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それは何でもない日だった。

変わったことと言えば、凛ちゃんたちがちょっと珍しい会話をしていたことくらい。確か、その爆弾発言があったのは我が幼馴染、衛宮士郎の家で、皆で(とは言っても士郎と凛ちゃん桜ちゃんだけなのだけど)お茶をのんびり飲んでた時だと思う。普段から「凛ちゃんって何と無く乙女思考だったりするよなー」なんて考えていたけど、見事にそれを深々と実感させられたのは今回が初めてかもしれない。
事の発端は、お茶にちびちびと口を付けながら、凛ちゃんが何でもないといった風に唐突に突拍子もない質問を投げかけてきたこと。運悪くも、丁度その時に士郎は温いお茶を喉に流し込んでいる状態だった。

「ファーストキスってレモンの味って言うじゃない?」
「え、いきなりどうしたの凛ちゃん?」
「っ!?」

私が呆気に取られて聞き返したのと、ごほごほと思いっきり士郎がむせたのは同時だった。目を白黒させながら胸を叩く姿を見て、桜ちゃんがあたふたと背中をさする。お茶を吹き出さなかったのがせめてもの救い、といったところか。
対して凛ちゃんは獲物を見つけた狩人のように、にやあ、と意地の悪い顔になった。美人さんがそんな顔をしたら益々怖い。ここから一悶着あるだろうなって感づき、巻き込まれないようにとそそくさと距離をとる。こういうのは傍観者に徹するのが一番だと相場が決まっているのだ。多分。

「あら?意外ねー、そんな反応したってことはファーストキスのお相手がいるってことかしら、衛宮くん?」
「と、遠坂!」
「え、そうなんですか先輩!初耳です、どなたなんですか?」

年頃の女子高生(しかも美人)に挟まれて楽しそうで何よりです。でれっでれしてる報いとして、凛ちゃんたちにちょっと苛められればいいんだ。助けを求めるような情けない顔をしてる士郎に向かって思いっきり舌を出して、そそくさと居間を後にした。背中側から、私の名前が呼ばれているのが聞こえる。けど、今はここにいたくない。お茶は飲み終わったし、三人で仲良くファーストキスでもセカンドでもサードでも話しとけば良いじゃないか。

目の前にいた士郎が、遠い存在のように思えた。何だか、狡い。幼馴染として、かれこれそれなりの時間を一緒に過ごしてきたけど、そんな話は一回もしたことなかった。しようとすらしなかった。出来なかった。私にとって士郎は隣にいるだけで何だか満足出来る、そんな間柄だったから。私たちの関係性っていうのはまさに同性同士の親友のようなもので、側にいることが最早当たり前だった。私にとっては無くてはならない不可欠の存在なのだけれど、士郎にとってはどうなんだろう。今まで何かアクションを起こすこと無く、何と無く時間を過ごしてしまったけど、こうして何か形あるものに縋りたくなったのは初めてだった。
だって、凛ちゃんも桜ちゃんも美人だし女の子だし家庭的だし。ただそこにいるだけの幼馴染だなんて居る意味ないんじゃないかな、と卑屈にだってなる。なんかジェラシー感じちゃうなあ、なんて。
うん、やっぱり頭を冷やそう。こんな気持ちで戻ったって楽しくなんかないし、雰囲気は悪くなっちゃいそうだし。いっそ具合が悪いふりでもして帰ってしまおうか。

「士郎、誰なのよー?ねえ桜、気になるわよね?」
「そうです!教えてください先輩、減るものじゃないですし、問題ないです!」
「そ、そんなの、人に言いふらすことでも無いだろ!」
「良いんじゃない?私たちが知りたいって言ってるんだから」
「いや、俺は良くてもあいつは嫌がるだろうし!」
「『あいつ』は嫌がる、ねえ。へーえ?衛宮くんは言っても良いんだ?」
「先輩が良いなら教えてください、私たち誰にも言いませんから!ね、先輩!」

