「だっかっらー!私は違うって何度も何度も言っているでしょうが!?」
「大人しくてください、お嬢様!」
「お嬢様ですって!?なんで私がそんな名門貴族の令嬢と間違えられなくちゃいけないのよ!邪魔しないで!もう、こっちは急いでるってのに!」
というか名門貴族のおじょーさまはこうやって屋根の上なんか走らないでしょうが!違うって言ってるのに、いい加減自分たちの誤りに気付きなさいよ全くもう!という女の騒々しい声で、ぱっと目が覚めた。
どんどんどんと聞こえるのはどうやら屋根の上を走り回っている音らしい。なんて近所迷惑な。こっちは気持ちよく昼寝してんのに、と若干苛々しながら体を起こす。寝起きにも関わらず、おかしい、この辺では聞かない声だ、とすぐに考えてしまうのは習性みたいなものだ。旅人か、もしくはーとか何とか、つらつらと思案していると、不意に外からけたたましい音と共に人々の悲鳴が聞こえてきた。騎士団の連中、逃がしやがったなと苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
お嬢様ってのは、この前捜索願が出された名門貴族の一人娘、だろうか。フレンのぼやきによれば、武芸とは全く縁がないような、白くて細くて小さいお嬢様らしいが。
「くらえっ!」
「ちょっ、貴様、待ちやがれ!ーー追え!」
「はっ!」
「何で私が追われなくちゃいけないのよ、この、ばかーーー!」
ぎゃんぎゃんと騒ぐ声から察するに、どんどんこちらに近づいてきているらしい。迷惑なこったと頭をがしがしと無造作にかき、そばに居たラピードをわしゃわしゃと撫でた。
「仕方ない、行ってみっか」
先日あった時の、フレンの疲れ切った顔が目に浮かぶ。我ながらお人好しだよなぁ、とぼやいた声は風に乗って消えた。
ーーー
「ちょっと、そこどいてちょうだい」
「あー、なんで見つけちまうかねぇ」
見つけに行く宛もないから、腹ごしらえでもしてからにしよう、と甘いものを調達しに行く矢先に、路地で女とばったり鉢合わせた。こちらに浴びせられた声から鑑みるに、目の前の女が騒ぎの原因だとわかり、思わず背を向けて立ち去りたい衝動に駆られた。それも、首元に当てられた細身のレイピアが阻んでいるが。
「私はどいてって言ってんの、言葉がわかんないのかしら、ユーリ」
「なんで俺の名前知ってんだよ」
「なんで、ってのは私の台詞だわ。昔馴染みの私の顔を忘れるなんて良いご身分じゃないの」
昔馴染みの、女?眉根を寄せて一瞬記憶を巡らせると、整ってはいるが煤けて所々黒くなっている目の前の顔が、ちぇっと舌打ちをして剣を下ろした。自分にこんなお転婆な知り合いが居ただろうか。
「まあ良いわ。次に会う時は思い出しててよね、私はフレンの所に行ってくるわ」
「おい、待て」
「またね、プリンの恩は海よりも深く、山よりも高いのよ?」
唱えるようにすらすらと言い捨て、てくてくと踵を返す姿を眺める。なんだそりゃ、と呟こうとして口が止まる。このはちゃめちゃな言い分はどこかで聞き覚えが、あったような。どこで?そう思い立った時、ピンと頭に蘇るあの記憶。
「またどっかで雇ってもらうのか、なまえ」
「っ!そうよ。あの頃は坊やだったからサービスしてあげたけど、今度はたくさん巻き上げるわよ、覚悟してよね!」
「たいして年も変わらない癖に、よく言うな」
「黙らっしゃい!」
にやにやと楽しそうに口角をあげる姿は全くもって変わっちゃいない。あの頃は自分よりも大人に見えたあの少女は、今では小さな唯の女だった。
ユーリと近所の店で昔働いてたお転婆な女の子のお話。