やわらかい皮膚に一度きりの毒

次の授業までの間、休学手続き許可をとっていた名前は、突然後ろから声をかけられた。
「名前」
「ん?わぁっ、優くん!久しぶり」
振り返ってみると、そこには最近忙しくて授業に出れないんだよ、とメールで愚痴をこぼしていた優が立っていた。よっ、と笑って手をあげた優に、名前も笑ってよっ、と手をあげた。
「久しぶりだね、名前はどう?」
「うーん、普通かな。優くんこそ、歌番組とかドラマとか忙しそう…」
そう言って思い起こされるのはドラマで敏腕エリート刑事として街を駆け回る姿や、歌番組でメンバーと笑顔を見せながら踊り、歌ってる姿。そういえばこの前のドラマ見たよ、と伝えれば優は嬉しそうな顔をした。
「まぁ、忙しいけど、兄さんに比べればどうってことないよ」
「…優くんは、涼太が大好きなんだね」
その一言に、優は大きく目を見開いた後に、ふわり、と笑った。
「うん、尊敬する」
「ふふ、そっか」
「ところで、用事は終わった?」
「あ、うん。優くんもなんか用事あったの?」
「うん、俺もちょうど終わったところ。昼、まだでしょ?一緒に行かない?」
「うん、じゃあお言葉に甘えて」

***

連れて行かれたお店は撮影後によくキャスト達と行っという定食屋だった。食後の運動と称して、二人でぶらぶらと街を歩く。幸い人もまばらで、騒がれるようなことはなかった。
「なんかごめんね?私の分まで…」
「いや、いいよ。俺の方が稼いでるし?」
「うわ、何それ〜なんかむかつく〜」
ぶー、と口を尖らせてパンチすると、あはは、なんて優は笑う。
「そうだ、今度コンサートすることになったんだ」
「えっ、すごいすごい!ファーストコンサートだ!」
「まだまだ小さいハコだけどね」
いつか国立でコンサート!なんて言うから、名前は思いっきり笑ってやった。
「ふふふ、無理だね」
「なんだと!」
「いやいや、考えて見なさいよ」
「いや、俺はいずれ超ビックになってやる!」
「ビックって…」
呆れた目線を送る名前に、ドヤ顔の優。なんだかおかしくなって、笑った。
「「ふっ、あはははは」」
二人で笑い合うのは久しぶりだな、楽しいなぁ、なんて名前は思う。
そんな名前を、優は見ていた。視線に気づいた名前は、少し笑って首を傾げた。
「ん?どうかした?」
「ううん。やっぱ名前といると楽しいなーって思って」
「…もぅ、優くんったら!」
少し顔を赤くして笑う名前を見て、優はポツリと呟いた。
「なんで手放したんだろうね」
「ん?なんか言った?」
「あ、いや、うん……言った」
ちょっと、喋ってこうか。そうカフェを指した優に、名前は頷いた。
ケーキセットを注文して、紅茶を一口飲んだ。オレンジペコーだった。
「俺は、兄さんを尊敬してる」
唐突に、優が話し出した。名前はうん、知ってるよ、という風に頷いた。
「兄さんが幸せなら、俺はそれでいいんだ。兄さんに兄さんの好きなものをあげて、兄さんが喜んでくれるならいい。それが例え元々俺の物だったとしても。でも、」
「優くん?」
「でも名前は違った」
「……………」
「今更、って思うけど、なんで名前を兄さんに譲ったんだろう、って。名前本人に言うことじゃないけど、名前を困らせたくないけど、俺は今でも名前が好き。好きで好きでたまらなくて、あの時笑って兄さんにあげるって言った俺を殴りたい。俺は、なんで名前を手放したんだろうね?」
苦々しい顔でそう吐き出した優に、胸がツキンと痛んだ。
「……優」
「………」
「優」
「なぁに、名前」
「私も、優が好きだよ」
「うん」
「でも、」
「知ってる。だからさ、俺のお願い、聞いてくれる?」
「お願い?」
「うん。これで最後にするから、キス、させてくれる?」
「……うん」
ありがとう、そう呟いた優はガタンと席を立って、名前の前に立って屈んだ。
「好きだったよ、名前」
「私も、好きだったよ」
すぅ、と優の細くて白い指が名前の頬を撫で、さらりと流れた髪を耳にかけた。コツン、とおでこを合わせる。近づいてくる優の顔を見て、名前は目を閉じた。
ふわり、と唇に温もりが落ちた。
コーヒーみたいに苦くて、でもケーキみたいに甘くて、無性に泣きそうになった。
「……」
「……」
お互いの顔が離れて、何と無く始めてキスした時のことを思い出して、恥ずかしくなって、顔を見合わせてふふ、と二人で笑った。
「…これからよろしくね、姉さん」
「姉さんだなんて、慣れないなぁ…優、これからも名前って呼んでよ。涼太なら、罪悪感でいっぱいで少しぐらいの優のわがままなら少しくらいなら聞けるよ」
「そうかな、」
「そうだよ。これからもよろしくね、優」
「うん、よろしく、名前」
カシャ、と遠くで小さなシャッター音がしたのにも気付かず、二人は笑った。