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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -


十二の鐘のアルペジオ




いつの間にやら教会の外に出てきていた言峰が、死んだような目を向けてきた。好戦的なランサーと、サーヴァントに匹敵しそうな化け物じみている人間の言峰。一般人をようやく抜け出したレベルのわたしが逃げられるわけがない。仮に遠坂や衛宮くんが助けに来てくれたとして、この場を切り抜けられるとも思えない。
噛んだ唇の感触も、滲むような血の味も、全てがぬるい夢のようだ。

考えろ。
キャスターは遠坂たちが倒した。間桐くんのライダーも消えた。イリヤのバーサーカーももう居ない。
残りはどれくらいの陣営で、今は何が起きていて、遠坂と衛宮くんはどこに居て、言峰とランサーは何をしようとしている?
わからなくても思考を回さなくては。実力も何もない今、わたしができるのは、思考回数を重ねることのみ。

目の奥が焼けるようだ。
これだけは識っている。このままここにいれば、わたしは、いずれ目の前の胡散臭い神父に強制退場させられるということを。
わたしは知っている。変えなければ、一向に、全ては終息しないのだと。

「やめだ。性に合わねえ」
「何をしている、ランサー」

わたしと言峰のちょうど真ん中に位置していたランサーが、向けてきていた槍を引いた。くるりと得物をまわし、天を仰いで、そのままこちらに背を向けた。

「何で、わたしを助けようとしてくれるの」
「なあに、隠れてコソコソやっているどこかのヤロウと違って、身一つで敵地に乗り込む度胸のある女に肩入れしたくなっただけさ」

さも世間話をしているかのようなテンションで告げられたことが、わたしにはとても大きなものだということを彼はきっと知らないし、今後知ることもないに違いない。

だって。
一番初めに殺してきたヤツに助けられるなんて、誰が想像していだだろう。

身一つで飛び込む鉄砲玉になったつもりはなかったけれども、そう見えるのならば都合が良い。

「わたしも---自分のサーヴァントに選ぶなら、ランサーが良い。貴方とだったらどこへだって飛び込んでいけそう」

静けさが広がる教会の前で、からりとした笑い声が響く。

「そりゃあ嬉しいねえ」

背を向けた。ランサーに賭けた。
わたしがこの場から逃げるまで、時間稼ぎでも何でもしてもらえるのならば、わたしはわたしを演じてみせる。

「ありがとう」
「おうよ」

言峰は令呪を使わない。静かなまま、教会の真正面から動かない。
ともすれば自身でわたしを殺してしまえそうなこの人間が、何もせずにここに佇んでいるなんて気味が悪い。
つまりは、わたしを見逃す意思があるということだ。というより、殺す意味すらを見出していないのか。
確かに、令呪を使ってまで殺す価値がわたしにあるかというと、どう考えても無価値としか思えないのは明白ではある。

それなら、きっと、この訳の分からないトンデモ神父が考えていることは、そこまてま難解なことではあるまい。
要するに、今のわたしを生かしておく方が、彼にとって良い方に転ぶと判断したとみた。都合が良いという勢力的な話ではなく、足掻く様が滑稽で面白いとか、そういう類の思惑だろう。
地を這うような低い声が、空気を鈍く揺らして迫り来る。

「貴様の在り方は、あの男とは正反対とも言えよう」

あの男ってだれ。聞いてなんかやらないけれど。

「行き着く先が見ものだな、土御門牡丹」

ほら。この言葉、絶対に面白がっている。

知ったこっちゃない。わかるはずもない。
わたしが何を抱えているのかなんて、この男が理解できるはずもない。

振り返らずに石畳を蹴る。もう半分くらい感覚がない四肢を叱咤して、この身が耐えうる限りの全速力で駆ける。

だから。
後ろで鈍い金属音が響き始めたとしても、後ろ髪引かれることなく進まないといけない。



胸が押されているような感覚が残る。直面している最中は意識していなかったが、少し離れてみると相当なプレッシャーがかかっていたことが痛感される。
とはいえ、衛宮くんに合わせる顔はない。
どこへ逃げたものか。

わたしはこの辺りの地理に明るくないから、身を隠せる場所を知らない。ホテルでも探したいところだが、日付も変わってしまった夜更けに未成年を受け入れるところなんてありゃしないか。
行くあてがなかったとしても、1秒でも、一歩でも教会から距離を取らなければならない。
無心で足を動かし続ける。

「何をしている」

唐突にぐいと腕を取られた。つんのめってバランスを崩し、そのまま真正面に倒れ込む。力の入らない両手がアスファルトを擦ったが、頬に地面をぶつかる寸前で身体の落下が止まった。
引っ張り上げられるようにして上体が起こされ、肩の上に担がれた。
視線の先で揺れる赤い外套と、投げかけられた低い声に覚えがあった。ありすぎた。

