×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


渾沌、七竅に死す


目が覚めたら、よく知らない和室の天井が目に入ってきた。

「言いたいことは山ほどあるけれども、とにかく無事で良かったわ」
「とお、さか……」

どきりと心臓が高鳴る。寝転がったまま視線を彷徨わせる。
部屋の入り口に、少し疲れた表情の遠坂が佇んでいた。



学校の裏庭でどうにかこうにか敵を退けたという衛宮くんだったが、当然というか必然というか、交戦後は見るに堪えない満身創痍の有様だったそうだ。
わたしは校舎の窓から転落した際に気を失っていたようで、助太刀に来た遠坂に起こされた時にはあの女は退却した後だったらしい。

普通の人間は、校舎の窓から転落したら大体死ぬ。気を失ってはいたものの、現状何とか動けるわたしは相当幸運だったはずだ。一緒に外に放り出されたはずの衛宮くんが、地面に叩きつけられた後そのまま敵と戦うなんていう芸当をやってのけたのは、もう生命力が人間通り越して化け物としか言いようがない。
結局、わたしと彼をこの衛宮邸に連れて帰ったのは、遠坂のサーヴァントだそうだ。

「凛」

遠坂の斜め後ろの空間が微かに歪む。赤い外套を纏った浅黒い肌の男が顕現した。
遠坂のサーヴァントだという、アーチャーを自称する赤い男。初めてみた。というか、そもそも、英霊というやつと初めてまともに対峙した。いわゆるパブリックなイメージの幽霊みたいに、虚空からゆっくり存在が形作られるさまは、みていて形容し難い怖さというか、得体の知れなさを抱かせてくる。

無感情な視線がこちらを射抜く。探るようでもなく、侮蔑するでもない、無意思な瞳はわたしに欠片も興味がないことの現れなのかもしれない。
成程、この様子からすると、姿は消しているものの同じ場に居合わせたことがあるとみた。わたしが認識していないだけで、彼からしてみれば、わたしは何度も目にしている人間に違いない。

「……助けてくださったようで。ありがとうございます。お手数おかけしました」
「礼を言われるほどのことでもない。マスターの命令で、君をこの家まで運んできただけだ」

皮肉っぽくて、でもどことなく憎めない印象をうける男。第一印象としては、お世辞にも話しやすい相手だとは思わないが。

「部外者にも関わらず自ら首を突っ込むお人好しと聞いている」
「……そりゃどうも」

わかりやすく慇懃で不躾で失礼な男だ。遠坂は多分そこまで直接的に口にしてないと思う。たぶん。

この男が、どこかの時代の偉人であり、英霊と称され召喚された高位の使い魔だと。
衛宮くんより多少わかる程度の付け焼き刃な知識しかないわたしが抱いた感想は、自分が召喚することは夢のまた夢である果てしない高度儀式という認識と、生きる世界や文化や常識やらが異なる霊体とコミュニケーションを取ることは相当骨が折れるのでは無いかという漠然とした不安感くらいだった。

私の右手をとり脈を測っていた遠坂が、不意に後ろに声を投げかける。

「アーチャー、紅茶」
「君が先程台所で入れようとしていたものか?」
「そうよ。そのまま忘れてきて悪かったわね、良いから持ってきて」
「……了解した」

成程、ごく稀にそそっかしくなる彼女を口を挟みつつも手助けすることのできるこの弓兵は、悔しいけれども、遠坂と良いコンビだと認めざるを得ない。

不満感を前面に押し出したアーチャーが音もなく空気に溶け込む様を眺めた後、布団の横に座ったままの遠坂を見上げた。
上体を起こそうとした。小さく息をついた遠坂の手により、穏やかに制される。

「私、悪いけど戻らなくちゃ。色々厄介ごとが残っていて、そろそろ行かないといけないのよ」
「うん」
「とにかく、本調子になるまでゆっくり休みなさい。紅茶……もう冷えてしまっているかもしれないから、淹れ直したものを用意させるわね」

立ちあがろうとした彼女の手を掴んだ。ほぼ無意識だった。

「……遠坂」

長い髪を翻し、遠坂が嫋やかに振り返る。
強い光を秘めた瞳が、静かにこちらを向いた。

「ありがとう。何度お礼を言っても足りないね」
「私も助けられているから、お互い様よ」

果たして、本当にわたしが彼女の助けになっているのだろうか。手から力が抜け、赤い袖が擦り抜けてゆく。
その疑問は口にすることができないまま、緩やかに閉められた扉を見つめていた。



