ON YOUR MARK



ON YOUR MARK

キキーッとゆっくりと校門の前に止まった黒塗りのベンツが止まり、運転手が降りてくる。後部座席のドアを開けて恭しく一礼。中から出てきた少女は、艶やかな濡れ羽色の髪を少し手ぐしで整えて、校門に立っている教員に向かって目礼をした。

「お早うございます、先生」
「お前なぁ…車でならもうちょっと早く来い」
「すみません、家の用事で少し捕まってしまいまして」

ゆっくりとした足取りで構内に向かっていくのを見送って、教員は今しがたバスから降りて、懸命にこちらに向かって走ってくる女子生徒に声をかけた。

「急げよ新入生、初日から遅刻するなよ〜」
「あっ!待ってください〜!」
「待ちませーん、もっと早く来なさーい」

慌てて校門をくぐった女子生徒は、膝に手をついてはぁはぁと息を整える。それを困ったように、呆れたように見ていた、先ほど入ってきた少女、詩織は、女子生徒に近寄って手を差し出した。

「奈々、大丈夫?」
「はぁーっ、詩織ちゃん…ありがと…」
「私が言うのもなんだけど、もうちょっと時間に余裕を持って家を出なきゃダメよ?」
「うん…、」

奈々の服を直して、校舎に向かって歩き出そうとしたその時だった。こらぁ!と教員の怒鳴る声がして、詩織と奈々は思わず振り返る。目の前にストンと音を立てて落ちたカバンに、え、と二人は目を瞬かせた。向かい側から、信号を走って渡った男子が校門を蹴って、飛び越える。勢いをうまく殺せることが出来なかったらしい。そのままくるくると回り、ズドンと大きな音を立てて木に激突した。

「…セェーフ」
「いやそれ絶対アウトだと思う!」
「……生きてる…大丈夫?」

起き上がった男子に慌てて駆け寄ると、暑かったようで、少し前髪を上げる。血の出ているおでこに手当てしなくては、と詩織が絆創膏を出そうとすると、すぐ治るからいいよ、と男子は言う。だめだよ、と奈々がハンカチを当てれば、男子は立ち上がって、キラキラとした目で奈々と詩織を見た。

「君達、やっさしぃ〜!サンキューです!俺、八神陸です。今日から方南学園の一年、よろしく!」

突然の自己紹介にわけがわからず、はぁと奈々と詩織は顔を見合わせた。





「好きな焼きそばは、焼きそばパンです!あと、スポーツ全般大好きなんで、体育祭とか早く来るといいなーって思ってます!おわり!」

なんじゃそりゃー?と男子生徒に言われながら、陸は席についてガッツポーズを決める。頬杖をついていた詩織がちょい、と前の席に座っている奈々の肩をつつくと、なぁに?と奈々が振り返る。

「焼きそばパンって、焼きそばなの?」
「うーん、どちらかというと、パン、だよね」
「じゃなんで焼きそばなんだろう」
「なんでだろう…」

うーんと二人が唸っている間に、陸の後ろの自己紹介は終わったらしい。またその後ろの男子がカタンと立ち上がった。そして一言。

「藤原尊です」

それだけ言って、着席をする。なんとも言えない空気に包まれた教室に、このクラスの担任である現国の教論の壇先生が声をかけた。

「他には」
「ないっす」

再び沈黙。はぁ、と息を吐いた壇先生は、次の人。と声をかけた。










「高槻詩織、生まれは東京でしたが。育ちは北海道でした。あ、ちなみにギャラスタが好きなので、ギャラスタが好きな子は話しかけてくれると嬉しいです!」

パチパチ、と拍手が上がり、一部の女子が少し色めき立つ。同志を見つけたのだろう、自己紹介が終わり次第、今にでも話しかけに行こうとしているように見える。やっぱり詩織はすごいなぁ、と奈々は立ち上がる。こういう自己紹介ってなんて言えばいいんだろう…ええい、適当になんとでもなれ!

「桜井奈々です、北海道から来ました!今は親戚のおじさんの家から通っています。東京のことはよくわからないので、いろいろ教えてください!」

パチパチと拍手が上がり、ほっとした奈々が席に着いたちょうどその時、授業の終了を告げる合図が鳴り響いた。





「詩織ちゃん、部活見に行こう!」
「あー、うん待って」

きゃっきゃと楽しそうに話していた詩織は、早速できた友達に手を振って奈々と教室を出た。玄関口にある掲示板を、順に見ていく。

「………どうしたの?」
「え?」
「八神くんに会ってからなぁ、ずっと眉間にしわ、寄ってるよ?」

つん、と詩織に眉間を突いた奈々に、あちゃー、と詩織が笑う。

「なーんか、初めて会った気がしないんだよねぇ、」
「え、どっかで会ったことあるの?」
「うーん、それがどうも思い出せない…っと、スト部、スト部はっ、と……あれ?」

