なにやってもうまくゆかない
ねえ。
わたしが魔術を使えるようになったのはどうして?
これが--回目の終局だと知った。
--回も歪めた癖に、今更どんな顔すれば良いのかわからない。
◇
ぼたぼたと液体が落ちる音がする。
暫し意識を飛ばしていたらしい。どうやらわたしは椅子に座っていたようだ。膝元で彷徨っていた視線を上に向けると、手を伸ばせば届く距離に言峰が立っていた。
急速に意識が覚醒していく。言峰の後ろに見慣れた白い壁があり、この場所が教会であることに気が付いた。
目の前の男に敵意はないらしい。感情をかけらも宿していない彼の瞳は、光を宿すことなくこちらを向いている。
「お前の瞳はタチが悪い」
「いきなり何の話をしているわけ」
「この惨状は、すべてお前が生み出したものだ。
故に、終局させることができるのは、他ならないお前のみ」
見上げた彼の顔は、逆光になっていてよくわからない。長身である言峰を相手にすると、巨人と対峙しているかのような気分にさせられる。
そもそも教会で神父と問答だなんて、わたしは懺悔に来た敬虔な教徒かってんだ。状況に困惑し切っているわたしのことなど意に介さず、再び感情のこもっていない低音が放たれた。
「捻じ曲げているのはひとつではあるまい。お前は、繰り返す度、創り出す度、周りの事象を少しずつ置き換えている」
何を言っているのかわからない。衛宮くんに刺されて、ついに頭がおかしくなったのかこの男は。
「……えみやくんに、さされて……?」
自分の思考に違和感を覚え、つい口に出してしまった。
「ほう。かつてのお前は、衛宮士郎に殺されたのか」
「……ちが、う」
反射的に否定した声は、笑ってしまうくらいに弱々しかった。
違うだろうか。
本当に違うのだろうか。
頭の中を、倒れ伏している言峰の姿と、私を床に叩きつけた衛宮くんの顔がちらついて消える。
「あの男を助けたいとは、随分な綺麗事だ。お前の根本の願望は、そんな純粋なものではあるまい」
「うるさい……」
「認めるがいい。貴様は、衛宮士郎を生かすためと謳いながらも、根底には全く別の願望を抱いている。解っているはずだ。結局お前は、あの男に、自身の救済を求めているのだ」
「……ちが、う……」
「この聖杯戦争に、或るはずのないお前が入り込んだ。一度紛れた不純物は、そう易々と取り除けまい。怪異たるお前は強情にも、自身の願望と救済を、全てをひっくるめて衛宮士郎に託しているのだ」
「……ッ」
こんな時に悪態の一つもつけない自分が、情けなくて悔しい。怒りと羞恥で顔が紅潮しているのがありありとわかった。
「勘違いするな。私は、責めるつもりも、否定するつもりもない。貴様が全てを巻き込みながらもがき苦しみ喘ぐ様を観測するのみだ」
そういう痛いところついてくるところが、あまりにもこの男らしくて笑えてくる。
「お前は、衛宮士郎という男に、世界の収束を望んでいる」
黙れと一喝したいのに、泣くまいと食いしばったままの筋肉が動いちゃくれない。
「お前の世界は、お前が定めた終着点に辿り着くか、或いは、お前が自身のいる分岐点を終着点だと定めるか、このどちらかに至ることにより終局される」
「……」
「有り体に言えば、この事象自体を放棄してしまうか、お前の望む『正義の味方』とやらになった衛宮士郎を観測できる選択肢に至るまで、この世界は終わらない」
「……な、なんであんたが、そんなこと」
わたしの敵ではないが、味方であるはずもないだろう。ご親切にこの事情を紐解いてくれている言峰は、一体何をしたいんだろう。
言峰の言う「この世界」を放棄するべきだと進言しているのか、訳もわからず翻弄されているわたしを嘲笑っているのか。
「お前に情報を与える可能性の一片が今の私で、この事象を知ったという分岐点のひとつがお前だ」
つまり、それは、気まぐれということ?
的を得ていない。意味がわからない。
そもそも答える義理もないし、応えようともしていないのか。
「やっぱわたし、あんたのことだいきらい」
言ったところでこの男にはなにも響かないし、わたしへの慰めにすらなりゃしなかった。
◇
例えば、この悪夢に終止符を打つ時が今だとして。
自分の望む未来だと思っていた世界にたどり着くことが出来ているはずなのに、どうして、こんなにも気持ちが晴れないのか。
聖杯戦争を終わらせて、あの日の衛宮くんが報われて欲しいと願い続けて、全てがうまくいっているはずなのに。このために幾度も世界を積み重ねてきたはずなのに。
独りよがりで狡いわたしは、それ以上を求めてしまった。隣に立ちたいと、自分を選んでと欲してしまった。
言峰の言う通りだ。
良い子のフリして、諦めが良いフリして、ただ善人を装って。わたしというやつは、他でもない衛宮士郎という人間に「わたしを選べ」と望んでいたのだ。
自分の願望/理想くらい知っている。識り尽くしている。
わたしは、きっと、わたしを見て欲しかった。
あの子に、彼女に、誰かに向けていたあの感情を、どうしてもわたしにくれてほしかった。
誰よりも近くにわたしを置いて、わたしこそが他の誰よりも君の理解者であると認めてほしかった。
そして、わたしは、他でもない君とともに、この世界を駆け抜けたかったの。
そんな世界、わたしには辿り着けなかったけれど。
君の幻想の歯車となれればよかったはずなのに。
憧れて、縋って、足掻こうとしていたわたしは酷く滑稽だ。
ねえ。夢みた代償が、この有様なわけ?
否、わたしが望まなければ、こうして燻り続けるとこはなかったのかもしれない。
不相応な願いなど、許されるわけがない。身勝手な願望だとわかっている。
それでも、他でもない君に肯定して欲しかったから。こんなところで、幕を下ろしたくないと思ってしまったから。
だからこうして走り続けたのに、それすら、わたしには過ぎた幻想だったということなのか。
もう、凡てを忘れるべきだ。十二分に追い続けた。ここが引き際だと、本当はわかっているはずでしょう?
見下ろしてくる言峰の目が選択を催促してくるような気がして、逃げるように視線を外した。
つい数時間前/はるか昔、最期に見た天井を仰ぐ。もう考えることに疲れてしまった。
「そもそも、今はいつで、戦況はどんなで、衛宮くんはどこにいるってのよ……」
誰にともなく吐き捨てた言葉に、無慈悲な低音が返ってきた。
「ここは、お前が放棄したひとつの世界に他ならない」
「……は?」
こちらの意図からは外れている想定外の台詞に、怒りもやるせなさもほったらかして、まじまじと言峰の顔を見つめてしまった。
よりにもよってこのわたしが、こんな事態を引き起こしてしまうくらいに諦めの悪いわたしが、そんなことするわけ、ないはず。
「今のお前はあり得たかもしれない選択の集合体だ。『終局に至れなかった』事実を積み重ね、数多の分岐を経て、こんな最果てまで辿り着いたのだろう」
光を宿していない彼の目が、わたしを見ていないことを知った。ずれている視線を辿るように、ゆっくりと自分の後ろを振り返る。
見るな。観るんじゃない。そしたらわたしは、もう戻れなくなる。
「……ぁ」
真っ赤な壁に身を預け、腹に刺さったナイフに手を添えたまま動かない土御門牡丹と、目があった。
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