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ロード・エルメロイ二世の追懐 続き

「もう疲れた、助けてー」

お決まりの乱暴な四回のノックの後、言葉少なにフラフラとした足取りで入ってきたのは小洒落た服を着たなまえだった。全身から疲労感を漂わせている癖に、疲れを感じさせない俊敏な動きで部屋のドアの施錠を行い、倒れるようにして備え付けの古びた椅子に座り込む。ぎしぎしと軋む音に合わせてスカートから伸びる足が窮屈そうにブラブラと揺れた。ラフな服装から見るに仕事終わりか若しくは終日フリーだったように思われるが、生憎彼女はご機嫌斜めらしい。いつもはニコニコと楽しそうな様子で大量の菓子を持ち込んで、人の気も知らず一方的に世間話をしながらそれをつまみ飲み物を要求してくるのにも関わらず、今日はといえば、らしくもなく溜息が口から出てくるのみ。
長い付き合いかというと首を捻りたくなってしまう程度には彼女を知らないが、短い付き合いと言い切れるほど互いのことを知らないわけではない。他人と比較すればそれなりの長い時間関わってきたなまえが、こんなにも疲れを態度に表すのは珍しいことだった。若かった昔なら兎も角、今となっては交わす言葉は多いとは言えず、どちらかといえばなまえが一方的に零す愚痴を黙って聞くことが当たり前となってしまった。お互いの立場を考えてみれば仕方のないことではあるのだが、そんな一言で済ましたくないくらいには言葉にし難い関係が歯痒くて、でもしっくりきていて、それでも心の底ではどうしようもなく寂しいのだ。

お土産代わりのクッキーの箱を側にあった机の上に投げ捨てると、こちらに背中を向けたまま彼女は聞こえるか聞こえないかの声量でポツリと言った。

「……こん、だってさ」
「何だ」
「そろそろ結婚しても良いんじゃないかって、姉さまが」

普段より数段落ち着いた声音が、妙に現実離れしたことのように思わせる。

しかし、些か拍子抜けはしたが息を呑むほど驚くような話ではなかった。寧ろ年齢を考えたら、そういった話が出てくるのは世間よりも大分遅いくらいだろう(それを口に出そうものなら彼女からフルボッコにされること間違いなしだが)。没落しかけていたとはいえ、それなりの家の養女になった彼女だから政略結婚があって当たり前、普通に考えて家のためにもそうするべき立場である。幸運にも良い義姉や当主に恵まれていたらしく、これまで当主から政略結婚や見合いの話などは一切なかったという。というのも、魔術の家系にしては珍しく、先代・今代の当主ともに立場の弱い彼女を可愛がってきたようで、駒というよりは(少々言い方は悪くなってしまうが)愛玩動物のように大事に大事にされてきていたからだそうだ。その拾われた張本人が言うところには「昔、嫁入りや婿入り関係で酷く痛い目にあったから慎重になっているだけ」ということだが。
なまえとは別口から聞いたところによると、彼女を拾いあげた先代当主は、文字通り魔術の家系とは真反対の危なっかしい生き方をする彼女に大変興味を持ったらしく、その行き着く先を見たさに保護したとか。没落しかけた家の当主とは思えない短絡的で危なっかしい安直すぎる考えだが、実際この当主の力でその家は復興したのだから、貴族とはわからないものである。

閑話休題。事前に予想がついた話ながら、先程の彼女のたった一言に胸を鷲掴みされたような感覚に陥った。理性ではそんなに珍しくもない話だと理解しつつも、頭のどこかではこの類の話なんか聞きたくないと現実逃避をしている。十数年間経たくらいでは、そんなにも人は変わらないのだと痛感させられるくらいには、ぐらりと大きく根本的なところから揺さぶられた。

「姉さまはね、お家の都合でどこかの貴族のとこに嫁に行けとか言ってるんじゃないの。普通にただ、なまえは結婚しないのって聞かれただけ」
「……お前のところは、話を聞けば聞くほど変わっている」

否定はしないけどね、そう言って彼女は笑う。何かを堪えるような、かの征服王すら黙らせた強く脆い笑みは昔となんら違わない。

「姉さまは優し過ぎるよ。正直不本意だけどどこかの家に嫁に行けって言われればちゃんと行くのに、この後に及んであのひとはこっちの意思を尊重してくれてる。馬鹿だよ。そんなことしてるからうっかり没落しかけちゃうのに。打算的で何が何でも家を存続させようと動き回る癖して、何でか知らないけどツメが甘くなっちゃってる。とことん、身内のことには非道になれないんだから」

うっかり没落しかけるなんて、そんなことあるものか。そんな軽口すら口に出来ないほど、精神的に参っているらしい。

「それはお互い様だろう」
「あー、うん……そう、なのかもしれないね。でも違うの。本当にそうかもなんだけど、そうじゃなくて」
「……」
「これまで考えたこともなかった。結婚とか、そういうの。別にそういう願望がないわけじゃなくて。ただね、今まで手に入らないと内心諦めてたものが、ぽーんと急に目の前に転がってきたものだから。戸惑ってるだけなのかもしれないなー」
「それは、」

言葉を挟むと、ハッとしたようにこちらを見据える大きな瞳。そんなに表情が変わってしまっていたのか、なまえは眉を寄せて早口でまくし立てた。

「ごめんね。別に困らせるつもりじゃなくて、ちょっと聞いて欲しかっただけ。大分遠くなってしまったけれど、それでも一番近いのは君だから」

名前を呼ばなくなったのはいつからだろうか。よく考えてみれば彼女は、こちらの立場が大きく変わった頃にはもう、昔のようには呼ばなくなっていた気がする。

「私、このままでも幸せなんだよ。今も昔も」

気が付いているのかいないのか、ふんわりと笑った顔とは対照的に細めた目からは雫がこぼれ落ちていた。
手を伸ばして抱きしめられたらどんなに心が安らぐだろうか。無意識に伸ばしかけた右手は数センチメートルも動かせないまま止まってしまう。そんなことは許されないと、積み重ねてきた年月が不用意な行動にすぐさまストップをかける。

彼女の言葉に動揺して触れようと伸ばしかけた指すら震えるなんて、余裕がないにも程がある。
いつになっても彼女は眩しいままだった。いくら年を重ねようとも、やはり意気地なしのこの手では届かない。掠りそうにもない。なまえと呼んで振り向かせるのが容易だった時代は、もう取り返しのつかないところまで遠く離れてしまったのだ。