部屋から出たのに、ここまで凛ちゃんたちの声が聞こえてくる。そう、なんだかんだ言って私も気になるのだ。そもそも士郎とそういうのが結びつかないし。あの反応だと、凛ちゃんでも桜ちゃんでもないみたいだけど、一体誰なんだろう。士郎がよく話す女の子?よく話すといったら美綴さんもだけど、あの二人とそういうのはどう考えたってしっくりこないような気がしなくもない。いや、そう考えるのは私だけで、実は他の人から見たら物凄いお似合いだったりするんだろうか。

やっぱり考えるの、よそう。何だか自分が自分じゃなくなってしまいそうだ。
今更こんなこと思うなんて、自分勝手にも程がある。私は過去に色々なことを仕出かした。同じ学年の格好良い男の子がいかに素敵かっていうのを聞いてもらったり、付き合い始めたことを報告したり、別れた時には慰めてもらったり。そうやって散々士郎のことを振り回してきたくせに、自分の知らないことがあると嫌だなんて、そんなのみっともなくて言えやしない。言いたくない。

縁側に座ってぶらぶらと足を揺さぶっていると、不意に顔を覗き込まれた。長い黒髪が視界を支配する。凛ちゃんだ。もう尋問は終わったみたいだ。不満そうな表情であることを考慮するに、士郎はファーストキスのお相手を吐かなかったらしい。うーん、残念。
そんな凛ちゃんが目をぱちくりさせながら目の前にいる。どうしたのだろうと首を捻ると、彼女はぱちぱちと瞬きをした。

「私と桜はもう家に帰るけど、なまえはどうするの?一緒に帰る?」
「私はそもそも大河ちゃんに用があって来たから。もうちょっとここに居るよ」
「ああ、藤村先生ね。わかったわ。じゃあまた明日、学校で会いましょう」
「うん。ばいばい凛ちゃん、まだ明るいけど、帰り道には気を付けてね!」

ありがとう、と凛ちゃんが優雅に手を振りながら去っていくのを見送り、肩を落とす。立ち振る舞いも顔も素敵な彼女に、ちょっと気圧された。
私もあんな風になりたいなあ、と憧れの対象だったのが凛ちゃんだった。それは勿論今でも変わらない。きっと士郎が心惹かれるのだって、ああいう美人で妙な所が抜けてたりする、目が離せないような可愛い女の子なんだろうな。あいつだって普通の男子高校生だし、学校のアイドルである凛ちゃんが気になってたって不思議じゃない。

空が段々と暗くなり始めた。冷え切った空気が肌に突き刺さる。日が落ちると結構寒い。鼻の頭はジンジンするし、手袋をしていない手は思うように動かない。風邪ひく前に、あったかいものでも飲もうかと考えて腰を浮かした、丁度その時に士郎がこちらに向かってくるのが見えた。若干疲れきったように見えるのは私の気のせいじゃないだろう。凛ちゃんと桜ちゃん相手に誤魔化しきれたのは、正直言って凄い。

「士郎、お疲れさま。えっと、大丈夫?」
「なんとか。あ、藤ねえはあと三十分くらいで帰ってくるみたいだぞ」
「そっか。ありがとう」

凛ちゃんと桜ちゃんの見送りが終わったのだろう。乾いた笑いを顔に引っ付けて、士郎が私の横に座る。放っておくこともできないから、私ももう一度座り直した。二人の距離は卵二個分入るか入らないかくらい。近いとも遠いとも言えない、何とも絶妙な隙間が今の関係性を表しているようで、ちくりと心に刺さった。
士郎は何も言わない。ただただ黙って外を見つめている。いつもはどちらかがすぐに最近の近況報告したり、夕飯はどうするのかの話をしたり、本日の面白かった大河ちゃんを冗談っぽく教えたりしてたのに。こういう時に限って、何故かどちらも口を開かなかった。
居心地が悪い。今までは士郎の隣が、他の誰よりも一番心地良かったのに。なんとかこの状況を打破したくて、必死に話題を探す。苦しまぎれに思いついたのは、さっきまで凛ちゃんたちと繰り広げられていた、あの話だった。言えないと思っていたにも関わらず、いざという時になったらこれしか思いつかないんだから、本当嫌になる。