「アーチャー?」

お腹に感じる人肌の熱がいやにあつい。ヒトではないのにあたたかいものなのかと、場違い極まりない平和な感想が頭を占めた。

「遠坂のもとに戻ったんじゃなかったの」
「マスターからの命令だ」

つまりは蜻蛉返りしてきたということか。淡々とした語り口の中に嫌味ったらしい響きを見つけてしまって辟易する。
そも、聖杯戦争の駒たる彼を、こんな一個人の救出任務に駆り出す遠坂はお人好しにも程がある。

「……それはまあ、すみませんね。でもわたしをどっかに置いて、早く戻った方が良いよ」
「その言葉には同意するが、私は君をあの家へ連れて帰らなければならない」
「……二度手間にも程がない?」
「それがわかるのならば、大人しく連れ去られて欲しいものだが」

どうすれば彼の手から逃げられるのかと思案を巡らせているのがバレていたのか。観念して全身の力を抜いた。
ぷらぷらと風に押されて靡く自分の両手と、その先に見える野道のアスファルトを眺める。
白く染まる吐息の生温さに相反するように、頭が冷える。思考が冷え切る。

「そもそも、教会に辿り着く前に、わたしを無理やり連れ去れば良かったじゃない。それか、いっそ……」

黙れと言わんばかりの緊張感に背中を押し潰された。凍えるような寒さに苛まれているにもかかわらず、額にじわりと汗が滲んできた。
わかりやすく威圧してきた意図を察して口を噤んだ。怒らせるのは得策じゃない。そもそもそんなつもりで言ったわけではない。
ただ、自分の取った選択があまりにも無駄すぎるように思えたから、それを否定してほしくて口にしてみただけだ。

「遠坂と衛宮くんは?」
「……」

冷たい空気が顔面をたたく。
耳に届くのは足音と風を切る音だけだ。答える気はないらしい。いつ敵の手に落ちるかわかったもんじゃないわたし相手に2人の居場所を明かさないのは大正解の判断ではある。

「イリヤは?」
「……何故君が彼女のことを知っている?」
「貴方が留守にしている間、イリヤと話したことがあるの」
「…………」

こちらの問いかけを気にすることなく進み続けていたアーチャーの足が止まった。丁度大橋に差し掛かったところだ。海側から吹き付ける強風により髪が他靡く。お腹に回されている手にほんの少し力が込められた。

無駄に長い沈黙に、彼女の終局を悟ってしまった。

「8番目のサーヴァントに連れて行かれた。恐らく、もう殺されているだろう」

憐憫でも、哀愁でも、悔恨でも、悲嘆でもない。
淡々と事実を述べる平坦な声の中に、一言では表しきれないほどの感情を認めてしまった。

8番目のサーヴァント。聖杯戦争では七体の英霊が召喚されると聞いている。つまるところ、居るはずのないサーヴァントが、ここに来たということか。

ここまで判ってしまえば、もう、わたしが逃げ回る理由が見つからない。

「仕方がないから、連れ帰られてあげるよ」
「……そうか」

アーチャーの答えの中に、少しだけ安堵の色が見えた。
正体不明のサーヴァントが現れたとあっては、彼に無駄な時間を過ごさせるわけにはいかない。とりあえずこの場は大人しく運ばれているとしよう。

正直、アーチャーがわたしを一端の人間として扱ってくれている理由がわからない。捨て置けば良いのに、ただの一般人相手に優しさがすぎる。マスターを勝たせることに全力を尽くすのがサーヴァントの責務だろうに。

非力なくせに足掻こうとするなんて、わたしは、遠坂たちにとって邪魔な人間に違いない。
それでも、わたしは、全てを識らないといけない。

「ごめんね」

呟いた謝罪の言葉は、風に乗ってすぐさま消えた。



「君、すまないが、想定外の事態だ。図られたかのようなタイミングだが」
「え?」

手際よく肩から降ろされ、庇うようにアーチャーの背中側に押しやられた。

衛宮邸の前に、ライダースーツを着た金髪の男が立っている。たまさか通りがかったかのように自然に立っているようにも、何もかもを見透かしてくるようにも見える、人智を超えた何かだった。
図られたかとは。つまりは、あの男がアーチャーの言うところの「8人目のサーヴァント」ということか。居るはずのない、誰が召喚したのかもわからない規格外のサーヴァント。

「何をしている」
「贋作者になど用はない」

アーチャーの問いかけを即座に切って捨てたこの男は、なんというか、神サマみたいなものではなかろうか。
こちらを抑圧してくるかのような規格外の威圧感は、どう考えてもサーヴァントであるとしか言いようがない。
視線が向けられた。それだけで心臓が止まるかと思った。この世にいるべきか否か、品定めをされているかのような心地だ。

「雑種、貴様を見てやろうかと気紛れに来てみたが……つまらぬ小娘に過ぎぬか。これでは器にもなり得ん。とんだ無駄足だったようだ」

見る価値もなかったと言われているも等しい言い草だが、この際、そんな小さなことはどうでも良い。
わたしと相見えたこの状況は、この男にとっては無駄足かもしれないが、こちらにとっては僥倖である。

