトとかの訓練を始めるのか」
「おう!」


楽しみなんだよなー、とそわそわしだすノクトに、ノエルは小さく笑った。


「まぁがんばれ。噂によると難しいらしいけど」
「王子なめんなし」


俺の習得の早さに驚いておけ。そう言ったのだが、結局習得には長い時間がかかってしまい。それをノエルによってからかわれるのはもう少し後の話である。






ざわざわと生徒達がはしゃぐ中を、ちょっと通してね、と言いながらノエルが通り過ぎる。高校でもよろしくね、と声をかけてくる持ち上がりの同級生達に手を振りながら、校内をぐるぐると探し回る。


「あれが王子?」
「じゃない?はぁー、同じ学校なんだ」


ふと聞こえてきた女子の会話に、ノエルはくるりと振り返った。胸に入学おめでとうと書かれた花をつけている。ねぇ、と話しかけた。ノエルを振り返ったふたりは、きょとんとしている。ノエルを知らないあたり、おそらくは外部受験で入ってきた子達だろう。


「王子って、ノクティス王子?」
「え?う、うん」
「どこで見たの?」
「え?えっと、向こう」
「そう、ありがとう」


指さした中庭の方向へと向かっていくノエルを見て、女子二人は顔を見合わせた。


「今の子、めっちゃ美人だったよね」
「わかる、やばいよね。ても、王子探してた?」
「なんでだろう」
「こくるのかな?」
「入学早々?うっわ、勇気あるー!」


その一方。教えてもらった通り中庭に着いたノエルは、くるりと見回した視界の端っこにすーはー、と深呼吸をする金髪を見つけた。ちょっといたずらしたくなったノエルは、そろりそろりと近づいて、ゆっくりとその肩に手を置いた。


「うらめしや〜」
「うわぁぁぁぁっ!?」
「…いくらなんでも驚きすぎじゃない?プロンプト」
「えっ?えっ?ノエル?」


恐る恐る振り返ったプロンプトは、呆れた顔をしたノエルを見てなんだよー、おどろかすなよー、と不貞腐れた。


「ノクトに話しかけに行くんでしょ?一緒に行こうか?」
「えっ、いいの?」


ぱぁ、と顔を輝かせたプロンプトは、いやちょっと待って、としばらくその場でうんうんと悩んだ後に、やっぱ一人で行く、と言った。走っていくプロンプトとノクトを見て、あれ?とノエルが首を傾げ、そして何かに納得したようで急いでその場を離れた。


「こんにちは、ノクティス王子」
「あ?」


ぽん、と肩を叩かれたノクトが振り返ると、そこには金髪の青年がニコニコしながら立っていた。


「はじめまして、俺プロンプト。よろしくね」


そう言ったプロンプトを上から下までまじまじと見つめたノクトは、ふっ、と小さく笑った。


「初めてじゃねーよ」
「あっ、ははは」


とん、とノクトに肩を叩かれながらプロンプトはそこで待っているはずであろうノエルのところに行こうとして角を曲がるが、そこには誰一人いない。まさか、さっきの本当に幽霊だったの?と慄いたプロンプトに、どした、と不思議そうにしているノクトが声をかける。


「ね、ねぇノクティス王子」
「……ノクトでいい。どした」
「ノエルって幽霊?」
「は?」


ノエルが幽霊?朝起こしてもらったし、朝ごはんも作ってくれたけどあれ幽霊か?眉を顰めたノクトの耳に、うしろけらパタパタと何かが駆け寄ってくる音がした。


「ノクトー、プロンプトー!」


話せたんだね、とふたりを見て嬉しそうに笑ったノエルは、あ、そうだ、とちょいとプロンプトを呼び寄せた。


「まったく、入学式なのにこんなに着崩して…ボタンは上まで閉める、ネクタイもちゃんと締めて。シャツの裾はズボンに入れる。袖はまくらないで!」
「はっ、はいぃ!」


きっちりと服を着直したプロンプトにうん、とノエルは満足そうに頷いて、手に持っていたものをプロンプトのブレザーの襟に付ける。


「よし、入学おめでとう!」
「あっ、これ!…ありがとう!ノエルも入学おめでとー」
「ありがとう。はいノクト。ノクトも入学おめでとう」
「ん、お前もな」


されるがままに服装を直されていくノクトは、花を付けてもらいながらノエルを見る。


「そう言えばお前は?」
「何が?」
「これ…付いてんじゃん」


付いてるわよ。あなた達とは違って。呆れた目線を送ってくるノエルに、うっ、とプロンプトは体を縮こませる。しかしそれも一瞬のことで、えへへ、と嬉しそうな顔をしたノエルは、凄いだろうとばかりに胸を張った。


「レギス様がつけてくれたんだー!」
「えぇっ!?」
「は?なにそれずりぃ!」
「学校について早々どっかに消えたノクトに言われたくありませんー」


校内散策なんてしなきゃよかった。ブツブツと零したノクトに、そうだ。とノエルは紙パックを渡した。


「レギス様、応接室にいるよ。ノクトと話したいってさ。あとこれ飲んでね」
「おう、って、なにこれ」
「ジュース」
「サンキュな」


紙パックを受け取って走っていったノクトを見送って、ノエルはプロンプトの方を向いた。入学おめでとう。再びそう声をかけられて、プロンプトはへへっ、と笑った。


「ところで、さっき渡したの、なんのジュース?」
「野菜ジュース」
「なるほど」
やすらかな春