月曜日のアリス
学校にも馴染み始めた初夏の月曜日の放課後、私は教室にいた。
「じゃあ、千夏またね〜」
「うん、また明日」
友達を見送り、カタンと自分の椅子に逆戻り。取り出したスマホで、ぽんぽんと中学の子達おLINEをしながら、周りを見渡す。さすが進学校。
放課後まで学校に残って勉強だなんて、スバラシイですね。
面倒臭い事に、本日見事に日直になってしまった私は、最後の一人が教室を出るまでここでお留守番しなくてはならない。いつもは一心不乱に勉強する人達を見てはすごい集中力だな、なんて羨ましがっていたけど、今日は少し恨みたい。勉強なら図書室でも自習室でもできるであろうに。早く家に帰って、クーラーの効いた部屋でアイスを食べながら宿題やって、お兄ちゃんと電話して、テレビ見て、あ、あと楽器も弾きたい。何を弾こう、ドピュシー?バッハ?それとも…
頭の中で一人演奏会を繰り広げていたら、いつの間にか誰もいなくなった。時計は一般生徒の最終下校時間五時の十分前。
「そして誰もいなくなった、とさ」
かの有名なアガサクリスティの小説の題名をご拝借して、ポツリと呟く。シャッ、とカーテンを開けると教室に差し込む夕日。そしてクーラーを止める。
ブゥン、とクーラーの停止を確認して、日誌とカバンを持って、ガラガラと教室のドアを開ける。
「うわ…」
途端に教室内に入り込む熱気に、私のHPが削られて行くのが分かる。それでも、それでも行かねば!だって私、日直だもの。
教室の電気を消して、いざ、職員室へ…!
「出陣!」

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クーラーがガンガンかかって、キンキンに冷えている職員室で担任の先生を探す。
「先生、日誌です!」
「おー、サンキューお留守番お疲れ〜」
「いや、これ日直の勤めじゃありませんか」
「知ってる知ってる!」
にゃはは、と笑いながら丸めた日誌で我らの担任様はポカポカと私の頭を叩く。痛い、痛いです先生。私の脳細胞がお亡くなりになられて行くので、それ以上は…
「んでさぁ、本日の日直様に最後のオシゴトを頼みたいんだが、いいかな?」
「あぁ、本日もお美しいですね、担任様。どうせ拒否権はないでしょうに…わざわざ聞くお前はSだ!いいともー!」
おぉー!と拳を突き上げると、我らの担任様はいい笑顔。ふはははは、その笑顔はS!
「んーとね、生物化学室に置いてあるレポートを準備室に運んでくれないかな?あと、これをさ、赤司に渡してくれないかな?うっかり忘れちゃってさ〜」
先生がてへぺろをやっても可愛くないですよ、そんな一言を飲み込み、あれ、先生お暇なのに?と思う。
「あいにく私はこれから部活の指導と今年度の入学希望者に向けての説明会をせねばならんのだよ」
カチャリ、と眼鏡のフレームを上げる担任様。
「松尾女史はエスパーなのですね、それでは私がお届けに参りましょう!」
「頼むぞ、黒子女史!」
なんて茶番をしながら職員室から出ようとしたら、白金大先生様に呼び止められた。
「黒子さん、ちょっといいかな?」
「あ、はい。なんでしょうか?」
ちょいちょいと招かれたので、ちょいちょいと近づく。
「赤司に用があるのなら、伝言と、これを持って行ってはくれないかな?」
「いいですよ」
後ろで松尾女史が態度が違うじゃーん、なんて言っているのはこの際無視する。
「そうかい、じゃあ、僕は忙しいから終わりは任せたよ、と、っと、これを」
と言いながら、ざっと50ページはあるファイルをわたされた。
「頼んだよ」
ほっほっ、と笑って、白金大先生様はゆったりとした足取りで会議室へ入っていく。
お疲れ様です。大先生。

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プリントの束と、ファイル。
おそらく学校行事についてのものと、IHの対戦校についての資料だろう…お兄ちゃんはどうなってるんだろう。宿命の対決なんて言ってたけど、勝ったのかな?
にしても、暑い。
盆地の中にある京都は、今日も盆地の地形を上手く利用して死にそうなくらい暑かった。
ベストを着てくるんじゃなかった。
いくらもう日が傾いているといえ、いくら夕日が美しいといえ、暑いのは暑いのだよ。
渡り廊下を作った人を呪いたい。
プリントをファイルに挟んで、脇に抱える。くいくいと、珍しい、手で、自分で結ぶタイプの洛山の黒いネクタイを緩めて、第一ボタンを外す。
そして立ち止まり、廊下の手すりにうまくファイルを置いて、バサァ、と意外と熱を吸ってなさそうで吸ってる白い、洛山のRの刺繍が入った学校指定のベストを脱いだ。
ちょっとは、涼しくなったかな。
肩にかかっているカバンにベストを詰め込んで、ファイルを取る。中からプリントを出して、ファイルの上に置いて、さぁ、再出発!

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やけに静かな体育館を覗き込むと、部活が終わった後なのだろうか、新入部員だと思われる一年生達が倒れている。まさに死屍累々。
熱気を逃がすであろう、大きく開かれた体育館のドアから中を覗き込めば、なんだか大変な事になっている。そんな地獄絵図にうへぇ、と声を漏らす。
かろうじて起きている何人かの目がこちらを向く。ゾンビだ、ホラーだ。
「黒子、か?」
後ろから声をかけられて、ビク、と肩が揺れる。恐る恐る振り向くと、水も滴るいい男、爽やかな汗をそのふわっふわした、お日様フローラルの匂いがしそうな真っ白なタオルで拭いているバスケ部のキャプテン兼生徒会長様が。すこし眉を顰めていた。
「具合悪いの?」
「あぁ、いや。中学の同級生にも黒子という人がいてね」
「そうなんだ……あ、赤司くんあのですね」
「なんだ」
「松尾先生が生徒会から来たプリントを渡し忘れてたみたいで、これね。あと、白金先生からこれと、あと伝言」
そう言って、ファイルとプリントを差し出すが、きょとん、と見てくる赤司くんを見て、あれ?なんか言い方を間違えた?もっと敬えばよかった?なんて不安になる。
しばらくの沈黙。
「……あぁ、なるほどな。それで監督はなんと?」
「えと、忙しいから、後は任せた的な」
「そうか。で、今は何時だ?」
外はもうすでに暗くなり始めていた。
「部活生徒最終下校30分前であります、大佐!」
松尾女史の言っていたレポートの量は半端じゃなかった。その上生物化学室と準備室には500mくらいの距離があって、運ぶのに意外と時間を食ってしまったのだ。
それを聞いた赤司くんは、ふむ、と頷いた。
「そうか、御苦労だな、黒子少佐。少しそこで待ってるといい」
「おや」
「なんだ」
「意外。赤司くん、鼻で笑い飛ばすかと思った。こういう冗談には乗らないかと」
「僕だって自分で言うのはなんだけど、茶目っ気のある人間だ。冗談は言うし、たまに人の冗談にだってのるさ」
「へぇ、ところで、しばし待てよ、とのご命令はどの様な?」
「君を家まで送ろう。いくらまだ少し明るいと言えど、夜だからな。女性が一人で歩いていては危ない」
なんて紳士なんだろうか。それではお言葉に甘えさせていただきます、大佐。なんて言いながらビシッと敬礼をすれば、クク、と赤司くんは笑った。


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