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ある日突然、幼馴染の少年である衛宮士郎が学校に来なくなった。

いや、これはちょっとオーバーに表現しすぎたかもしれない。訂正、風邪で数日間『も』学校を欠席した。かれこれ小学生時代から知り合いだけれども、このような事態には一度たりとも遭遇したことはない。
あまりにも珍しいものだから、からかいがてらお見舞いに行こうと思い、手土産を片手に衛宮邸に向かったんだけれども。呼び鈴の軽い音と共に玄関先に現れたのは、学校のアイドルこと遠坂凛だった。予想外すぎる相手の登場に、かちんと身体が凍りつく。

「え、遠坂さん?士郎は?」
「衛宮くんなら、今は部屋で寝ているわ。今、ちょうど眠ったところ」
「あ、そう、なんですか」

顔は笑っている。けど、遠坂さんは全然、全く、一ミリたりとも笑っていない。むしろ敵対視されているような鋭い視線だ。背中に何かひやりとしたものが伝った。何でここに遠坂さんがいるんだ。そもそも、士郎って遠坂さんと知り合いだったっけ。
でも、それを張本人である遠坂さんにぶつけても誤魔化されるに違いない。彼女は視線でさっさと帰れと言っている。口答えしてはならないと本能が察知して、私の足はじりじりと後ろに下がり始めた。
本当は家の中まで入って、お見舞い品として商店街で買ってきたお茶請けのお菓子を渡し、二度とないような姿を拝んで帰るつもりだったのだけど。でも、そんなことを遠坂さんに言ったら、どんな冷ややかな目を向けられるか、わかったもんじゃない。そう思わせる威圧感をひしひしと感じ取り、一歩後退りする。
本当は顔を見て安心したかったのかもしれない。慣れない状態で困ってるかもだから、日頃から色々助けてもらってるお礼も兼ねて何かできたらなあ、と淡い期待を抱いてここまで来たのに。紙袋を持つ手に、意識しないうちに力が入っていた。
この状況をなんとかするのには紙袋と伝言を遠坂さんに託すのが一番だ。そうすれば、綺麗にこの場を切り抜けられる。でも、それをしたいとは思わなかった。何だか、この紙袋を遠坂さんに渡してしまったら、何かに負けてしまう気がした。

「リン、それでは彼女も困ってしまいます」
「ちょっと、貴女どうしてここに」

沈黙に耐えかねていると、鈴の音のような、涼し気な少女の声が聞こえた。
目の前にいたのは、見たこともないくらい美人の、金髪の女の子だった。欧米の子だろうか。初めて見た。日本語もとても上手で、立ち振る舞いも完璧。何故かくらりと眩暈がした。

「私は切嗣を訪ねて冬木にやって来ました。それでシロウにお世話になっているのですが、彼が体調を崩してしまったので、リンに助力を頼んだのです」
「は、はぁ」

士郎のお父さんはよく外国に行くとか言っていた気もする。だから外国の女の子も訪ねて来たって不思議はない。その子がなぜ遠坂さんに助力を請うのかは甚だ疑問だけれど、ちょっと不機嫌そうな遠坂さん本人にそんなこと聞けなかった。

「じゃあ、士郎のこと、宜しくお願いします」
「え?でも貴女、それ」
「別に、これは家の人に頼まれたお客様用のお菓子だから、あいつには関係ないです」

紙袋を後ろにさっと隠し、取って付けたような礼をして逃げるように去る。紙袋を渡すとか渡さないとか関係なしに、もう何もかもが負けてしまった、そんな気分だった。

その後、士郎の見舞いは放棄した。行こうかな、と衛宮邸に足を向けても、この前の遠坂さんたちの顔がフラッシュバックして、腰が引けてしまう。
だから。士郎が学校に来るようになってからも、わざわざ話しかけに行こうとは思わなかった。問題の幼馴染はいつも通りに一成と話していたし、放課後は相変わらずバイトで忙しそうだし、何より、たまに廊下で士郎を待っている遠坂さんを見ると、そんな気は失せるに決まってる。さりげなく距離を取り、顔を合わせる機会を減らすこと、それが私に出来る精一杯のことだった。

士郎が学校に復帰して、一週間くらい経った。知り合ってからというもの、自然に何かと話していたから、こんなにも関わらなかったのは初めてのことだ。今までは避ける理由なんて何もなかったし、喧嘩したって次の日には元通りになってた。そりゃあ毎日べったりな訳じゃなかったけど、其れなりに頻繁に会話は交わしていた。
それが、こうやって一週間だけでも関わりを絶って、話しかけることもなくなって。昨日は一成にすら心配された。「衛宮と喧嘩でもしたのか?」なんて言われても、困る。喧嘩した訳じゃないから。変に疑われないように、違うと否定しておいたけれども、あの生徒会長サマは案外目ざといから、もう悟っているかもしれない。