「あ、士郎のファーストキスの相手って結局誰だったの?私の知ってる人?」
「っ!まだ引っ張るのか?別に、もう良いだろ!」
「良くない!幼馴染たる私が知らないうちに終わらせちゃってるとか狡い!私もまだなのに、先を越されるとは思わなかった!」

狡いと言った途端に、それを聞いた士郎の顔色が一変した。さっきまではちょっと顔を赤くしながら反論してたのに、今は考え込むように沈黙して、呆れたような拍子抜けしたような、何とも言い難い表情になっている。
何でそんな顔するの。私、凛ちゃんたちと同じこと聞いただけなのに。何か地雷を踏んでしまったのだろうか。ひゅう、と喉が音を鳴らす。さぁっと身体中の体温が下がっていくのがわかった。

「ごめん、言いたくないなら言わな……」
「ちょっと待て。覚えてないのか、なまえ」
「え?そんなの知らないけど」

真剣な目がこちらに向けられる。哀しそうな、それでいて何処かほっとしたかのような士郎の瞳の中に、私の間抜け面が映り込んでいる気がして、少し視線を外す。
覚えてないのかと聞かれたということは、私は知っているはずだということ。私の目の前で見せつけながらやったとでも言うのだろうか。でも、そんなの記憶にない。というか、こんな大事なこと忘れるはずないから、それはきっと士郎の勘違いじゃないだろうか。

「あのなあ、違うだろ。だから」
「?」
「だから、なまえだよ」
「……え?」
「本当に覚えてないのか?中学校の卒業式、なまえは屋上でずっと泣いてただろ。あの時に」

何で本人が覚えてないんだ、という呟きが頭の中を高速で通り過ぎてゆく。覚えてないはずなのに恥ずかしさで、ぼんっと顔から湯気が出そうだ。あり得ないくらいにあっつい頬の熱を覚まそうとして、士郎と目があって、思わず顔を手で覆った。そんなの知らない。卒業式の日の記憶なんて、泣きはらした後に屋上で寝ちゃって、士郎に起こされて帰ったことしかない。

「でも、でもでもでも!士郎しか覚えてないなんて不公平だよ。ファーストキスってのは女子の憧れなんだか、ら……」

自分でもわけわかんない理屈だと思う。とにかく沈黙に耐えられなくて、何か文句をつけないと気が済まなかったのだ。勢いよく顔をあげて、士郎に掴みかかろうとしたところで、思い切り引っ張られる。

「え?」

背中を押さえこまれ、どんっと何かにぶつかった。目の前がちかちかする。ぎゅうと痛いくらいに抱きしめられたと認識したのは数秒後だった。士郎の手が頭の後ろにまわって、私の顔がちょうど肩の下あたりに押し付けられる。私の何とも情けない顔を見られないのは良いけど、いきなりのことで思考が追いつかない。一体どうしたんだろう。

「士郎?」
「ああもう、これ以上何も言うな」

くそ、という小さな悪態の後、ゆっくりと身体が離される。気が付くと士郎の顔が目の前数cm先にあった。どくんどくんと心臓の音が聞こえる。これが自分の鼓動なのか、それとも相手の鼓動なのかすら判別がつかない。
目を逸らそうと思っても、目の前視界いっぱいに士郎がいるからできなかった。羞恥に耐えながらぎゅっと目を閉じる。なまえが悪いんだからな、というため息交じりの言葉の意味を理解する前に、頬に手が添えられて、士郎が私の唇に食いついてきた。そのまま暫く私の呼吸を止めた後、小さくリップノイズを立てて離れる。
今何が起きたんだ。士郎は何をやったんだ。頭が真っ白になって、何にも考えられない。

「な、な……!」
「これなら、もう忘れないだろ」

あつい。ものすっごくあつい。これ以上ないくらいに頬が上気している。顔を手で冷やしながら、恐る恐る視線を上げた。士郎がどんな顔をしてるのか気になったから。
でも、予想に反して、あいつはちょっとだけ頬を染めたまま、余裕気な表情だった。悔しい。何が悔しいかって、士郎に主導権を握られてたのが、凄まじいくらいに悔しい。

この士郎の勝ち誇ったような顔を、私は絶対忘れることはないだろう。

私のファーストキスは、いつも飲んでいるお茶の味だった。