×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


九仞の功を一簣に虧く


誰かの未来のために自分を殺すなんて馬鹿げてる。
自分を殺すことができるのは、殺さなくてはならないのは、きっと、誰かのためじゃなく自分の理想のためであり、願望のためであるべきだ。
そう。そうやって守り抜く/懸けるべきは、確固たる自分でなくてはならない。

自分でも何言ってるのかわかんないけど、つまり。
つまりは、生かされてほしいのだ。私のために。

でも。
過程が足りない。
未だ至れない。
口にしたところで、ただの幻想でしかない。



縁側が屋根のように見えた。頬に砂が張り付いている。両手にぬるりとした感覚とざらつく違和感を認め、ようやく、自分が建物の外に落ちたのだと悟った。

なかなかどうして、わたしは悪運の強い人間らしい。真っ二つに両断されるかと思っていたら、脇腹を多少抉られた程度で済んだみたいだ。

建物から衛宮くんが飛び出してきた。十分動けているようだから怪我はしていないようだ。
そのまま地面に膝をついて、横たわったままのわたしの上体を引っ張り上げてくれるが、どうにも四肢の感覚がないから動こうにも動けない。
なすすべもなく頭上の顔を見つめる。お手本のように顔面蒼白で、動揺が前面に押し出されている衛宮くんの表情に、こんな時だと言うのに笑けてきた。

「……ばか。何笑ってんだ」
「そんな顔してくれるんだ。わたしのために」
「待ってろ。絶対助けるから」

そんな手段なんて持ち合わせていないくせに、わたしを支える腕に力を込めて言うものだから、嬉しいやら情けないやら。
なんとか残り少ない気力を振り絞り、衛宮くんの腕に縋って立ち上がった。血が抜けたからか多少ふらつく。素足のままの両足から、2月の冷気と地面の砂利の痛みが直に襲ってくる。
このままでいい。時々遠のきそうな意識を引き戻すにはこれくらいが丁度良い。

「ね。……ごめんけど、わたし、ひとりで教会に行くね」
「何、言ってんだ……」
「わたしはだいじょうぶ。いや、正直言うとだいじょうぶじゃないけれど、あそこに行けさえすれば、どうとでもなるから」
「だから……!こんな状態のお前を、放っておけるわけないだろ!」

もはや怒号に近い言葉なのに、含有する意味はどこまでも甘くて笑ってしまう。欲しかった優しさを、少しでもわたしに向けてくれただけで、わたしは結構救われているのを、衛宮くんは知らないだろう。

少し離れた庭先で、文字通り脂汗を浮かべながら、苦悶の表情で剣を地面に突き立てるセイバーをみた。抗魔力の高いセイバーだがもって数分といったところだろう。今必死に耐えているのは彼女の英霊としての矜持か、はたまた生まれ持つ体質によるものか。

「元凶を倒せば、セイバーは正気に戻せるはず。絶対とは言わないけれど、それしかできることがない。衛宮くんがどうして聖杯戦争に関わっているのかは知らないけれど、今一番取るべき方法はこれじゃない?」
「いや、土御門をどこか---」
「わたしは魔術なんて知らないし。イリヤスフィールなら治療できる可能性はあるけれども、彼女にはわたしを助ける義理がない。そもそもセイバーをとめるので精一杯だから、ここでやるべきことなんて決まってるでしょ」

詭弁だ。こんなの打算でしかない。
イリヤはマスターとして最高峰の素質を誇ると聞いている。そんな彼女ならば、時間稼ぎ程度の囮になるはずだ。わたしはアインツベルンの力を知らないけれど、こんなところで易々とやられる彼女じゃないことに、彼女が衛宮くんを導いてくれる可能性に、賭けた。
だいじょうぶ。衛宮くんなら、イリヤを連れて、逃げ切ることができるはず。

所詮一般人程度のわたしには、この場をおさめる術はないから。

だから、もう、願うしかない。
遠坂がキャスターを倒すか、アーチャーを連れて戻ってくるまで、お願いだから耐えて。

「遠坂はキャスターを追っているの?」
「ああ。……アーチャーを連れて、キャスターの根城に向かった」
「だったら、やるべきことはひとつでしょ」

無理やり背中を押して、邪魔者は他所に引っ込む。それくらいしか、今のわたしが出来ることはない。
本当は教会なんて行きたくないし。誰よりそばに居たい。けれども、わたしはただの足手纏いでしかないから我慢しないといけない。
わたしが遠坂みたいな魔術師だったならば、こんな無様な姿を晒す羽目になる前に、少しでも力になれたのかもしれないのに。そんな願望に近い仮定は無意味で都合の良い妄想でしかない。