そんなこんなで八日目の今日も、何事もなく過ぎて行った。変わったのは一成から度々目配せされるくらいか。全く、あいつは何を気にしてんだか。
もう帰ろうとバッグを手に持ち、コートに変なところがないかをチェックする。早く帰ってあったかい肉まんでも食べようかな、と予定を立てながら教室のドアを開いたら、男子生徒が勢いよく走り込んで来た。どん、とぶつかる。幸い、向こうがすぐにブレーキをかけて思い切りぶつかった訳ではないみたいで、お互いに多少よろけた程度だった。

「悪い!あ、なまえ」
「し、士郎……」

ふい、と視線を逸らす。顔を見れない。廊下には誰も居ないみたいだ。教室もみんな帰ってしまっていて、ここにいるのは私たち二人だけ。遠坂さんが居ないことに心底安堵する。彼女の目の前で士郎と話でもしてしまったら、針の筵に座っているかのような気分になるに違いない。うん、まあ、やったことはないので、想像の域を出ないんだけど。

「先週、見舞い来てくれたんだろ?ありがとな、何もしてやれなくてごめん」
「それは私のセリフ。家まで行ったのに、何にもできなくでごめんね」
「いや、遠坂に止められたんだろ?それはなまえの所為じゃない」

しいん、と静まりかえる。返す言葉もなかった。最早このまま会話を続ける意味をも見失った。私がどんな酷い顔をしているのかはわからないけれど、くるりと振り返ってマフラーを首に巻きなおす。もう帰ろう。何をするためにこんなことになってるんだ。風邪ひいてるときに、学校のアイドル遠坂凛が家に来たことを自慢でもしたいのだろうか。でも、そんなことをする相手じゃないのは私が一番良く知っていて、これはただの私の頭の中での作り話だ。そう思い込もうとすればするほどモヤモヤした感覚が残る。割り切れない。
ちらりと盗み見ると、士郎は言ってはいけないことを言ってしまった、みたいな顔をして視線を少し下げていた。
其れなりに長い付き合いだと思っていたのだけれど、この幼馴染の考えてることは単純なようで難しい。私には理解できない。ほら、今だってそう。私がわざわざ話題を避けていたにも関わらず、この話題を出した士郎が何考えてんのかわからない。

「聞かないのか?」
「なにを」
「……遠坂が、何故家にいたのか、とか」

何だかカチン、ときた。この鈍感野郎は言ってやらないと気づかないらしい。
それでも、風邪の看病してた遠坂さんに嫉妬してました、なんて言えるはずもなく。私に出来るのは、溜息をつきながらオブラートに包んで思ってることを伝えるだけ。

「士郎はさ、そうやって聞いて欲しかったの?聞いたら納得する答え、くれた?」
「いや……」
「でしょう?困るよね。だから言わないんだよ。そんくらい気付いてよね、この鈍感」

士郎の横を素通りして、廊下に出る。冷気が肌に突き刺さる。寒い。確か、今日はこの冬一番の寒さ並みに気温が下がる、と天気予報があってたっけ。どんなにコートを着てあったかくしても、マフラーを巻いても、手袋しても、体の芯が凍りついている。なんだか、今日は何も出来なさそうだ。

「なまえ!」
「?」
「今日、家に夕飯を食べに来ないか?藤ねえがなまえと食べたいって昨日から駄々こねてて困ってるんだ」

悔しい。名前を呼ばれて立ち止まった自分が恨めしい。何もなかったかのように振る舞う、余裕かましてるように見える士郎も恨めしい。
やっぱりいつも通りだ。喧嘩して拗ねるのは私。それを知ってか知らずか、私の意表を付いて(というか意に介してないのかもしれないが)元通りの関係にまで強引に戻らざるを得ないようにして接して来るのが士郎だった。そのくせ悪かったことはきちんと謝って来るのだから、私が一人でイライラしているのが馬鹿らしくなって折れる。いつものパターンだ。これじゃあまるで(意図しているかどうかは別として)相手の思惑通りじゃないか。

でも、わかっていても私の足と口は勝手に動く。しょうがないなぁ、なんて呟いて。ちょっとだけ心踊るような心持ちで、気づけば小走りになって士郎の元に向かっている。

そうして、私は情けないことに。毎度毎度の如く、あいつを許してしまうのだ。