しんと静けさが広がる部屋に、小さなノックが3回響く。
寒さに耐えながら布団から這い出て戸を開けると、頭二、三個上にある渋面と対面した。先日の遠坂といい、この主従は険しい顔をしていることが多すぎる。……まあ、事態を考えれば当然かもしれないが。
微動だにしない男の顔を見つけること数秒、ようやっと思い当たった。

「……どうぞ」
「ああ」

わたしの推測は正しかった。つまりはゴーサインを待っていたらしい。声をかけるまで入室しないとは律儀な男だと感心する。
すました顔でティーポットとカップを運んできたアーチャーは、執事然としていて様になっているように見えた。遠坂にこき使われているのだろうか。そもそも戦いの格好で日本家屋の中にいるのも可笑しいが、それを感じさせないほどの馴染みようだ。
慣れたようにサイドテーブルにお盆を置いて、ちらりと横目でこちらを見やる。

「すぐ飲むなら淹れるが」
「じゃあ、お言葉に甘えて」

マスターでもないのに英霊にお茶を入れさせるのは、ある意味貴重な経験なのかもしれない。
戦うために呼び出されてきたはずのどこかの英霊に給仕をさせること自体、どうかしているとは思うけれど。
布団に戻って寝るのもどうかと思い、数秒逡巡した後、部屋の隅に腰を落ち着けることで妥協した。

「あらゆる願いを叶える願望機を巡る戦いだと聞いたけど」

座って黙ること数秒、沈黙に耐えられなくなった。
手際良く紅茶の支度をしている様を観察しながら、こちらに視線をもくれない男に話しかける。

「あなたにも、聖杯とやらを手にして叶えたい願いがあるの?」
「私は、マスターを勝利させるだけさ」

詰まるところ、遠坂を勝たせたいだけだと。

「ふぅん……」

主人思いの褒められるべき宣言を聞いたわけだが、その視線はこちらに向けられることもなく、表情をも確認できず、淡々とした声音はほとんど独白に近いものだった。他人であるわたしに本音を言うほどわかりやすい男ではなさそうだから、その言葉がどこまで真実かはわからない。
こぽこぽとティーカップに紅茶が注がれる。和室にはそぐわない甘い香りが鼻腔をくすぐった。

「聖杯戦争とは欠片も関わりのない君こそ、命を掛ける義理はないだろう」
「なあにそれ。命をかけているかはともかく、邪魔だから大人しくしろって正直に言えば良いのに」
「……」

淡々と正論を紡いでいた声が止まった。
沈黙は肯定とみた。どう言われようとも従うつもりはさらさらない。どこの誰とも知らないヤツから、わたしの進退に口出しされてたまるか。

「じゃあ、大人しくする代わりに、わたしの願いを叶えてくれる?」
「……」

答えはない。想定内だ。
ティーカップから上がる湯気を見つめる。

「なんてね。……そもそも、誰かに願いを委ねるほど、わたしはわたしを諦めていないの」

そんな大それた願いは持ち合わせちゃいない。
わたしはただ、最初の優しさに報いたいだけ。

「君は、もしや……」
「なーに?」

何も言われたくない。だから被せて声を発した。
今何かを言われたら、わたしの決意がバラバラになってしまいそうだ。
自分の左に目を向ける。窓からの日光が眩しい。
何かを無理矢理飲み込んだ顔の男と、無言で視線を合わせること数秒。

「……いや。気にしないでくれ」
「変なの」

何だか、誰かさんに少し似ている気がする。
口にしたら機嫌を損ねるだろうから、わざわざ口にはしないけれど。
もう仕事は済んだとでも言うようにこちらに背中を向け、そのまま姿を消した男を尻目に、少し冷えた紅茶に口をつけた。



眠りについたあと、再度覚醒するとまた一日が過ぎていた。
うん、多少は元気になった。今は夕刻くらいか。すっかり空っぽになってしまった胃に何かを入れたい。起き上がり軽く布団を整え、あてがわれた和室を後にし、裸足で歩くには冷たすぎる廊下を進む。
皆がいるのは居間だろうか。右手側に明かりと人の気配がする。

うん、だいじょうぶ。扉に手をかけ、一度深呼吸をし、そのままの勢いで開け放った。

「土御門!」
「衛宮くん」

一番初めに視線があった衛宮くんが、思い切り目を見開いた。聞き慣れた彼の声で名前を呼ばれ、言おうとした言葉が頭からすっぽ抜けてしまった。

そのまま、衛宮くんは部屋の中央のちゃぶ台をひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がり、平静さを落っことしてきたかのように距離を詰めてくる。