わかっている。
わたしは、この場で、異なる選択肢を選ぶべきだ。

「セイバーを止めて。遠坂を助けてよ」

出来ないなんて言わせない。
君も、わたしも、どちらも。この言葉で全ての未練が消えて無くなるように。
全てを救おうにも、何事も優先順位があるものだ。セイバーを助け、遠坂を助けることは、ひいてはわたしの生存に繋がってくる。道理はかなっている。だからだいじょうぶ。

「そんなボロボロの身体で、一人で行けるわけないだろ!」
「わたしはマスターじゃない。だから道すがら襲われる可能性はない。あとは自分との戦いだから、平気。そういうの、得意だから」

未だ腑に落ちていない逼迫しきった顔を、真正面から直視した。
当たり前だが人間の手が届く範囲には限りがある。その手で守り抜けるものもまた然り。にも関わらず、衛宮くんは、わたしという存在をその範疇から外してしまうことが出来ないのだ。
なるほど、この真っ直ぐで強情でブレない信条こそが、衛宮くんを衛宮くんたらしめるものなのかもしれない。

だから、未来の約束を口にしよう。
叶わなくても良い。今、縋れるものならば何だって良い。この選択を噛み砕いて、納得して、このまま突き進むための原動力になるような、約束という建前の我儘くらいは、口にすることを許して欲しい。

「セイバーを助けたら、遠坂と合流したら、そんでもって聖杯戦争が終わったら……わたしを迎えに来て」

腕に回されていた衛宮くんの左手を外し、わたしの右の手のひらを合わせる。そのままお互いの指が交差するように手を握った。
触れ合った手のひらがあつい。かさついてマメが出来ているところに衛宮くんの過去を感じ取った。慣れない感触が少しくすぐったい。

「わたし、ひとりでいるの、あんまり得意じゃないから。……おねがい」
「……ああ、必ず助けに行くから、待ってろ」

顔を伏せた衛宮くんの表情はわからない。




這々の態で彷徨う姿を、誰にも見られなくて何よりだ。

衛宮くんを強引に説き伏せて、ひとりで彼の家から飛び出してはきたが、わたしの気力はもう尽きかけている。文字通り地面に這いつくばる一歩手前といった具合だ。
流石に教会に徒歩で行くほどバカではない。行ける訳がない。珍しく外を走っていたタクシーを止め、新都の教会あたりまで行くように頼み込んだ。初老の運転手は見るからに訳ありな若い女を乗せるのには相当渋っていた。が、財布から数枚お札を出して渡し、半ば無理やり乗り込んで連れてきてもらうことに成功した。裸足で擦り傷だらけの未成年を相手に、訳も聞かずに運んでくれるとは。金の力も偉大だと思うが、何とも飲み込みの良い運転手だ。
暫し車に揺られながら、これも言峰の息がかかっているタクシー会社なのではないのかとバカみたいな想像を巡らせたのち、目を閉じる。

そのまま教会の敷地の前で下されたは良いものの、車道を横切り、その先の建物まで動ける気がしない。歩くことに疲れ果て、道の脇の電柱に手をついた。手のひらにこびりついた汗だか血液だかでずるりと手のひらが滑り、体のバランスを崩して見事にひっくり返った。もう痛みもない。喉から出るのも呻き声のみだ。

あまりにも無責任だ。そんなのはわかっている。

わかってはいるけれども、それとこれとは話が別だ。
彼の目の前で醜態なぞ晒してたまるかと思った。
大事にしているサーヴァントであるセイバーに、クラスメイトが殺されたとあれば、優しいあの人はきっと傷付いてくれる。
後味の悪い未来なんか、残してたまるか。

「う、ぐッ、ぁ」

ブロック塀を支えにして、バラバラになりそうな四肢を叱咤して立ち上がる。自分のものとは思えない乾いた声が喉から聞こえて、嫌気を通り越して笑いが出てきた。人間、訳がわからなくなったら笑いが出るものなのかもしれない。