これなら、ともすれば、終わりを観ることが叶うかもしれない。この機を逃すわけにはいかない。
アーチャーの背中から飛び出して、2人のちょうど真ん中に立つ。真正面から男の赤い目を見上げた。

「わたしを連れて行って」
「ほう?」

見なければならない。
総てをひっくり返すならば、因果を捻じ曲げるのならば、わたしは、誰よりも知っていなければならない。
何が起きているのか、何をしようとしているのか、誰がこの舞台に残っているのか。
わたしは、何を、果たすべきなのか。

何よりもいとしいあの存在に、何としてでも応える為に。

「……最期に至って欲しくて、その先があると信じたくて。だから、この続きが見たいし、欲しいし、知りたいの」
「知ったところでどうする」
「どうするも何も。あの人が成し遂げたさまを見たいだけ」
「つまらぬ。希望(みらい)を他人に委ねているのならば、貴様には至れまい」

委ねているつもりはない。
わたしが視ることに意味がある。わたしが紡がなければならない。
戦えないわたしが、まともな魔術師にすらなれないわたしが、たった一つだけ受け継いだものを無駄にしてたまるものか。

「総てを犠牲にする覚悟のない者に、何かを望むことなど許されぬ」
「じゃあどうしろって言うわけ……」
「簡単なことだ。対価を払い、成果を得る。そも、人間は犠牲がなくては生を謳歌できぬ生き物だ」

解っている。誰よりそんなことは判っているのだ。
世界が変わるのならば、わたしは、自ら終焉を選んだって良いのに。

「ただ足掻くことしか知らぬ女が---凡夫でしかない貴様如きに何が捧げられよう」

簡単に言ってくれる。
何度も我が身をかけてきた。最早捧げるに足るものなど、何にも残っちゃいない。

「牡丹」

背中側からアーチャーの声が飛んできた。押し殺したような、叱責するような、嘆願するような、何もかもがないまぜになったような声だった。
名前を呼ばれたのは、制止する意思からなのだと知っている。その響きの中に、わたしを慮る意思があるのも識っている。

きっと、この人は優しさを捨てきれていないのだ。
それが判ってしまっても、知らないふりをしなければやってられない。
だから、もう、振り返ってなんかやらない。

「ほう、その気概は勇ましいが、全くもって無意味で無様だな」
「違う。無意味なんかじゃ、ない」
「そうか」

鈍く発光し、男の真後ろの空気が歪む。無のままの表情を変える事なく、男は、右手で黄金の斧を取り出した。

「見果てぬ世塵の結末を望むのであれば、この我が理というものを示してやろう」

わたしの覚悟などあってないようなものなのだというように、なんて事のないような顔をして、目の前の男は、簡単に終わりを告げてくれる。

わたしは、大丈夫。
あれから一度たりとも、彼の助力を乞うたことはなかったはずだ。
重荷となりたくなくて、足枷になりたくなくて、どうしても、わたしに縋って欲しかっただけ。
並び立つものとして、わたしはわたしを認めて欲しかっただけ。
彼の信念のうちに、ほんの少しだって良い、わたしという要素をはめ込みたかっただけ。
生かされたいわけではない。君の覚悟まで背負って生きていけるほど強くはないから。

わたしは狡いから、君にもうひとつ、お願いをしようか。

「アーチャー、衛宮くんに言ってほしいんだけど」
「……」

背中の向こうにいる男に、振り返ることなく声を投げかける。承服しかねるという意思表示か、返答は返ってこない。
それでも良い。大丈夫。この人ならば応えてくれる。その優しさに何度も救われた。

「このまま進んで。誰かに負けるなんて許さない」

わたしを踏み台にして、わたしとの想い出を全て燃やし尽くしてでも、最期までこの覚悟を背負い込んで生きて。
わたしは我儘だから、あの人に枷をしてあげる。
この場に居合わせているのがアーチャーで良かった。手を伸ばすこともせず、ただ直立してこちらを見届けるこの人で良かった。
遠坂や衛宮くんだったら、わたしの決心は揺らいでしまうかもしれない。

「ごめんね、アーチャー」
「……」

返答は要らない。わたしはもう、彼に何も望んじゃいない。
この問答にはなんの意味もないと言わんばかりに、手斧を回した男が告げる。

「決して諦めぬということは、断じて未来を認めぬということに他ならない。なんと---」

不自然に言葉が途切れる。眼前で金の獲物が止められた。

目の奥があつい。
視界が滲む。頬を伝うのは涙か。

地面が歪む。空気が回る。感覚が飛ぶ。
自身が立っているのか倒れているのか、そもそも在るのかすら定かでない。

鮮明でない世界の中で男が吠える。

「貴様……文字通り己の身をもってして、総てを返しおったか!」

瞠目した彼の赤い目が、やけに目について消えた。




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