「もう起き上がって平気なのか?」

それはこちらのセリフだ。
校舎の3階だか4階だかの窓から落下した人間が、一日後元気に活動しているなんて信じ難い。怪我なんて一言じゃ言い表せないほどに負傷していたじゃないか。
心底困ったようにわたしの肩を支える様子は、一昨日、校庭でぐったりと倒れ伏していたという事実を忘れらせてしまいそうなくらいに普通だった。

「衛宮くんこそ、平気なの?」
「俺はもう動ける。セイバーに助けられたからな」
「セイバーに……」

金髪の小柄な少女に目を向ける。食卓に並べてある夕飯に舌鼓を打っていた彼女が、軽く顔を上げたので会釈しておいた。
そのセイバーの隣にいた、更に小柄な少女と視線があった。見知らぬ顔だ。銀髪に、真っ直ぐとした大きく紅い瞳が映える。何かを言いたげに眉間に皺が寄った。その相貌に似合わない渋い顔だ。

思考が鮮やかな赤に濡れる。

---無事か……。
掠れた声音が頭に響く。
頬をなぞった乾いた手も、定まらない瞳も、ぱかりと開いた胸も、骨も、内腑も、

「……っ、うぇ……」

ふらりと一瞬力が抜け、その場にしゃがみ込んだ。
身体の奥底から何かがのぼってくる。
必死に喉に押し込めて、拳を握り込み、歯を食いしばり、意識を飛ばすまいと目の前の畳を睨みつける。
支えるように回された、衛宮くんの手が熱い。そのまま身を委ねて倒れ込んでしまいそうな四肢をの感覚を必死に繋ぎ止める。

「やっぱり無理していたんじゃないか……!ちゃんと本調子に戻るまで寝ていた方が良いぞ。ほら、連れて行ってやるから」
「……大丈夫。やなこと思い出して、気持ち悪くなった、だけ……」

耳元の声に応えながらも、目の奥底にちらつく光に意識を阻害されている。じわじわと締められているような、こじ開けられているような、捻られているような、鈍い痛みが頭を襲う。

「なあ土御門、立てるか……」

意識を手放してしまうのは惜しいかもしれない。
辛うじて聞こえた自分の名を呼ぶ声に、そんなことを思った。



「ねえ、起きてる?」

うとうとと微睡んでいた意識が、鈴を転がしたような幼い声によって引き戻された。聞き覚えのない/嘗て耳にしたものだった。

目を開いた。見覚えのある天井がぼんやり映る。ここ数日居を構えている衛宮邸の一室だった。
やはり居間で気を失ってしまったのだろう。人が目の前で倒れて愉快なわけがない。衛宮くんたちに悪いことをした。
寝そべったまま辺りに目を巡らせた。小綺麗にされたサイドテーブルや座布団以外、特に何も無い。
声は扉の向こう側から、わたしの意識の有無を確認しているようだ。

「……起きてます」

なんか訪問者が多くないか。そんな不満は休ませてもらっている身では口にすることはできないが。

嫌で仕方がないが布団を出る。二月の厳しすぎる寒気にぶるりと身を震わせた。
厳密には今起きましたけどね。心の中で悪態をつきつつ、おっかなびっくり扉を開くと、見た目が小学生くらいの、先程居間で見かけた白銀の少女が立っていた。

「はじめまして、ちっぽけな魔術師さん。……いいえ、魔術師なんて呼ぶのも烏滸がましいくらいの、魔術使いのなりそこないかしら」
「どうも」

そうか。
彼女には、わたしが魔術使いの端くれに見えるのか。それは何よりである。
いや、自分の客観的事実に一喜一憂している場合ではない。それよりも、ほぼほぼ面識のない彼女がわたしを訪ねてくる理由がわからない。身の心配をしてくれていたのならば嬉しいが、そこまで案じてもらう義理もない。

「ええと、あなたは、どういった用件で……」

わたしの混乱を察したのか、小さな彼女が目を伏せた後に名乗った。

「私はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

名前を聞いたらぴんときた。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
郊外の森、西欧チックな石城を文字通り根城とする、錬金術を修めたホムンクルスの工房の主。

ちゃんと名乗ったところをみると、片手間にわたしを茶化しにきたわけではないらしい。
部屋の出入り口で立ち話をするのもなんだから、一旦部屋に招き入れることにする。何の躊躇いもなく敷居を跨いだイリヤの姿に、自分の選択は正解だったようだと安堵した。

「そんなに長居はしないわ。ひとつだけ、知らないようだから言っておきたくて」

本当に長居するつもりはないらしい。出入り口のすぐそばで立ったままのイリヤに座るように勧めたが、しれっと聞こえなかったふりをされた。仕方ないのでお構いなしに布団の上に座り込む。