一歩踏み出した。踏み出したけれども感覚はやはり消え失せていた。

頭を上げる気力もなく、ただただ自分の素足を眺めるだけだ。傷とアザだらけの足じゃあ、ちょっと見栄えがわるいかもしれない。数日後には多少治っているだろうか。

ありもしない未来への展望をまだ抱えたままの自分に呆れてしまいそうだ。
でも良い。これで良い。こうでもしないとわたしは進めない。

これは意地だ。足を動かす気力となるならば、自分をも騙しきってやる。

教会に行くと決めた。だから優しさを手放した。
せめて教会まで行かなくては、あの選択が報われない。

「何をしている」

不意の一言に、心臓が一瞬動きを止めた。

「あ。よかった、アーチャーだ」

目の前に、赤い外套の男が立っていた。歩道と車道の境目だった。
心底安堵した。こんな夜だというのに、とんでもなく緩み切った声が出てしまって笑いが溢れた。

両足から力が抜け切る。張り詰めていた最後の力が切れてしまって、崩れるように座り込んだ。

「あなたにお願いがあるんだよね」
「君の望みを聞き届ける義理はないだろう」
「じゃあ何でここに来たの。こんな遠くまで、まさか散歩ってわけじゃあないでしょ?」

たっぷり数十秒間、アーチャーは視線を巡らせた。
図星だと押し黙るところが分かり易くて好ましい。
いつかの時代の英霊のくせに、どこか子供じみたところを残しているところが、この男の良さというものだろう。

「……教会まで運ぼう。君はそのために来たのだろう」

強引に話を逸らされた。
アーチャーの言い分は半分合っているから、素直に提案に乗ることにする。

「ありがと。ついでに遠坂に謝っておいて」
「そうだな。いや、断言はしないが」
「どういう意味?」
「機会があればということだ」

それこそどう言う意味だ。問い詰めたい気持ちはあったが、ひとつ願いを聞き入れてくれた恩があるので黙っておいてあげよう。
手を伸ばした。立ち上がらせてもらおうという意図での行動だったが、見えていないかのようにスルーされた。両膝の下と腰に手を回され、簡単に持ち上げられる。
服越しではあるものの、あたたかさが心地良い。アーチャーの胸に頭を寄せ、ゆっくりと瞼を閉じる。このまま寝てしまえたらどんなに良いだろう。

一分にも満たない移動が、十分にも、もっと長くとも感じられた。

「入口の前だ。ここからは自分で行ってくれ」

耳元で囁かれた終わりの合図に、名残惜しく思いながらも顔を上げる。

「じゅうぶん。どうもありがとう」

石畳の冷たさが意識を現実に引き戻してきた。

「……申し訳ついでにお願いを聞いてよ」
「何だ」
「わたしを殺して。できるでしょ」

ここに来たからには、知らないふりをさせてやるつもりはない。同じ結末を辿るのならば、せめて過程くらいは捻じ曲げてやる。

真正面から顔を見上げた。一瞬だけ瞠目したのを見逃してなんかやらない。

「……断る」

押し殺すような響きだった。いつだって淡々と人を諭してきたくせに、こういう時だけ非道になってはくれないのか。

例え、アーチャーの声が紡いだ内容が、わたしが望んだ回答ではなくても。
この男にこんなことを言わせることができたのかと。こんな小さな事実で高揚してしまう自分が阿呆らしい。申し訳なさを上回るほどの充足感に、どうしようもなく感極まってしまいそうだ。

「君は、救われるために足掻いていたんじゃないのか」
「恐らくだけど。あなたの思い浮かべるわたしの思いと、今のわたしの思惑ってやつは違うと思うなあ」
「……」
「どうしてだかわかんないけど。わたしは、どうしても、衛宮くんに報われて欲しいんだよね」

だから、わたしは、セイバーではない他のものに殺されなければならないのだ。
自分の相棒たるサーヴァントではなく、他の外的要因で殺されること。それが、ボロボロに成り果てた今のわたしが、彼に残せる唯一の置き土産というものだろう。

「どうせなら、ランサーでも、キャスターでも、言峰でもなく、あなたがいいな」

わたしは知っている。
この男が案外お人好しで、冷徹ぶっているくせに優しさを捨て切ることができない、不器用な人だと。

アーチャーが黒と白の一対の剣を投影した。わかってくれたようで何よりである。
一度深呼吸をして目を伏せる。今顔を見たら、この人に同情してしまうかもしれない。もう後戻りなんかしないと決めたのだ。

首元に当てられた冷たい感触を、忘れてなんかやるものか。




back