一回、二回と掲示板を往復した詩織は、そばで取材をしていた新聞部と思われる女子に声をかけた。

「あの、先輩」
「はい?どうかした?」
「スト部って、どこにあるんですか?」

え、と奈々が声を漏らし、先輩の女子生徒は一緒についてきた男子のカメラマンと顔を見合わせて小首を傾げた。

「スト部って、まだあったっけ…?」
「「え」」





「まだあったっけ…?」
「もうないってこと?」
「うーん、どこなんだろうねぇ」

学食でサイドメニューのフライドポテトを食べながら二人は新入生に配られた入学のしおりを広げる。校舎の地図が書かれたページを開き、覗き込む。そしてしばらくの沈黙。

「詩織ちゃん。一か八か部活棟に行ってみる?」
「…………そうだねぇ」

食堂のおばちゃんに声を掛けて、学食を出る。外履きに履き替えてから手元の地図を頼りに部活棟を目指す。

「ここ、かなぁ?」
「どこだろう…」

「桜井、高槻」

部活棟の入り口で入ろうか入らまいか葛藤を繰り返している二人に声がかかる。え?と振り返った二人の目の前に、クラスメイトの藤原尊が来ていた。なんで名前を呼ばれたんだろうかと二人で不思議に思っていると。二人を置いて歩き出した尊は一旦立ち止まって、二人を振り返った。

「ストライド部に行くんだろう、こっちだ」
「「あったんだ!」」

再び歩き出した尊を、慌てて二人が追いかける。部活棟の階段を一階二階と上がり、廊下の突き当たりにたどり着く。ストライド部、という張り紙の下に将棋部、というダンボールで作られたパネルがあるのは気になるのだが…。

「あった、ストライド…」
「本当に、あったね」
「知ってたの?私たちがストライド部には入ろうとしてたこと」
「当たり前だ、行くぞ」

ガラガラと勢いよく扉を開き、尊が部室に入ろうとしたその時。

「待った!」

思わず踏みとどまった。

「いや待った無し!」

なんだろう、と思い直して尊は再び部室に入ろうと脚を運ぶが。

「いや待ってくれ!」

うっ、と尊は再び踏みとどまる。これじゃあ埒があかないと思い、詩織はとん、と尊の背中を押した。あっ、という小さな声と共に、尊は部室に踏み込んでいく。部室の奥の二人組はこちらの存在に気づいていない。

「ノン!ディスイーズRTS!」
「ちいせぇこと言うなよ、この前待ってやったじゃねーか」
「ほほぉ?この間とは〜?何年何月何日何時何分何曜日地球が何回回った時のことですかなぁ〜?」
「うっわ小学生かよ!」

「気付かれて…」
「気付かれてないな」
「あはは…」

先輩に声をかけてから部室に入るのか、入ってから声をかければいいのか3人で考えあぐねていると、突然後ろから声がした。

「あの〜」

びくりと三人の肩が跳ね上がり、詩織が恐る恐ると後ろを振りむく。そして頭を傾げた。

「……パンダ?」
「ノンノン!もしかして、入部希望者かなぁ?」
「はい」
「歓迎するよ〜!僕2年の小日向穂積、よろしくねっ!」

パンダパンを顔からどかしてにこりと微笑んだ先輩は、部室の中の状況を察知したようで。ついてきて?と部室に入って、取っ組み合いをしている二人の前でパンパン、と手を叩いた。入部希望だよ!という穂積一言に、二人を纏う空気が変わる。前髪をカチューシャであげた片方の男子生徒が、真剣な目つきで穂積を見た。

「それで、どっちだ」

尊が口を開こうとしたその時。ズササササ、とものすごい勢いでこちらにやってきたメガネの男子がズズィッと顔を寄せてきた。

「その目つき、そのメガネ!君は、将棋部でしょ!「違う」
「即答!」
「俺は、ストライドをやりに来た」

やや食い気味に即答した尊の返答におよよよよ、と泣くフリをしてその男子は、あれ?とずれたメガネをかけ直してまじまじと尊を見る。

「あれ、君ってもしかして剣矢中の藤原くんか?」
「そうっす」
「やっぱしか!あれU-15では結構有名なんだよー。兵庫から東京に来てたんだねぇ…」

意外とすごい奴だった。おお〜と穂積が拍手しながら尊を見上げると、尊はどもっす、と小さく頭を下げた。

「そんな奴が入ってくるなんて、スト部幸先いいねぇ〜それはそれとして」
「「?」」

すぐさま体制を整えて奈々と詩織に食いかかる。

「こっちは将棋部の初女子部員だぁー!「違う」
「ハイ違う!」
「桜井も高槻もストライド部だ」

うそだぁ!!と嘆く男子生徒を見て、詩織はふわぁ、とあくびをした。午後の柔かさを含む暖かな日差し、窓から吹き込む春風に、まぶたがそろりそろりとおりてくる。

(……あ、眠い)

奥の畳のスペースにごろん、と寝転がった詩織は自分の欲望に耐え切れず、ゆっくりと瞼を閉じた。





わぁわぁと外が騒がしい。それにさっき突風が吹いた気もする。あ、少し寒いかも。

少し身じろぎした詩織は、仄暗い部室の中で目を覚ました。肺いっぱいにい草の匂いを吸い込み、うーんと背伸びをする。ごしごしと目を擦り、空っぽになった部室を見回して顔を真っ青にした。

「………あれ、もしかして、やっちゃった?」

慌てて揃えられている靴に履き替えて外に飛び出す。人だかりを通り抜け、校庭へ出る。そこには地面で伸びている陸と、それを囲むようにしてスト部のみんなが立っていた。

「あーーー、わたし…」
「おー、高槻か」
「なんかごめんなさい…寝てしまって…」

気にしてねーよ、とヒースが手を伸ばしてわしわしと詩織の頭を撫でる。少しそれを甘受し、詩織はまだくたばっている陸の前に立った。

「お疲れ様」
「…はぁ、はぁ、あぁ、高槻さん…ありがと…」

尊に奈々、詩織に起き上がった陸をぐるりと見回して、ヒースはニヤリと笑った。

「頑張れよ、一年」




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