「ねえ。貴女のそれ、何とかしないと直らないわよ」
「直らない……?」

イリヤが真っ直ぐにわたしを指差す。
彼女の言葉の意味するところが理解できず、わたしはというと聞こえた単語を反芻するのみだ。

「まがいものではないみたいだし、弄られたわけでもなさそう。全く別人のものにみえるけれど……誰かから移植でもしてきたのかしら」
「……移植って、なに?」

これは対話でない。問答でもない。ただの一方的な投げかけにすぎない。
彼女は答え合わせをしにきたのでも、忠告しにきたわけでもないのだと悟った。文字通り、本当に、彼女の観測した事実を言いにきただけなのだと。

「詳しいことは凛にでも聞くと良いわ。私は現象を観ることができただけで、原理とか対処法とかわからないし。ただ……」

そのまま一呼吸置いて、彼女はわたしに背を向けた。

「知らないのは、可哀想だと思っただけよ」

そう言い残すと、部屋を退出し、扉をピシャリと閉めた。
---否、閉めようとした。

「---」
「---」

庭から、心臓を逆撫でするような叫声が飛ぶ。

反射的に身を硬くし、戸に手をかけたままのイリヤをみた。機嫌悪そうに半眼で外を睨む表情は、冷徹で無慈悲な魔術師のものだった。

「やな感じがするんだけど。何か身に覚えは?」
「私は何もしてないわ。もうバーサーカーはいないもの。今は、シロウのセイバーが、キャスターを倒しに行っているだけ」

交戦中か。何故それを早く言わない。



「あのキャスターがセイバーに勝てるわけないもの。すぐに倒して戻ってくるわよ」

確信めいた素振りでイリヤが言う。
拗ねたような顔をしてはいるものの、彼女がこうも断言出来る理由はよくわからない。

「本当に?」
「ええ。今残っているのは、セイバーの反応だけだもの」

もうサーヴァントを失ってしまった、つまり、脱落したにも等しい状況下だと聞いている。現在遠坂と衛宮くんの庇護下にあるイリヤがしょうもない嘘などつくまい。わたしを陥れる理由もない。
なのにどうして、首の後ろがひりつくのだろう。

彼女が衛宮くんたちを蹂躙する様を何度も見てきた。どんな理由があろうとも、どんな境遇であろうとも、わたしにとってその事実は変わらない。
正直彼女なんて信用できるかと思っていたのだけれど。

「土御門!」

廊下より慌ただしい足音が聞こえたかと思ったら、焦燥し切った衛宮くんが勢いよく角を曲がってくるところだった。
視線がまざる。ほんの僅かに安堵した表情を見せた彼が、そのままこちらに駆け寄ってきた。

「無事で良かった。イリヤもここに居たのか。心配したぞ」
「シロウの代わりに牡丹の様子を見に行ってあげていたのよ。知らないうちに殺されていたら寝覚めが悪いもの」

敵の襲来にも気が付かず、呑気に寝ていた(気を失っていた)わたしとしては、もはや返す言葉もない。

「土御門、お前……」
「あ、衛宮くん」

衛宮くんの肩越しに、廊下の曲がり角から、セイバーがやってくるのがみえた。ふらふらと俯いているが、交戦していたというキャスターから反撃を喰らったのだろうか。

心臓が早鐘を打つ。俗に言う嫌な予感というものを、こんなにも色濃く感じたのは初めてだ。
セイバーに駆け寄ろうとする衛宮くんの腕を、制止するために引いた。

「土御門?」
「ぁ、ごめん、まって……」

寒気の意味を、こびりつく既視感をも、何も説明することができない。
だめだ。何かが違う。行ってはならない。

「どうし---」

胡乱げにこちらを向いた彼の、

「……っ」

その肩越しに、鎧が舞うのを認めてしまった。

だめだ。それだけは、絶対に、だめだ。

だって。
そんなの、戻した、意味がない。



喉が鳴る。背後で硬直しているイリヤの大きな赤い瞳も、突き飛ばしてしまった衛宮くんの手のひらの温かさも、全てがゆっくり滲んでゆく。

「……ぅ、づ……っ」

あつい。
彼の温もりか。子供体温なの、かわいいなあ。
自分の両腕がずるりと落ちていく。
やけに脚が軽い。今なら空だって飛べそうだ。

頬に赤い液体をつけて硬直する男の子の顔と、
ぼとりと落っこちた何かの肉片と、
次第に霞んでゆく日本家屋の天井と、

「土御門!……っ、なんで……」

舌が喉の奥に落っこちて戻らない。

濁りゆく赤を纏ったカオから、目が離せない。




back